Kazunoriの読書記&振り返りぶろぐ

2016年卒 ビジネスパーソン3年目の(IT企業勤務)の読書記かつ、日々仕事や生活の中で感じたこと、考えたことを記していくブログです。

生産性を上げるのに、コミュニケーションは割と重要なのではないかという話

生産性を上げる!!!!!!!

 

 

という言葉がバズワードのように私の会社で囁かれるが、おそらく昨今はどこの業界もそうだろうな、となんとなく感じる。

 

ギターを習い始めてから、けっこう本当にギターを上手くなりたい、と思っているので、いかに練習時間を確保するかというのは死活問題で、そのために「短い時間でいかに仕事を終わらすか」というのは、僕の最近の命題でもある。

 

仮に、 労働生産性=仕事(=成果)÷ 費やす時間 だとすると、
生産性向上を実現させるための手段はたぶん

①自分の作業自体のスピードを上げる(仕事量は同じだけど、費やす時間を短くする

②作業自体を少なくする(費やす時間は同じだけど、仕事量を少なくする)

 

の2パターンが基本となるだろう。

 

そして僕自身もそうなのだが、①から取り組む人が多い。

ショートカットキーを使いましょう、メールや資料はテンプレを使おう、情報は誰でもアクセスできるよう整理してクラウドに格納しよう、作業の自動化をしましょう、、、等等

 

僕自身も、自分のことを「Mr. ショートカット」と呼びたいくらい、↑のような作業効率UPの手法は網羅して実践しているが、実は、これは思ったほど効果がでない。

 

なぜかというと、「作業を早くする」を追求して仕事を進めると、作業を早くしてあまった時間に別の作業が入ることに関し抵抗感を抱かず、いつの間にかもっと多くの作業を持ってしまうことになるからだ。

 

どっちかというと、本当の意味で生産性を上げることは、「いかに作業量自体を減らすか」ということの方が重要かつ、本質的な観点なのだ。

 

だが、作業量を減らすことは、けっこう難しい。難しいのは、内的要因、外的要因どちらもあると思う。

 

内的要因としては、感覚として、作業が減る=仕事が減る=自分の貢献できる箇所が少なくなるということに、一種の恐怖感を抱いてしまうのと、なんとなく、するべき仕事少なくする、という考え方が、「勤勉」な日本人のまっとうな感覚とずれるから、という仮説を持っている。

 

そして外的要因としては、仕事を減らすということは、必ず周りを巻き込む必要があるので、そこのコストや障壁を乗り越えるためにスキルがいる、ということである。

 

例えば、定例MTGの時間を短くする、グループとして今まで守っていたルールや案件を捨てる、チームメンバーのモチベーションを下げるような言葉を言ってしまうような人を諭す、振られた仕事をそのまま受けるのでなく、周りに分散して渡す、などなど

 

抽象化すると、「今まで守ってきたものを捨てる」ことに関して、説得するためのコミュニケーションスキルが必要なので、仕事量を減らすことは難しいのだ。

 

今まで実践したことを捨てるというのは、ある意味現在の体制への否定である。否定をすると角が立つし、それにより相手を不快にさせ、それが自分に返ってくるかもしれない。今の体制によりメリットを受けている者(=既得権益者)から、攻撃を受けるかもしれない。そのようなリスクを減らしつつ、自分の状況を良くするため(この文脈で言うと、自分の作業量をへらす)というのは、結構難しい交渉事である。

 

また、「これはできません」というのは、自分のスキルや器に「限界があります」と言っていると同義なので、周りからの評価がこの自分への限界にどう反映されるのか。

「あいつは仕事ができないなぁ」となるのか、「あ、本当に大変そうだな、今まで仕事をこういう風に振ってしまい、申し訳なかったな」と思わせるかで、「できない」ことへの捉えられ方が全くことなる。これを後者にさせるのもコミュニケーションスキルである。

 

僕もそうなのだが、こういうコミュニケーションは、大変だし難しい。相手のことを配慮した上で実施する必要があるので、大抵は自分で仕事を持っちゃうか、もしくは「ゴリ押しで」仕事量を少なくすることで、周りから悪い印象を持たれるかのどっちかになっちゃうと思う。

 

また大変だけでなく、勇気も必要だ。勇気を振り絞って「やりたくないです」「できません」という必要がある。

 

ただ、やはり生産性を上げるためには、このような「現状を否定する勇気」が必須だと思うし、そのような勇気ある者がいないと、「本当にこの仕事って必要なんだっけ?」と振り返るきっかけも生まれない。みんながYESマンだと、会社全体が作業量で崩れ落ちていくだけだ(と考えている)

 

でも、勇気ある者なんて本当に一握りだから、だからこそ勇気がなくても意見や感じることをフラットに言い合える会社の雰囲気、グループの関係性が生産性に一番重要なのだと思う。

 

Googleが実施した有名な実験がある。

gendai.ismedia.jp

 

端的に言うと、「生産性向上には心理的安全性が必要」ということなのだが、そこの本質は、「この仕事は本当に必要?必要でない?本当にやるべき?みたいな議論がフラットにできる関係性だと、会社やグループとして本質的なもの、重要なものだけ取り組む体制と自然になってき、その結果短い時間で成果が出るようになる」ということだと解釈している。

 

勇気を持つものは尊いが、勇気を持たなくても意見が言える関係性が一番尊いのだ

 

そのような感覚を大事にしながら、日々人とコミュニケーションをとっていこうと思う。

 

 

をかず

 

人生はRPGと同じっと最近つくづく思う

僕はゲームがあまり好きでなく、今までやったゲームは、ポケモンパワプロモンスターハンター、激闘忍者大戦、ナルティメットヒーロースマブラスーパーマリオ64、みんゴルゼルダの伝説時のオカリナ、FF1&2くらいしかないのだが(あれ、けっこう多い、、)その中でも一番好きなのは、ダントツで時のオカリナである。

 

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なぜ好きかと言うと、

  • ストーリーがとてつもなく美しい(時空を超えた愛のストーリー。まるでインターステラーだ)
  • 敵キャラが程よくあんまり強くない(小学生低学年には重要)
  • 音楽がすばらしい(好きすぎて、留学中大学の↓の写真の鐘で演奏して、全バークレー学生に迷惑をかけるレベル)
  • ãUC berkeleyãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

またRPGの、少しずつレベルやスキル・武器レベルを上げてきて、どんどん強い敵を倒してくというのは、人間の脳のドーパミンをドバドバ出させて、中毒にさせる要素である。

 

レベルアップすればボスにまでたどり着けるが、レベルアップしないままボスに挑もうとしても、その前の中ボスに阻まれて終わる。要するに、自分のレベルと敵の手強さのバランスをとって進めないといけない

 

誰が言い出したかはわからないが、表題の「人生はRPG」みたいな言葉は良く聞くし、「ふーん、そうなんだ」としか思ってなかったが、最近つくづく「本当にそうだな」と思う。

 

特に、

>自分のレベルと敵の手強さのバランスをとって進めないといけない

 

というところがだ。

 

最近、(というが前からだが)僕はギリギリに生きている

 

ギリギリに生きているというのは、どういうことかというと、自分のキャパギリギリでできることをしている ということだ。あぁ、今になってあれだけバカにしていたKAT-TUNのRealFaceの歌詞の意味を今になって噛みしめるとは、なんたる皮肉なことか。

 

↓ギリギリで生きている人たちが歌っている『Real Face』

www.youtube.com

 

例えば、僕は新卒1年目~3年目は、正直目の前の仕事が手強すぎて、仕事がある平日に趣味に打ち込んだり勉強したり、、はなかなかできなかった。

 

ただ、「セルフマネジメント」というスキルレベルを少しずつ上げていって、最近は、平日でもギター教室に通えるくらいに仕事を早く終わらせられることができるようになった。

 

だが、空いた時間をギターに費やすのであれば、結局はやっぱり「時間がない」状態は続くのである。つまりギリギリなのである。

 

それでも、同じ時間で色々なことに取り組むということは、「生産性が上がっている」ので良いことかと思う。そこは自分を認めようと思う。

 

ただ、ここで落とし穴がある。

 

いくらセルフマネジメントができているからと言って、いきなり色々なことを詰め込みすぎると、破綻する。

 

今は

・仕事+ギター

 

というRPGで言うと敵をやっつけられるレベルであるのに、いきなり

・仕事+ギター+習字+◯◯、、、、

 

という風に詰め込むとキャパオーバーになり、僕の場合、精神的に色々と頭を悩ませたり、擦り切れたりして、最終的に不眠に陥る。ToDoがアンコントローラブルな状態だと、人生における不確定性が増して精神衛生上良くない、ということだと思う。

 

だから僕が今やるべきことは、

・仕事+ギター

 

という今のレベルの中で、少しずつさらなるセルフマネジメントを磨いていき、次第に何かを↑に追加できるレベルにまで上げていくということだ。

 

そしてそれは、RPGでのレベル上げと同じように、Step by step、One by oneでないといけない。決してポケモンの赤青緑のような、ポケモンが一気に100レベになるようなバグは、僕の人生にはない。

 

それが今の僕のキャパなんだ。

 

と少し諦めるような、自分の限界を感じるような悲しい気持ちにもなるが、まぁそれを認めてコツコツレベルを上げれば良いのでは、と思う。

 

だってこれが僕という人間のReal Faceなのだから。

 

 

 

KAZ-ZUN

 

「相手の立場にたってものを考える」力は、ワールドワイドで一番重要なのでは?という仮説

もうすぐGWも終わる。

 

結局僕は、実家に行く以外は、本当にこれと言った外出はしなかった。毎日毎日六本木のスターバックス、我が家、実家を行ったりきたりする日々。人はこれを「GWの大三角形」と呼ぶらしい。

 

データ分析の勉強も、重回帰分析やコンジョイント分析等、一通りはなぞれたので、今日から英語の勉強を始めた。

 

曲がりなりにも米国に留学はしているので、英語はまぁまぁできる方だと思うが、僕の近い将来の目標である「海外で仕事をする≒英語で仕事をする」には全然力不足だ。

 

特に、ビジネスの場でふさわしい英単語やフレーズを使い回すというスキルが圧倒的にたりない。よって、ここから数ヶ月はその力を養うためのインプットの期間にすることにした。

 

今日読んだのはこれだ。

books.rakuten.co.jp

 

これは、単語帳というよりは、このフレーズを使うと、お願いするときや意見を言うとき、断るときなどのシーンにて、丁寧な表現になるよ、という枕詞やクッションワードについて、色々と教えてくれる本だ。

 

一例だが

・I would greatly appreciate if you~(~してくれると本当にありがたいです)

・Would it be possible if I ~(~しても大丈夫でしょうか)

・It would be helpful if you kindly ~(~してくださいますと、本当に助かります)

・I am afraid that it seems~(申し訳ないですが、~のように感じるのですが、、、)

などなど、、

 

とにかく、日本人がびっくりするくらいに丁寧かつ慎重で、少し冗長とも言える表現がもりだくさんである。

 

留学していた僕でも思うのだが、「英語ってこんなに丁寧に言うものなの??」って思わないだろうか。

 

特に、日本語は敬語が厳しいが、英語はストレートという印象を僕らは抱かないだろうか?思ったことはストレートに言えるし、議論も当たり前のように実施される、というイメージを僕らは英語を利用したビジネスシーンにおいて抱かないだろうか?

 

この本を書いた人は、外資系金融機関のゴールドマン・サックスにいたらしいのだが、そこにいた仕事のできる人は、この本の書いてあるような、配慮あるフレーズを使いこなしていた、とのこと。

 

この本には、その背景や目的等詳しくは書いていなかったので、「なんでだろう?」と少し考えてみた。

 

結論から言うと、結局は「相手の立場になってものを考える」ことは、日本だけでなく、外資系企業等も含めワールドワイドにビジネスシーンで重要なのではないか、という考えに至った。

 

先程の英語フレーズは、いわゆる枕詞やクッションワードと言われるものばかりである。その言葉を、あえて冗長になりながらも加えるのは、他でもない「相手の気持ちを慮る」からに他ならない。

 

では、なぜ相手の気持ちを慮るかと言えば、結局は相手に嫌な気持ちをさせることなく、自分の意見や主張を通したかいからであろう。

 

ただ相手の気持ちを優先するだけなのでなく、自分の意見を言うことと、相手に嫌な気持ちをさせないことを両立させる。その両立のために、枕詞やクッションワードが効力を発揮する。そして、その枕詞やクッションワードは、「相手がそれを聞いたらどのように思うだろうか?」という認知力が無いと、上手く使いこなせるものではない。よって、それを使いこなせる人は、ある程度メタ認知ができ、相手の気持ちに敏感な人であろう。きっとこの本の著者は、そういう人のことを「仕事ができる」と言ったのだ。

 

英語だと、とにかく直線的に言いたいことを言う!という印象を抱きがちだが、言語が変わろうと、結局は「相手の立場にたってものを考える」ことを実施したうえで、適切な言葉遣いをする、というのは、きっと全世界的に変わらないのだと思う。

 

僕らも、日々の生活のなかで、自分の経験や考え方に縛られ相手を見てしまうことがあると思うが、やはりなるべく相手の感情には真摯に向き合っていきたい。向き合うべきだと思った。

 

ただ、相手に嫌な気分になってほしくないからと「言いなり」になるのではなくて、結局は相手を配慮するのも、自分自身の達成したいアウトプットに繋げるという、少々したたとも言える考え方は捨てるべきではない。

 

「情けは人のためならず」という言葉って、人への情けは、結局は自分に都合よく帰ってくるという意味だと思うが、今回の「相手の立場にたってものを考える」というのも、同じ文脈で語れるのだと思う。

 

Jazzを学んでいて身にしみる「型」の重要性

GWに入ってからというものの、僕は平凡な日々を過ごしている。

 

元々「人生逆張り!」がモットーな僕は、こういう連休中にレジャーは、人も混むしあまりしたくないのだ。嫁には悪いが、毎日10時半には寝て、次の日5時半に起きて、7時からスタバで読書と勉強をする、というのを毎日行っている(嫁も朝は遅いものの、夜寝る時間が共通しているのは本当にありがたい)

 

7時にスタバについて、お昼の時間までは何かしら本を読んだり、勉強したりしている。このGWはビジネス統計を復習しようと思い、今日やっと単回帰分析まで終えたところ。進めている教材はこちらであーる

 

books.rakuten.co.jp

 

そして午後から僕のギターの練習が始まる

練習時間は日によってまちまちだが、だいたい1時間くらいかなぁ。


Jazzギターというとかっこよく聴こえるが、以前どこかで書いたのだが、Jazzといっても共通したフレームワークに沿って演奏がなされるので、Jazzギターを練習する、といっても、その半分以上はそのフレームワークを覚えることに時間を使う。

なんとなく楽器をやったことがある人ならわかると思うが

  • それぞれのコードとその構成音
  • スケール
  • モード

みたいなものを、ひたすら覚える。覚えるためにギターを鳴らす。ギターを鳴らしながらその響きや音階を頭に入れる、、、それの繰り返しだ。高校生が電車で単語帳持って英単語をひたすら覚えるかのように、毎日コードやスケールとにらめっこ。必死に頭に記憶を刻みながら地道に積み重ねていく、まじで受験勉強と同じ泥まみれの毎日である。

 

英文法でSVO、SVC等文型を覚えるかのように、Ⅱ→Ⅴ(ツーファイブ)というコード進行(和音の進み方)の型を頭に入れる。音楽でさえ、クラシックやJAZZの先人たちが気づきあげたものを再現させようとすると、そのような「型」のを蓄積する他ないのだ。

音楽を学ぶことは、「型」の蓄積そのものである。

 

ただこの「型」というものは、何も受験勉強や音楽だけのことではないのだ。

 

例えば、営業の仕事なんてどうだろうか。

この前ブログでも書いたが、「ロジカルセリング」という言葉もあるくらい、営業はある程度はロジックで説明できるもので、それはすなわち「型」化できるということだ。

 

僕が普段業務で行っている

  • メールや電話等のお客様向けコミュニケーション
  • エクセルやパワーポイントの資料作成
  • 社内調整時の社内コミュニケーション
  • SFAツールを利用した事務作業

これらは全部、型化できる。八幡の感性に沿ってクリエイトされたものでもなければ、属人的なものでもない。全部がぜんぶ、本や先輩から教わったもので説明できる。

 

ドラッカーの本を読んでいると、経営でさえ僕は型化できるのではないか、と思う。

 

『マネジメント』は、マネージャーとして企業の使命-グループの使命-個人のモチベーションを結びつけるための姿勢やアクションという型の重要性を説く本だし、『イノベーションと企業家精神』は、企業が新しい価値を世に産むための方法論や思考の切り口に関する型を教えてくれる本だ。

 

考えてみると、100%純粋な属人的な感性から生み出されるものなんて、そうそうない、ということがわかる。

 

どんな分野でさえ、僕たちは何かしら先人が築いたフレームワークに沿って物事を判断していると思う。

 

そうすると、そのいろんな分野におけるいろんな型をインプットして、適材適所使い分けるだけで、物事のすべてはうまくいくような気がする。

 

例えば仕事でも、八幡の仕事そのものを説明可能な型に落とし込めれば、その仕事は別の人が担うことができるし、僕がいなくても全く問題なく仕事が回ることである。

 

「仕事をする」ということは、たくさんのタスクを持つことでもなければ、属人的で芸術的な感性に則った創造物を作るものでもない。(もちろんそういうアーティスト的な人はいるとは思うのだが)

 

「仕事」は、本質的には、だれでも「型」に則れば回るようにすることそのものが、音楽におけるJazz理論に則った演奏をするのと同じで、仕事として重要なんだと思う。

 

型が100%!とは言わないが、99%くらいは占めるのではないかしら。

 

そうすると、僕たちのアクションとしては

  • まずはたくさんインプットをする(本からがコスパ良い。もちろん先輩の経験からもインプットできる)
  • インプットをアクションする
  • アクションの進捗をみて、「型」の有効性について認識する
  • 自分なりの経験や実績に沿った新しい「型」を作ってみる

 

という、インプットと実際のアクションを積み重ね、型を型として認識し、蓄積する作業が重要なのかと思う。

 

 

散文失礼しましたm(_ _)m

 

「人の良い」と「仕事ができる」は比例している

この話は、人との連携が必要な仕事を前提に置いている。

 

保険代理店の営業やインベストメントバンクのトレーダーのような、個人でほとんどすべてを網羅できるような仕事は前提に置いていない。

 

僕は、ITソリューション企業に務めている。

 

ITメーカー、というように、決まったパッケージ製品を売るというより、クラウドやハードを組み合わせたり、はたまたそこに開発を加えたりと、色々な可能性の中から、お客様の課題に最適なものを提案する、いわゆるソリューションの提案を良くしている。

 

ソリューションの提案は、実は相当大変だ。

 

なぜなら、営業一人で提案にこぎつけることはほとんど不可能で、案件の規模が大きくなればなるほど、SEや開発部隊等、提案までに関係してくる人数が増えていくからだ。

 

IT企業の人ならわかると思うが、技術系の方々がたくさん関連してくるなかで一つの提案を練り上げるのは、針に糸を通すように難しい。

 

営業の「売りたい」と、技術系の「技術的に可能なことをリスクを少なく実施したい」のスタンスはトレードオフになるところが大部分だし、そこのすり合わせが十分にできないまま営業の独断で売ってしまい、後で大炎上することもあるだろう。

 

このような、人との連携が前提となり進めていく仕事では、「人が良い」というのは、それだけで大きなアドバンテージであり、必須スキルとなると最近感じている。

 

「頭が良い」とか、「ロジカルである」ということももちろん大切だと思うのだけど、人は「ロジカル」と思うもののために動くのでなく、「好きだ」と感じるもののために動くのだ。なので、「人が良い」人は、好かれやすいし、それだけ周りを巻き込んだ仕事も進めやすいだろう。

 

ではそもそもどんな人を「人が良い」と定義すれば良いだろうか?

 

これは、色々あると思うし、そもそも定義する必要もあるのか?という問いもあるだろう。しかし、僕の3年間の拙い社会人経験から敢えて定義をするなら、それは「相手の立場になってものを考えることができる」人だと思う。

 

「相手の立場に立ってものを考える」なんてあたりまえ、基本中の基本っと皆考えるが、考えることと実践することは全く別のものだ。人間は皆自分の精神的な優越性を保つための本能があるし、攻撃された相手に対しては攻撃したくなるものだ。世界を自分で色づけた色眼鏡を通して観てしまうのは仕方ないことだ。

 

ただ、やはり僕が会社内外でも「すごいなぁ」と思える人は、自分の色眼鏡の色を極力薄め、自分の眼ではなく、自分の頭から垂直に少し伸びてる、少し高いところから俯瞰してものを観ている。自分と相手の感情への感受性が高く、かつそれを受け入れたうえで理性的な判断ができる。結果、相手にも自分自身にも配慮した、バランスの良い言動ができる人だ。

 

逆に一番やっかいなのは、自分自身を「頭が良い」と思っているだけでなく、それを周りに振りまく人だ。「私僕俺頭が良い」と思っており、「それを周りから認めてほしい」と欲求を周りに振りまく人は、その感情こそが相手を受け入れる余地を狭めてしまっており、コミュニケーションが取りづらいことこの上ない。

 

「頭が良い」人が、その人が「そうとは思わない」人へ攻撃している様を見ると、この上なくイライラするし、周りの感情や生産性に配慮しない、本当に迷惑な行為だ。結果その人についていこう、という人は少なくなり、周りを巻き込んだ仕事はできない。チムが機能しない。

 

仕事の方法論に関する本はいっぱいあるが、こういう本質的な人間性について説いた本って少ない。それほど、盲目的な観点かもしれないが、僕は「人が良い」ことこそが、仕事を進めるにあたって本質的なものであると思うし、そういう人ってなかなかいないものだな。。って思うのだ。

 

ま、稲盛和夫の受け売りなのだけど。。。

 

 

かずを

感覚的なもの(アート)と説明可能なもの(ロジック)を行ったり来たりできる真摯な人こそ最強である

今日は久しぶりに読書感想文でも。

 

以下の本を読んだ。

www.diamond.co.jp

 

私が好きな作家さんである山口周氏が以前Facebookでおすすめしていて、昨日TSUTAYA Roppongiでプラプラしていたら平積みにされていたので、思わず購入。そのまま読んでしまった。

 

この本は、基本的に山口周氏が『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』で言っていることと変わらない(こちらの読書感想文はこちら) 

kazunori88ta.hatenablog.com

 

これらの本が言っていることを簡単に要約すると

  • ビジネスにおいて、ロジック(説明性)だけで勝負するには限界がある
  • なぜなら、ロジックだけで勝負すると、ゆくゆくは行き着く先、ゴールは共通し、コモディティ化するのと、VUCAワールド(=変動性が激しい経済)において、ロジックのフレームでたどり着く結論など、本当に正しいかどうかは誰もわからなくなってしまうからだ。
  • 今後、価値となっていくのは、人の「好き嫌い」や美意識に基づいた感覚的なものであり、その感覚を磨いていくことと、見える化・サービス化することが、今後VUCAワールドでの個人・企業としての生き方にとって重要となる。

である。

 

特に『直感と論理をつなぐ思考法』では、その自分の感覚や美意識をどのように見える化し、サービス・プロダクト化していくかの方法論が述べてある。

 

その方法論は、正直1度読んだだけで理解できるものでないし、正直読んで理解するよりも、手を動かして実体験していくことが重要なので、こちらのブログには詳細は記述しない。ただ、エッセンスは以下のようなことが挙げられるだろう

  • 他人のことでなく、自分の感覚や気持ちに正直な「余白」時間を作り、その時間で自分自身の感覚を手を動かしてアウトプットしていく(=プロトタイプを作る)
  • そのアウトプットを、他社の目線や俯瞰的な視座からのフィードバックを得ながら、変容させていき、常により良いものとしていく

の2点。正直これだけじゃまったく理解できない(というか、僕自身が理解していない)と思うが、重要なのは、MECEなどのロジックや、フレームワークを用い、「テキスト」を使って見える化するのでなく、絵や色の視覚、聴こえるもの、感じるものを感じたままに表現していく、ということになる。

 

結果アウトプットされるものは、もちろんテキストを使った企画書でも報告書でもなく、絵や図が多様された紙芝居でも、稚拙なものでも良い。需要なのは、その感覚的なアウトプット(=プロトタイプ)をもとに、色々な意見やフィードバックをもとにどんどん変容させていく、という態度、考え方である。

 

この「個人の感覚や情熱に沿って体現されたもの」こそが、ロジックの力だけじゃたどり着けない、人の感性に寄り添ったプロダクト・サービスなり得るものであり、それこそが、今後の企業・個人にとって重要となるもの(≒金になるもの)になるのだというのがこの本の趣旨だ。

 

 

さて、ここからが、僕が感じたこととなるが。

 

 

この本で言っていることはわかる。

 

今や、SNSで人々の「好き」が集められ、そこから金を生み出すことも簡単な世の中だし、僕自身も営業として、ロジックでお客様を納得させることと同じくらい、コミュニケーションやなんとなく「好かれる」ことが結果的な売上に結びつくことを実感している。

 

ただ、「感覚的なもの」や「個人の好き嫌い」だけで勝負できるか?って言ったら、それは明らかに間違いだと思う。

 

やはり、企業としては体として説明性をもとに意思決定をしていくし、傾きつつある企業に戦略コンサルが入って、説明性をもとに企業を建て直していく事例があるのだから、個人にとっても企業にとっても、ロジックはやはり重要な要素なのであろう。

 

一番重要なのは、その感性とロジックを行ったり来たりすることなのではないか、ということだ。

 

感性とロジック、それぞれにおける限界をしっかり認識した上で、その両輪を適材適所に使い分けるという力こそが最強だと思うのだ。また、その2つそれぞれをうまく組み合わせ、周りに理解してもらいつつ巻き込こんでいく力のもとは、「真摯さ」なのだと思う。

 

「真摯さ」は、ドラッカー氏が『マネジメント』で、マネージャーに一番必要な性質と主張しているが、僕は、マネジメントだけでなく、誰でも周りの人を巻き込んでいくためには必須な要素だと思っている。

 

「真摯さ」がなければ、いくらロジカルに明快な主張をしていても、「正論を言う嫌なやつ」になってしまうし、「真摯さ」がなければ、感性が強く、パッションがある人も「なんかよくわからないやつ」になってしまう。真摯に周りの人とコミュニケーションをとり、理解してもらうことをおろそかにしてしまうと、その人が持つロジックも感性も、価値にはなりえないだろう。

 

 

ちなみに、話がすごく変わってしまうが、僕が最近好きな音楽家にTom Mischという、ギタリストであり、トラックメイカーの人がいる。

 

彼は、幼少期からクラシックを学び、学生のときは、JAZZをやっていたらしい。

少し音楽をかじった人ならわかるかもしれないが、ClassicもJAZZも、かなりロジックにガチガチに縛られている。JAZZは即興演奏が多く、ラフな感じというイメージがあるかもしれないが、とんでもない。JAZZの即興演奏は、マイルス・デイヴィスが完成させた「モードというフレームに沿って、正しい音を組み合わせながら演奏する」というロジカルな表現そのものだ。(もちろん、JAZZも色々種別や分類があるのだが、いわゆる一般的に皆さんがイメージしているものを言っている)

 

だから、僕はJAZZは好きだし、聞いていて心地が良いが、パッションは感じない。

 

しかし、Tom Mischのギターは、ClassicやJAZZの理論に基づき、聴いていて「教養があるなぁ」と思いつつ、その教養だけでは表現できない「何か」があるからこそ、僕は夢中で夢中で仕方ないのだ。

 

それは、アートや武芸で言う、「守破離」の離、つまり、根本的なフレームを理解しつつ、そのフレームから逸脱したことをやりつつ、そのバランスをうまく保つことに似ている感覚があると思う。

 

僕がここで、Tom Mischの話をなぜしたかというと、まさにロジックと感性を行ったり来たりすることが、彼が音楽で表現していることそのものである、と感じたからだ。

 

彼の音楽に教養を感じるからこそ、僕はそれを聴いていて安心しリラックスできるし、教養だけではない彼自身の表現やパッションを感じるからこそ、僕は彼の音楽を聴いて熱狂するのだ。

 

ビジネスでもこのような、ロジックや感性のバランスをとることがきっと重要なのだと思う。そのバランスと、相手に理解してもらおう、という真摯さこそが、今後のVUCAワールドで人々に幸せを与えていく、唯一無二の個人・企業を土壌となるのではないか。

 

最後に、TomMischの教養と感性が溢れる音楽をどうぞ。

 

 

www.youtube.com