Kazunoriの読書記&振り返りぶろぐ

2016年卒 ビジネスパーソン3年目の(IT企業勤務)の読書記かつ、日々仕事や生活の中で感じたこと、考えたことを記していくブログです。

嫁とモメたときに意識すること

表題が僕的にウケるのだが、これについて備忘録として書こうと思う。

 

2月に結婚して、以降色々な関係性の夫婦を見てきたのだが、夫婦には色々なパターンがあると言っても、だいたい3つの型に収まるのではないか、と思う。

 

①夫婦完全シンパシー型(八幡統計によると母数の5%)

②嫁諦め型(同じく55%)

③旦那歩み寄り型(同じく40%)

 

の3つだ。

 

それぞれを簡単に説明しよう。

 

①は、夫婦の価値観がかなり一致していて、夫が考えていることは嫁が考えていること。嫁が考えていることは夫が考えていること、という状態に普通になる夫婦だ。

 

この夫婦の特徴としては、何より喧嘩が少ない。
価値観がだいぶ一致しているので、何かに関してモメる、ということがほとんどなく、「え?私達、全然喧嘩しないよ~」という雰囲気の夫婦である。

そのような夫婦には、パワーバランスという概念が無く、お互い意識せずとも良い関係を築ける理想的なタイプだ。

 

②と③は、パワーバランスという概念が存在しており、②の「嫁諦め型」は、夫>嫁 というバランスなのに対し、③の「旦那歩み寄り型」は 嫁>夫 というバランスである。

 

どっちが良い、悪いという問題でなく、夫婦の力学が異なるだけだ。

ただ面白いのが、自分の両親等、所謂昭和のど真ん中の世代については、基本②がデフォルであるということだ。(もちろん、断定できることではないが、基本的な昭和のイメージとしては、嫁は旦那を立てる、ということが当たり前の価値観として浸透していたと感じる)


一方、僕ら平成生まれが結婚すると、たいてい③の型で成立しているカップルが多い。
そして僕の家も③の型で成立させようと努力をしている、というのが現状だ。


このパワーバランスなのだが、なんとか均等に保とうとしたのだが、無理だった。笑

男と女とでは、そもそも使うパワーの要素が全く異なる。男性はロジックというパワーを使うし、女性は感情というパワーを使う(これも断定はできないのだが、少なくとも僕と、僕の周りの夫婦を見て、という前提での推察となっている)

 

そこで、ロジックと感情のパワーの勝負になると、なんともこれが面白い。
何を勝利にするか?というゴール設定により、このロジックと感情の勝敗が分かれるのだ。

 

例えば、「正しさ」をゴールにすると、やはり物事の筋を通せるロジックは、感情を遥かに凌駕できる武器である。しかし、正しさをゴールにパワー勝負すると、ロジックが勝つ場合でも、夫婦お互いの感情がどうなるかと言うと、まるで砂嵐の去った砂漠のようである。要は不毛だな、と思うのだ。

 

そこでゴールを「お互いハッピーでいられること」という設定をしたとしよう。その場合、ロジックなんてものは、核兵器のようにそもそも使うことが許されていない武器である。

だから、嫁と口論になったときは、「は?よくわかんないんだけど?」という言葉を喉元にぐっととどめ、まずはその嫁の感情を受け入れることが必須だ。これができず今まで何回喧嘩をしただろうか。

 

ただ、旦那の立場からすると、「ただ俺が我慢するだけなのかよ」と、不満を内にとどめておくと、またいつ戦争が勃発するかわからない。それを防ぐために、なんとか良い形で内に秘めた言い分、通したい筋を嫁に伝える必要があるのだ。

 

それがまた難しいのだが、最近編み出した術は、「コミュニケーションの許諾を取る」ことである。

 

何かに関してモメたとき、まずは嫁の言い分を聞き、感情を受け入れる。
十分「うんうん」と聞き、嫁の言い分が途切れたタイミングで、「あなたの気持ちは良くわかった。じゃあ次は、僕がどう思ったかを伝えてもいいかな?」と、まずはこれからこちらの言い分を伝える許諾を取るのだ。

そうすると、嫁も「わかった」と傾聴姿勢になり、こちらも丁寧に、「あのね...」と優しい口調で自分がどう考えたかを伝えることにより、なんと嫁もこちらの言い分を聞いてくれるのだ!!!


この許諾を取る行為無しに、「いや、僕はこう思う!!」と自分の言い分を強行突破させようとすると、絶対に嫁はそれを阻めようとするのだが、しっかり段取りを組めば、嫁の感情も理解できるし、こちらの感情やロジックも理解してもらえるし、お互いハッピーな結果となるのだ。

 

どんな夫婦にも、この「コミュニケーション許諾の先行取得戦法」が通じるかはわからないが、まぁお互い価値観が異なる間柄でのコミュニケーションのとり方としては、通用するものだと思う。

 

・・・・

 

なんか、嫁の陰口みたいな記事になってしまったが、僕は嫁にすごく感謝している。

 

 

というか、結婚自体に、かな?

 

結婚して、お互い一緒に生きていくことを決めたからこそ、このような歩み寄りの精神が自分に生まれたわけだし。。

 

人間として、少し成長できたのかなぁと思う。

 

あざす!!!!\(^o^)/

 

 

海外に来ると良いこと

ハニムンでトルコであーる

 

今到着3日目の朝早くだが、本当に到着してからの2日は大変だった。

 

まずは、成田からモスクワを経てトルコに到着するまでに利用してたエアロフロートだが、しっかりロストバゲージをしてくれやがった><

 

ちなみに、荷物は今朝受け取った。

 

僕はまだ良いけど、嫁は大変だ。

やれ化粧道具やら、下着やら、服やら、全くないので買い揃えないといけない。

 

海外旅行保険が効くからお金の問題は無いものの、本当は観光に充てるべきだった時間も必要、周辺の服や生活用具品を販売している店の情報も必要(そしてそれがまた得づらいのだ)何よりそれに付き合う僕の根気がいる。

 

なるべく怒らないようにするけど、色々な状況が重なりやっぱり怒りそうになる。そして、それを嫁が感じ取り嫁も怒る。

 

夫婦水入らずの初めての旅行のはずが、夫婦の初めての試練となる。

 

このような、トラブル時にこそ、お互いの価値観がわかるタイミングなので、適当に対応せずに、お互いの考えや価値観について、傾聴と対話の姿勢が必要だ。

 

恐らく、子供ができたり家を買ったり、そのような夫婦人生の一大事においては、必ずお互いの価値観のぶつかり合いが発生する。

 

そのぶつかり合いを、ぶつかり合いとして処理するか、それを価値観のすり合わせの場にするかで、その先の夫婦関係は変わってくるのだろう。また、自分自身の変容の絶好の機会だ。

 

人間は恐らく、どんな人でも自分が一番かわいいものだ。自分のことをイケていると思いたいし、自分の考えはある程度正しくて、自分の行動を、ある程度の考えを基に行ったrationalなものと感じるだろう。

 

ただ、周りから見ると、本当に自分自身が正しいか、というのは微妙な所であって、正義や価値観の種類は人間の数だけあるものだ。その中で、自分自身を絶対的に正しいものとするか、周りを受け入れるか、で人間の器の大きさも変わってくるのだろう。

 

そんな偉そうなこと言う僕は、自分が大好きだし、自分自身の考えも行動もすべて称賛したいし、本当に大好きで仕方がない。

 

しかし、その自己愛を夫婦感に持ってくると単純にこじれる、ということを痛感した。

 

イチローみたいに自分を貫き通すことは美しいし、周りとの差別化を生むものだが、人間関係の中でそれをするとやっぱりこじれるなぁと思う。

 

ある人間関係を持つことを望むなら、それはすなわちその人との関係性を保つため、ある程度の自己犠牲もいとわないという覚悟が必要なのだ。

 

だから、自己愛により生きていきたい人は、人間関係そのものを無くしたほうが合理的だ。僕はどっちかと言うと、そういう生き方をしたいタイプだ。

 

ただ、僕は結婚という、ある人と人生を分かち合うための選択をしたので、分かち合いの精神は持たないといけない。持たないなら、「なんで結婚したの?」となるからだ。

 

そのような、自己愛と夫婦愛の間で揺れている26歳の男です。よろしくお願いいたします。

 

本当は、イスタンブールの街を歩いててい感じた芸術と宗教の関係だったり、人種が入り乱れている街のなかで、日本人としてどのようにあるべきか?という一種のナショナリズムについてだったり、もっと書きたいことがあるが、一旦ここまでにしとこう。

 

をかず

 

生産性を上げるのに、コミュニケーションは割と重要なのではないかという話

生産性を上げる!!!!!!!

 

 

という言葉がバズワードのように私の会社で囁かれるが、おそらく昨今はどこの業界もそうだろうな、となんとなく感じる。

 

ギターを習い始めてから、けっこう本当にギターを上手くなりたい、と思っているので、いかに練習時間を確保するかというのは死活問題で、そのために「短い時間でいかに仕事を終わらすか」というのは、僕の最近の命題でもある。

 

仮に、 労働生産性=仕事(=成果)÷ 費やす時間 だとすると、
生産性向上を実現させるための手段はたぶん

①自分の作業自体のスピードを上げる(仕事量は同じだけど、費やす時間を短くする

②作業自体を少なくする(費やす時間は同じだけど、仕事量を少なくする)

 

の2パターンが基本となるだろう。

 

そして僕自身もそうなのだが、①から取り組む人が多い。

ショートカットキーを使いましょう、メールや資料はテンプレを使おう、情報は誰でもアクセスできるよう整理してクラウドに格納しよう、作業の自動化をしましょう、、、等等

 

僕自身も、自分のことを「Mr. ショートカット」と呼びたいくらい、↑のような作業効率UPの手法は網羅して実践しているが、実は、これは思ったほど効果がでない。

 

なぜかというと、「作業を早くする」を追求して仕事を進めると、作業を早くしてあまった時間に別の作業が入ることに関し抵抗感を抱かず、いつの間にかもっと多くの作業を持ってしまうことになるからだ。

 

どっちかというと、本当の意味で生産性を上げることは、「いかに作業量自体を減らすか」ということの方が重要かつ、本質的な観点なのだ。

 

だが、作業量を減らすことは、けっこう難しい。難しいのは、内的要因、外的要因どちらもあると思う。

 

内的要因としては、感覚として、作業が減る=仕事が減る=自分の貢献できる箇所が少なくなるということに、一種の恐怖感を抱いてしまうのと、なんとなく、するべき仕事少なくする、という考え方が、「勤勉」な日本人のまっとうな感覚とずれるから、という仮説を持っている。

 

そして外的要因としては、仕事を減らすということは、必ず周りを巻き込む必要があるので、そこのコストや障壁を乗り越えるためにスキルがいる、ということである。

 

例えば、定例MTGの時間を短くする、グループとして今まで守っていたルールや案件を捨てる、チームメンバーのモチベーションを下げるような言葉を言ってしまうような人を諭す、振られた仕事をそのまま受けるのでなく、周りに分散して渡す、などなど

 

抽象化すると、「今まで守ってきたものを捨てる」ことに関して、説得するためのコミュニケーションスキルが必要なので、仕事量を減らすことは難しいのだ。

 

今まで実践したことを捨てるというのは、ある意味現在の体制への否定である。否定をすると角が立つし、それにより相手を不快にさせ、それが自分に返ってくるかもしれない。今の体制によりメリットを受けている者(=既得権益者)から、攻撃を受けるかもしれない。そのようなリスクを減らしつつ、自分の状況を良くするため(この文脈で言うと、自分の作業量をへらす)というのは、結構難しい交渉事である。

 

また、「これはできません」というのは、自分のスキルや器に「限界があります」と言っていると同義なので、周りからの評価がこの自分への限界にどう反映されるのか。

「あいつは仕事ができないなぁ」となるのか、「あ、本当に大変そうだな、今まで仕事をこういう風に振ってしまい、申し訳なかったな」と思わせるかで、「できない」ことへの捉えられ方が全くことなる。これを後者にさせるのもコミュニケーションスキルである。

 

僕もそうなのだが、こういうコミュニケーションは、大変だし難しい。相手のことを配慮した上で実施する必要があるので、大抵は自分で仕事を持っちゃうか、もしくは「ゴリ押しで」仕事量を少なくすることで、周りから悪い印象を持たれるかのどっちかになっちゃうと思う。

 

また大変だけでなく、勇気も必要だ。勇気を振り絞って「やりたくないです」「できません」という必要がある。

 

ただ、やはり生産性を上げるためには、このような「現状を否定する勇気」が必須だと思うし、そのような勇気ある者がいないと、「本当にこの仕事って必要なんだっけ?」と振り返るきっかけも生まれない。みんながYESマンだと、会社全体が作業量で崩れ落ちていくだけだ(と考えている)

 

でも、勇気ある者なんて本当に一握りだから、だからこそ勇気がなくても意見や感じることをフラットに言い合える会社の雰囲気、グループの関係性が生産性に一番重要なのだと思う。

 

Googleが実施した有名な実験がある。

gendai.ismedia.jp

 

端的に言うと、「生産性向上には心理的安全性が必要」ということなのだが、そこの本質は、「この仕事は本当に必要?必要でない?本当にやるべき?みたいな議論がフラットにできる関係性だと、会社やグループとして本質的なもの、重要なものだけ取り組む体制と自然になってき、その結果短い時間で成果が出るようになる」ということだと解釈している。

 

勇気を持つものは尊いが、勇気を持たなくても意見が言える関係性が一番尊いのだ

 

そのような感覚を大事にしながら、日々人とコミュニケーションをとっていこうと思う。

 

 

をかず

 

人生はRPGと同じっと最近つくづく思う

僕はゲームがあまり好きでなく、今までやったゲームは、ポケモンパワプロモンスターハンター、激闘忍者大戦、ナルティメットヒーロースマブラスーパーマリオ64、みんゴルゼルダの伝説時のオカリナ、FF1&2くらいしかないのだが(あれ、けっこう多い、、)その中でも一番好きなのは、ダントツで時のオカリナである。

 

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なぜ好きかと言うと、

  • ストーリーがとてつもなく美しい(時空を超えた愛のストーリー。まるでインターステラーだ)
  • 敵キャラが程よくあんまり強くない(小学生低学年には重要)
  • 音楽がすばらしい(好きすぎて、留学中大学の↓の写真の鐘で演奏して、全バークレー学生に迷惑をかけるレベル)
  • ãUC berkeleyãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

またRPGの、少しずつレベルやスキル・武器レベルを上げてきて、どんどん強い敵を倒してくというのは、人間の脳のドーパミンをドバドバ出させて、中毒にさせる要素である。

 

レベルアップすればボスにまでたどり着けるが、レベルアップしないままボスに挑もうとしても、その前の中ボスに阻まれて終わる。要するに、自分のレベルと敵の手強さのバランスをとって進めないといけない

 

誰が言い出したかはわからないが、表題の「人生はRPG」みたいな言葉は良く聞くし、「ふーん、そうなんだ」としか思ってなかったが、最近つくづく「本当にそうだな」と思う。

 

特に、

>自分のレベルと敵の手強さのバランスをとって進めないといけない

 

というところがだ。

 

最近、(というが前からだが)僕はギリギリに生きている

 

ギリギリに生きているというのは、どういうことかというと、自分のキャパギリギリでできることをしている ということだ。あぁ、今になってあれだけバカにしていたKAT-TUNのRealFaceの歌詞の意味を今になって噛みしめるとは、なんたる皮肉なことか。

 

↓ギリギリで生きている人たちが歌っている『Real Face』

www.youtube.com

 

例えば、僕は新卒1年目~3年目は、正直目の前の仕事が手強すぎて、仕事がある平日に趣味に打ち込んだり勉強したり、、はなかなかできなかった。

 

ただ、「セルフマネジメント」というスキルレベルを少しずつ上げていって、最近は、平日でもギター教室に通えるくらいに仕事を早く終わらせられることができるようになった。

 

だが、空いた時間をギターに費やすのであれば、結局はやっぱり「時間がない」状態は続くのである。つまりギリギリなのである。

 

それでも、同じ時間で色々なことに取り組むということは、「生産性が上がっている」ので良いことかと思う。そこは自分を認めようと思う。

 

ただ、ここで落とし穴がある。

 

いくらセルフマネジメントができているからと言って、いきなり色々なことを詰め込みすぎると、破綻する。

 

今は

・仕事+ギター

 

というRPGで言うと敵をやっつけられるレベルであるのに、いきなり

・仕事+ギター+習字+◯◯、、、、

 

という風に詰め込むとキャパオーバーになり、僕の場合、精神的に色々と頭を悩ませたり、擦り切れたりして、最終的に不眠に陥る。ToDoがアンコントローラブルな状態だと、人生における不確定性が増して精神衛生上良くない、ということだと思う。

 

だから僕が今やるべきことは、

・仕事+ギター

 

という今のレベルの中で、少しずつさらなるセルフマネジメントを磨いていき、次第に何かを↑に追加できるレベルにまで上げていくということだ。

 

そしてそれは、RPGでのレベル上げと同じように、Step by step、One by oneでないといけない。決してポケモンの赤青緑のような、ポケモンが一気に100レベになるようなバグは、僕の人生にはない。

 

それが今の僕のキャパなんだ。

 

と少し諦めるような、自分の限界を感じるような悲しい気持ちにもなるが、まぁそれを認めてコツコツレベルを上げれば良いのでは、と思う。

 

だってこれが僕という人間のReal Faceなのだから。

 

 

 

KAZ-ZUN

 

「相手の立場にたってものを考える」力は、ワールドワイドで一番重要なのでは?という仮説

もうすぐGWも終わる。

 

結局僕は、実家に行く以外は、本当にこれと言った外出はしなかった。毎日毎日六本木のスターバックス、我が家、実家を行ったりきたりする日々。人はこれを「GWの大三角形」と呼ぶらしい。

 

データ分析の勉強も、重回帰分析やコンジョイント分析等、一通りはなぞれたので、今日から英語の勉強を始めた。

 

曲がりなりにも米国に留学はしているので、英語はまぁまぁできる方だと思うが、僕の近い将来の目標である「海外で仕事をする≒英語で仕事をする」には全然力不足だ。

 

特に、ビジネスの場でふさわしい英単語やフレーズを使い回すというスキルが圧倒的にたりない。よって、ここから数ヶ月はその力を養うためのインプットの期間にすることにした。

 

今日読んだのはこれだ。

books.rakuten.co.jp

 

これは、単語帳というよりは、このフレーズを使うと、お願いするときや意見を言うとき、断るときなどのシーンにて、丁寧な表現になるよ、という枕詞やクッションワードについて、色々と教えてくれる本だ。

 

一例だが

・I would greatly appreciate if you~(~してくれると本当にありがたいです)

・Would it be possible if I ~(~しても大丈夫でしょうか)

・It would be helpful if you kindly ~(~してくださいますと、本当に助かります)

・I am afraid that it seems~(申し訳ないですが、~のように感じるのですが、、、)

などなど、、

 

とにかく、日本人がびっくりするくらいに丁寧かつ慎重で、少し冗長とも言える表現がもりだくさんである。

 

留学していた僕でも思うのだが、「英語ってこんなに丁寧に言うものなの??」って思わないだろうか。

 

特に、日本語は敬語が厳しいが、英語はストレートという印象を僕らは抱かないだろうか?思ったことはストレートに言えるし、議論も当たり前のように実施される、というイメージを僕らは英語を利用したビジネスシーンにおいて抱かないだろうか?

 

この本を書いた人は、外資系金融機関のゴールドマン・サックスにいたらしいのだが、そこにいた仕事のできる人は、この本の書いてあるような、配慮あるフレーズを使いこなしていた、とのこと。

 

この本には、その背景や目的等詳しくは書いていなかったので、「なんでだろう?」と少し考えてみた。

 

結論から言うと、結局は「相手の立場になってものを考える」ことは、日本だけでなく、外資系企業等も含めワールドワイドにビジネスシーンで重要なのではないか、という考えに至った。

 

先程の英語フレーズは、いわゆる枕詞やクッションワードと言われるものばかりである。その言葉を、あえて冗長になりながらも加えるのは、他でもない「相手の気持ちを慮る」からに他ならない。

 

では、なぜ相手の気持ちを慮るかと言えば、結局は相手に嫌な気持ちをさせることなく、自分の意見や主張を通したかいからであろう。

 

ただ相手の気持ちを優先するだけなのでなく、自分の意見を言うことと、相手に嫌な気持ちをさせないことを両立させる。その両立のために、枕詞やクッションワードが効力を発揮する。そして、その枕詞やクッションワードは、「相手がそれを聞いたらどのように思うだろうか?」という認知力が無いと、上手く使いこなせるものではない。よって、それを使いこなせる人は、ある程度メタ認知ができ、相手の気持ちに敏感な人であろう。きっとこの本の著者は、そういう人のことを「仕事ができる」と言ったのだ。

 

英語だと、とにかく直線的に言いたいことを言う!という印象を抱きがちだが、言語が変わろうと、結局は「相手の立場にたってものを考える」ことを実施したうえで、適切な言葉遣いをする、というのは、きっと全世界的に変わらないのだと思う。

 

僕らも、日々の生活のなかで、自分の経験や考え方に縛られ相手を見てしまうことがあると思うが、やはりなるべく相手の感情には真摯に向き合っていきたい。向き合うべきだと思った。

 

ただ、相手に嫌な気分になってほしくないからと「言いなり」になるのではなくて、結局は相手を配慮するのも、自分自身の達成したいアウトプットに繋げるという、少々したたとも言える考え方は捨てるべきではない。

 

「情けは人のためならず」という言葉って、人への情けは、結局は自分に都合よく帰ってくるという意味だと思うが、今回の「相手の立場にたってものを考える」というのも、同じ文脈で語れるのだと思う。

 

Jazzを学んでいて身にしみる「型」の重要性

GWに入ってからというものの、僕は平凡な日々を過ごしている。

 

元々「人生逆張り!」がモットーな僕は、こういう連休中にレジャーは、人も混むしあまりしたくないのだ。嫁には悪いが、毎日10時半には寝て、次の日5時半に起きて、7時からスタバで読書と勉強をする、というのを毎日行っている(嫁も朝は遅いものの、夜寝る時間が共通しているのは本当にありがたい)

 

7時にスタバについて、お昼の時間までは何かしら本を読んだり、勉強したりしている。このGWはビジネス統計を復習しようと思い、今日やっと単回帰分析まで終えたところ。進めている教材はこちらであーる

 

books.rakuten.co.jp

 

そして午後から僕のギターの練習が始まる

練習時間は日によってまちまちだが、だいたい1時間くらいかなぁ。


Jazzギターというとかっこよく聴こえるが、以前どこかで書いたのだが、Jazzといっても共通したフレームワークに沿って演奏がなされるので、Jazzギターを練習する、といっても、その半分以上はそのフレームワークを覚えることに時間を使う。

なんとなく楽器をやったことがある人ならわかると思うが

  • それぞれのコードとその構成音
  • スケール
  • モード

みたいなものを、ひたすら覚える。覚えるためにギターを鳴らす。ギターを鳴らしながらその響きや音階を頭に入れる、、、それの繰り返しだ。高校生が電車で単語帳持って英単語をひたすら覚えるかのように、毎日コードやスケールとにらめっこ。必死に頭に記憶を刻みながら地道に積み重ねていく、まじで受験勉強と同じ泥まみれの毎日である。

 

英文法でSVO、SVC等文型を覚えるかのように、Ⅱ→Ⅴ(ツーファイブ)というコード進行(和音の進み方)の型を頭に入れる。音楽でさえ、クラシックやJAZZの先人たちが気づきあげたものを再現させようとすると、そのような「型」のを蓄積する他ないのだ。

音楽を学ぶことは、「型」の蓄積そのものである。

 

ただこの「型」というものは、何も受験勉強や音楽だけのことではないのだ。

 

例えば、営業の仕事なんてどうだろうか。

この前ブログでも書いたが、「ロジカルセリング」という言葉もあるくらい、営業はある程度はロジックで説明できるもので、それはすなわち「型」化できるということだ。

 

僕が普段業務で行っている

  • メールや電話等のお客様向けコミュニケーション
  • エクセルやパワーポイントの資料作成
  • 社内調整時の社内コミュニケーション
  • SFAツールを利用した事務作業

これらは全部、型化できる。八幡の感性に沿ってクリエイトされたものでもなければ、属人的なものでもない。全部がぜんぶ、本や先輩から教わったもので説明できる。

 

ドラッカーの本を読んでいると、経営でさえ僕は型化できるのではないか、と思う。

 

『マネジメント』は、マネージャーとして企業の使命-グループの使命-個人のモチベーションを結びつけるための姿勢やアクションという型の重要性を説く本だし、『イノベーションと企業家精神』は、企業が新しい価値を世に産むための方法論や思考の切り口に関する型を教えてくれる本だ。

 

考えてみると、100%純粋な属人的な感性から生み出されるものなんて、そうそうない、ということがわかる。

 

どんな分野でさえ、僕たちは何かしら先人が築いたフレームワークに沿って物事を判断していると思う。

 

そうすると、そのいろんな分野におけるいろんな型をインプットして、適材適所使い分けるだけで、物事のすべてはうまくいくような気がする。

 

例えば仕事でも、八幡の仕事そのものを説明可能な型に落とし込めれば、その仕事は別の人が担うことができるし、僕がいなくても全く問題なく仕事が回ることである。

 

「仕事をする」ということは、たくさんのタスクを持つことでもなければ、属人的で芸術的な感性に則った創造物を作るものでもない。(もちろんそういうアーティスト的な人はいるとは思うのだが)

 

「仕事」は、本質的には、だれでも「型」に則れば回るようにすることそのものが、音楽におけるJazz理論に則った演奏をするのと同じで、仕事として重要なんだと思う。

 

型が100%!とは言わないが、99%くらいは占めるのではないかしら。

 

そうすると、僕たちのアクションとしては

  • まずはたくさんインプットをする(本からがコスパ良い。もちろん先輩の経験からもインプットできる)
  • インプットをアクションする
  • アクションの進捗をみて、「型」の有効性について認識する
  • 自分なりの経験や実績に沿った新しい「型」を作ってみる

 

という、インプットと実際のアクションを積み重ね、型を型として認識し、蓄積する作業が重要なのかと思う。

 

 

散文失礼しましたm(_ _)m

 

「人の良い」と「仕事ができる」は比例している

この話は、人との連携が必要な仕事を前提に置いている。

 

保険代理店の営業やインベストメントバンクのトレーダーのような、個人でほとんどすべてを網羅できるような仕事は前提に置いていない。

 

僕は、ITソリューション企業に務めている。

 

ITメーカー、というように、決まったパッケージ製品を売るというより、クラウドやハードを組み合わせたり、はたまたそこに開発を加えたりと、色々な可能性の中から、お客様の課題に最適なものを提案する、いわゆるソリューションの提案を良くしている。

 

ソリューションの提案は、実は相当大変だ。

 

なぜなら、営業一人で提案にこぎつけることはほとんど不可能で、案件の規模が大きくなればなるほど、SEや開発部隊等、提案までに関係してくる人数が増えていくからだ。

 

IT企業の人ならわかると思うが、技術系の方々がたくさん関連してくるなかで一つの提案を練り上げるのは、針に糸を通すように難しい。

 

営業の「売りたい」と、技術系の「技術的に可能なことをリスクを少なく実施したい」のスタンスはトレードオフになるところが大部分だし、そこのすり合わせが十分にできないまま営業の独断で売ってしまい、後で大炎上することもあるだろう。

 

このような、人との連携が前提となり進めていく仕事では、「人が良い」というのは、それだけで大きなアドバンテージであり、必須スキルとなると最近感じている。

 

「頭が良い」とか、「ロジカルである」ということももちろん大切だと思うのだけど、人は「ロジカル」と思うもののために動くのでなく、「好きだ」と感じるもののために動くのだ。なので、「人が良い」人は、好かれやすいし、それだけ周りを巻き込んだ仕事も進めやすいだろう。

 

ではそもそもどんな人を「人が良い」と定義すれば良いだろうか?

 

これは、色々あると思うし、そもそも定義する必要もあるのか?という問いもあるだろう。しかし、僕の3年間の拙い社会人経験から敢えて定義をするなら、それは「相手の立場になってものを考えることができる」人だと思う。

 

「相手の立場に立ってものを考える」なんてあたりまえ、基本中の基本っと皆考えるが、考えることと実践することは全く別のものだ。人間は皆自分の精神的な優越性を保つための本能があるし、攻撃された相手に対しては攻撃したくなるものだ。世界を自分で色づけた色眼鏡を通して観てしまうのは仕方ないことだ。

 

ただ、やはり僕が会社内外でも「すごいなぁ」と思える人は、自分の色眼鏡の色を極力薄め、自分の眼ではなく、自分の頭から垂直に少し伸びてる、少し高いところから俯瞰してものを観ている。自分と相手の感情への感受性が高く、かつそれを受け入れたうえで理性的な判断ができる。結果、相手にも自分自身にも配慮した、バランスの良い言動ができる人だ。

 

逆に一番やっかいなのは、自分自身を「頭が良い」と思っているだけでなく、それを周りに振りまく人だ。「私僕俺頭が良い」と思っており、「それを周りから認めてほしい」と欲求を周りに振りまく人は、その感情こそが相手を受け入れる余地を狭めてしまっており、コミュニケーションが取りづらいことこの上ない。

 

「頭が良い」人が、その人が「そうとは思わない」人へ攻撃している様を見ると、この上なくイライラするし、周りの感情や生産性に配慮しない、本当に迷惑な行為だ。結果その人についていこう、という人は少なくなり、周りを巻き込んだ仕事はできない。チムが機能しない。

 

仕事の方法論に関する本はいっぱいあるが、こういう本質的な人間性について説いた本って少ない。それほど、盲目的な観点かもしれないが、僕は「人が良い」ことこそが、仕事を進めるにあたって本質的なものであると思うし、そういう人ってなかなかいないものだな。。って思うのだ。

 

ま、稲盛和夫の受け売りなのだけど。。。

 

 

かずを