Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

相手の立場になって考えるためのコツを教えます

「相手の立場にたって考える」

これは、人の人生を豊かにするために最も効果的かつ即効性のある考え方だと思う。

「人生を豊かにする」ということは、色々解釈が分かれるとは思うのだけど、例えば人に大切にされたり、人と仲良くできたりなど、自分以外の人間と、温かい繋がりができることなのかなぁと思う。

以前ブログにも書いた気がするのだけど、僕は留学が終了した後に、僕の恩師(中学校時代に僕をつきっきりで第一志望の高校に入れてくれた塾の先生)に人間性を思いっきり否定されたことにより、相手の立場になって考えることを少しずつ意識し始めた。

もちろん、それが常にできているかと聞かれたら、多分できてないときも往々にしてあって、きっと知らぬうちに相手を傷つけていることもたくさんあるのかなぁと思う。しかし、少なくとも恩師から厳しいお叱りを受ける前と後では、著しく人からの受け入れられ方が変わったと思う。

この「相手の立場にたって考える」ということは、何も普段だけではなく、仕事の中で特に必要となってくるものだ。僕は営業であり、お客様と常にコミュニケーションをとっている以上、そのスキルがないと話にならない。

「お客様」というラベルがつく以上、友達や家族等に向けた気遣いとまた異なる気遣いが必要で、それを身につけるために僕は丸一年もかかってしまった。。。

・・・

少なくとも、「相手の立場にたって考える」ことを意識的にできるようになった僕も、どうしても相手が理解できないときもある。

先週、あるお客様との連絡で、どうも上手くいかなく、噛み合いもしなくて、お客様がほとんどキレている状態にまでなってしまった。

「なんでこうなったんだろう?」と必死に考えてみたのだが、なかなか自分だとわからない。そこで僕は上長に、そのお客様の気持ちについて聞いてみることにした。

上長は、もちろんそのお客様そのものではないので、気持ちを100%理解しているとは限らない。しかし、上長の推察はかなり腑に落ちるもので、上長の推察通りにお客様が感じ、不満に思っているシーンが鮮明に目の前に浮かぶようだった。

自分以外の人の思考を読み取ることは、正直難しい。性別や生まれた土地、生まれ育った家庭環境や、出身の学校、職歴や現在の業務内容等、本当にたくさんの要因がその人の思考に影響を与えるからである。

おそらく人の感性や思考を読み取る能力は、人がいままで対峙してきた人間の数に比例して向上するのではないかと思う。しかもただ対峙するのではなく、相手の感情を考えながら接している必要がある。

僕は、完全に言い訳だが、相手の立場にたってものを考えるようにし始めたのは21才以降なので、おそらく平均よりもかなりその能力が劣っていると思う。ある意味今回のお客様との件は仕方なかったかもしれない。もちろん自分で、相手の気持ちを考える努力は決して怠らないが、今回は上長に早めに相談できたのが大きかった。

人を理解するには、知識や想像力をフル稼働して、その感情や言動の背景にある要因を読み取らないといけない。そしてそれが自分の知識と想像力の域を越えるものであれば、その範囲が広い「大人」の力を借りるのも一つの手だと思った。

僕をけちょんけちょんに言った僕の恩師が、僕が21才のときに、「年上の人は必ず敬わないといけない。なぜなら、自分より年をとっているという事実だけで、自分にとってありがたいことだからだ」という旨の発言をしていたのだが、それってつまりこういう事なのだと思う。自分より年を重ねていればそれだけ自分よりも色々な経験をしているし、様々な人ともコッミュニケーションをとっていて、それだけ「相手の立場にたって考える」ことは自分よりも上級者で、学ばせていただけるということなのではないか。

まとめると、自分よりも経験が豊かな大人が考えることに触れることで、相手の立場にたって考えるための、自分のしょぼい想像力と知識を拡張できるのではないかと思う。それは対面でのコミュニケーションはもちろん、大人の書いている本などを読むことも、充分効果があるのではないか。

自分の想像力の至らなさに少し無力感を感じながらも、僕に新たな観点を与えてくれる大人が周りにいるのって本当にありがたいことだな、と自分の運の良さを感じた日だったとさ。

おわり

『ブランド人になれ!』で書かれていることはある意味超当たり前

おはようございます。八幡です。

今日は5時に起きてジムで汗を流してから出社しました。初の試みで、朝会社でこの記事を書いています。

今日は、表題の『ブランド人になれ!  会社の奴隷解放宣言 』を読んだ感想を書いてみようかと思います。

この本を書いた田端信太郎氏は、言わずもなブランド人として働いている、エクストリームサラリーマンです。

僕がこの人を知ったきっかけは忘れてしまいましたが、いつの日にか「この人の発言とシェアするニュースはどれもおもしろい」と思い、ツイッターFacebookでフォローし始めました。

僕は日経新聞も読まないし、前みたいにNewsPicksの端から端まで朝に読んだりはしません。この田端さんを始め、僕が「ニュース屋」と買ってにタグ付している何人かの人がフォローしている記事に目を通すだけで、経済、テクノロジー、政治の観点で重要なことはざっくりわかるからです。

 


まぁ前おきはそれくらいにしておいて、この本の感想を書いていこうかと思います。
僕が思ったことを端的に言うならば、表題にもある通り、この本に書かれている会社の役割であったり、その中で働く個人としての心意気であったりは、至極当たり前である「べき」ということです。

この本の中で一貫して語られるビジネスにおける姿勢は、「市場/顧客目線を徹底すること」です。

冒頭から

「君は誰を笑顔にしたか」
「汗水に価値はない」

と強烈なフレーズで、顧客に向き合うことの重要性を説かれます。僕たちが仕事をするのは、会社で上司を笑顔にさせるためでもなく、お客様にとってあまり重要でない社内における作業に時間を費やすことでもなく、何よりお客様の課題解決のために頭を使い、行動することだと。

これは多分、大企業で働けば働くほど忘れがちな観点なんだと思います。僕の仕事での経験を通しても、社内調整や根回しに稼働をかけすぎていて、「これって何のためにやってんだっけ?」と良く分からなくなるシーンもあったと思います。

ブランド人たるもの、社内の空気を読まず、徹底して市場とお客様に向き合え!!こういう当たり前のことを当たり前にできる人ってなかなかにいないのではないでしょうか。

また、この市場/顧客目線と同時に常にこの本で語られるのが、「名乗り出て挑戦すること」です。

「仕事に失敗してもクビになっても、死にはしないから大丈夫」という旨のフレーズがところどころに出てきます。

田端氏の2つめの会社、リクルートにおける、R25事業立ち上げの経験を通し、会社というリソースをいかにうまく利用するか、そして、会社内のプロジェクトでズッコケてしまったとしても、悪意をもって会社に損失を負わせたわけでなければ、その失敗は会社の財産にもなり、僕ら自身の経験に変わるということを教えてくれます。

一昨日の記事にも似たようなことを書いたかもしれませんが、会社のさまざまなりリソースを使うことは、結構気が引けます。周りにも迷惑がかかると思うし、自分のために費やしてもらった時間も金も一切無駄になってしまったらどうする?と考えてしまうからです。

ただ、その試みは、全身全霊で行ったのであれば、人がやらないようなことに挑戦していった結果会社の蓄積にもなるのかなと思えると、背中を押された気分になります。もちろん、会社としてのステージや財務状況等で、そういった挑戦がしやすい/しにくいはあるのでしょうけど、個人が人事を尽くすのであれば、どんな会社でも挑戦も失敗も認めてくれるのかもなぁと、僕なりの発見となりました。

最後にこの本を通し、心に残っているフレーズは、「正直であること」です。
ブランド人として、言いたいことを言いまくるだけでなく、その発言にもルールを持たせたり、接する相手により態度を変えたりは決してしないということです。

「直接言えないことはツイートするな」

であったり、

「正直者であれ」

という言葉から、田端氏のブランド人として守り抜いているポリシーが垣間見えます。

ブランド人であるためには、ただやりたいことをやり、キラキラするだけでなく、正義感をもとに自分なりのルール、ポリシーを貫き通しているんだろうなぁと、なんとなく感覚として感じました。

 


僕がこの本を通じて感じたことをつらつらと書いてきましたが、内容そのものはかなりシンプルだと考えております。それは、会社はあくまでお客様のために存在する社会の公器であり、社会そのものでないこと。そしてこの社会の公器を存分に利用していこうという気概を持ち挑戦することはもちろんのこと、正直であることを忘れないこと

会社の存在する意義を考えると、田端氏の言っていることは至極全う、当たり前の意見かつ、「正直でいる」ということも人として当たり前です。

そんな当たり前のことを当たり前にできるようになると、きっとブランド人への道が切り拓けるのでしょうね。

この本を読んで得た気づきを、共有させていただきました。


八幡

今年一番の戦いが終わって・・・

おそらく、今年一番エネルギーを使ったであろうコンペが、先週の木曜日で一旦終了した。

先々週の提案書提出時に関しては、非常に時間が限られるなかで、提案内容(特に数字面)のチェックが満足にできないまま提出し、後悔が残ったが、先週木曜日のプレゼンに関しては、一旦はいい形で終えられたと思う(プレゼンしたのは僕でないですが)。

現在は、来週末くらいに出るであろう結果を待っている状況なのだが、この案件を通して感じたこと、学んだことを少し振り返ってみようかと思う。

どんな案件かの詳細はもちろん言うことはできないのだが、端的に感想を言うと、非常に進めるのが難しい案件であった。

2月に、ある官公庁系のコンペで受注したときとは比べ物にならないくらい難しかった。なぜなら、今回は単にクラウドやハード、運用サポートの提案でなく、開発を含めたOEMでの提案であり、会社として今後のプロダクトをどうしていくのかという命題にもろにぶち当たる案件でもあったため、関係者が非常に多かったからだ。関係者が多ければ多いほど、その中でコンセンサスを得るのは難しいし、調整にも時間がかかる。

そんな中、案件を進めるのは大変骨が折れた。提案内容そのものももちろんそうなのだが、それと同じくらい「打ち合わせでファシリテーションをどのように進めるか」ということに頭を悩ませた。お客様のために頭を使うのと同じくらい、社内向けにも頭を使ったと思う。色々な壁に阻まれながら、自分なりに悩み、考え、答えを出したつもりではある。その中で考えたことをいくつかシェアしてみたい

何よりもまずゴールから考え、ISSUEを見極めるに尽きる

この案件を通して、何よりも痛感したのは、この「ゴールとISSUE」を考えることの大事さである。意識高い系(笑)な僕はもちろん、『イシューからはじめよ』は読んできたし、それを仕事の中で実践した気でいたが、実際はまだまだ甘かったのである。

今回、お客様に求められたアウトプットとしては2つあった。提案に関するパワーポイントの説明書と、提案に関する費用のエクセルサマリーである。

僕は、パワーポイントに関しては、段取りをしっかり考えていたし、スケジュールに合わせ、なかなかクオリティの高いものが作れたと思う。問題はエクセルの費用サマリのほうだ。

費用サマリでは、そのフォーマットだけでなく、必要とされる情報もかなり厳密に指定されていた。「~という区分の費用は~とうい風に書いてください。そして、~の区分の費用は、~という情報を必ず沿えてください」 っといった具合にだ。

本来ならば、RFP(Request For Proposal:提案してほしい企業が、どんな背景でどのような提案を求めているかの情報をまとめたもの)が出た瞬間、その費用サマリでの要求事項(=今回のエクセル提出におけるゴールとなるもの)は一言一句覚えるべきだったのだ。

ゴールをしっかり捉えて初めて、そのゴールにたどり着くためのISSUE(解決したらゴールに一気に近づけるような課題や論点)も見極めることができるし、ISSUEを解決するためのToDoへの細分化も可能となる。僕はそれを「数字が苦手だから」という理由で怠ったのだ

結果、提案書提出日に一日中僕のマネージャーとサブマネにつきっきりで数字のチェックをしてもらったことで、なんとかエクセルの提出にこぎつけたが、僕一人だったら決して無理だったと思う。僕の段取りが悪かった。ゴールを明確にとらえていなかったのである。

このゴールとISSUEの見極めは、正直仕事する上で一番重要なスキルであると思う。これは、案件のススメ方だけでなく、お客様との交渉時や、社内の打ち合わせ、上司への報告時など、仕事におけるすべての場面で必要とされるスキルだ。

「ゴールから考える」なんてあたり前って思うのだけど、案外難しいのだ。ゴールとISSUEの見極めは頭を使うし、とにかく目の前にタスクがあれば、何も考えずそれを実施することで仕事した気になっちゃうからだ。

ただ、ゴールを考えない仕事になんて、生産性はない。このことを肝に命じないといけないなと改めて思わされた。

 

提案を考えるのと同じくらい、社内打ち合わせに向け準備するべき

SEさんや開発部隊が入り乱れる案件では、そもそも打ち合わせを調整するのが大変だ。裏を返すと、1つ1つの打ち合わせの生産性を高め、より少ない打ち合わせで、より打ち合わせの効果を高める必要があるということになる。

案件を進めることにおける、「打ち合わせの効果を高める」というのはどういうことかと言うと、案件のゴールに向かい、関係者それぞれがいつ何をするかを、納得感を持って理解できるようにすること だと思う。

この「納得感を持って」が難しい。納得感を持つためには、案件を進めるにあたって考える必要がある論点を網羅するかつ、各論点において様々な選択肢を検討した上で決定しないといけない。打ち合わせの時間は有限であるから、予めその論点に関して、事前に考えてもらう必要があるし、そのためには事前にテキストで連絡したり、テキストで足りない場合は、事前に直接話しておくなどの根回しも必要だ。

結果、ファシリテーションを考える時間や、そのための根回しの時間は相当膨れ上がった。本当はお客様の課題解決のためにもっともっと時間を使うべき...と思わなくはないが、こういった社内向けの準備や根回しも、お客様の課題解決に必要であることを考えると、提案作成と同じくらい重要なのだろうと考えているのが現状である。この考えは今後変わるかもしれない。


自分への信頼や好かれ度を削ぎ落としてでも、調整しないといけないタイミングがある

こういう開発ありきの案件を進めると、SEさんや開発部隊等、本当に様々な人にお世話になる。色々な頼み事、依頼事項を、営業は他の部署のメンバーと調整していくことで提案を練り、資料を作成していく。

その「調整」は、けっこうスキルがいると思う。

例えば、単に「いいやつ」であることも一つのスキルだ。なぜなら、「嫌なやつ」の依頼ごとをするよりも、人はきっと「いいやつ」の頼み事を優先すると思うからだ。

ただ、この「いいやつ」でいることと、難しい要求をすることは、トレードオフだ。

なぜなら、難しい要求は、その分頼まれた人のリソースをたくさん使うので、要求をされたほうはどうしても迷惑がかかる。「いいやつ」でいることをゴールとするなら、人にはなるべく迷惑はかけない方がいい。人が社内で調整できることは、限りがある。

ただ、案件を進めていくと必ず、「このタイミング」という場面がある。僕で言うと提案書提出の1日前と当日だった。そこで、あえて空気を読まず、嫌な顔をされながらも「頼むべきことを頼むべきメンバーに頼む」ことが、案件の明暗を分けるのではないのかと思う。

僕はそれを一人ではできず、上長に助けてもらった。上長の信用力を借りたのだ。

この「ここぞというタイミングで他者の力を借りる」ということは、ただのスキルだけでは難しくて、相手に迷惑をかけること、そしてその上で必ず案件を取り切るんだという覚悟と勇気が必要であることを学んだ。また、ここぞで頼み事をしたときに、他者が力を貸してくれるくらいに、普段からコツコツと信用を築いかなければならないことも気づいた。そう考えると、提案時のみが案件において重要なのではなく、普段の仕事から、期待値を少しずつ超えていくことだったり、関係性を築いていくことが重要なんだと思う。

もっともっと書きたいことがあったのだが、だいぶ長くなってきたのでここまでにします。

とにかく、この案件から学んだことは本当に多かった!!この経験を必ず僕の学びにし、他の人のために役立つスキルとしていきたいと思います!!!

 

 

スタートトゥデイ、そして前澤友作氏に惚れた

お疲れ様です。八幡です。

今日のブレーキングニュースを共有します。
表題の、ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイ社のアナウンスに関するニュースになります。

 

www.nikkei.com

www.businessinsider.jp

 

いや~、スタートトゥデイという会社、そしてその創業者である前澤氏は本当にすごいなぁと感動しました。

私そこまでめっちゃファッション好きというわけではないですが、新しい物好きなので、ZOZOSUITは6月に手に入れ、すでにZOZOSUITで作ったTシャツやジーンズを会社に着て来ては仕事をしておりました。
※ZOZOSUITがピンとこない方はこちらご参照ください。

dic.nicovideo.jp

 

ZOZOSUITで作ったTシャツとジーンズは本当にビビるくらいピッタリサイズで、特にジーンズはぴったりだと本当に着心地が良いんですよ!!!まじ感動もの。

そのジーンズ以外のジーンズはもはや履きたくなくなってしまいます。ユニクログッバイ。。。

そして、最近オクスフォードシャツもオーダメードできるようになったので、そのうちビジネスシャツとスーツも来るかな...って思ってたら本当にアナウンスされてしまいました!!! まじでスピード感が半端ない。。。

最近、スーツセレクトでスーツ新調したばかりですが、この後家に帰ったら再び採寸してオーダーします。今の時期に注文すると、お試し価格として、フルオーダースーツが2万円ちょいで買えます。これ、紳士服業界が根本的に変わるターニングポイントになるだろうなぁ。

スタートトゥデイ社の創業者、前澤氏もなかなかすごい人です。究極なまでにビジョンドリブンな経営者という感じです。

私自信は、働くことに関しては、長期的なビジョンよりも、「今目の前の相手の期待値を超えること」を何より重要視しておりまして、ビジョンってあんまり響かないのですけれど、それでも前澤氏のビジョンを聞くと、なかなか心が動かされます。

私は特に前澤氏と話したこともないですし、詳しいことはよくわからないのですが、端的に言うならば「世界平和」をビジョンに掲げ、企業経営をしている人です。

「世界平和」だなんて大きすぎて曖昧だ。そんなの企業のビジョンになりえるのか?

そう皆様思われると思います。僕も実際そうでした。しかし、その疑念は、私がZOZOSUITで買ったジーンズを履いた瞬間に完全に覆えりました。

人は、自分にピッタリとした服を着ることが、こんなにも気持ちよく、嬉しいことなんだということを実感し、ニヤニヤも自撮りも止まりませんでした。皆がこんなハッピーな気持ちで、自分に似合う服で街を出たならば、その街で見れる現象は、「世界平和」なのではないか? 本気でそう思わされます。

そして今回の、世界中にZOZOSUITとそれで作るTシャツ、ジーンズを無料で配布するキャンペーンも、前澤氏の理念と実現したい世界を広めるための手段なのではないかと思います。

「見栄えが良い単なるマーケティング」と捉える方もいるでしょうし、まさにマーケティング活動の一環であることは変わりないですが、ここまで心動かされるマーケティング活動もなかなかないのではないかと。

正直私あんまり特定企業のことを好きにならなくて、今まで自社以外には、チームラボくらいしか好きじゃなかったのですが、スタートトゥデイ(今後企業名もはZOZOに統一されるそう)は本当に素晴らしいなと思いました。その感動を、そのままブログにさせてしまいました。株買おうかな。

さぁ、帰って速攻採寸、そしてスーツ購入だ!!!!!!!


八幡の6月期決算報告

お疲れ様です。八幡です。

今日は、7月2日ということで、私の会社では第3Q、そして下期の始まりの日でした。

季節はもう完全に夏。暑苦しい日々がまた今年もスタートします。

夏は暑いですが、別に嫌いではありません。花火大会はあるし、盆踊りもあるし、海も気持ちいいし、何よりビールが美味しい。普段はキリンかエビス派の僕も、この時期ばかりは、のどごし爽快のアサヒを飲みたくなったりします。(本当にたまにですが)

さて、表題の件ですが、私八幡の個人的な6月の活動を、企業で言う決算報告みたいに振り返ってみます。

6月のハイライト

  • 当期利益額が黒字維持。金額にして約5倍に
  • 営業キャッシュフローは+、投資キャッシュフローは-、財務キャッシュフローは+-0
  • 本業の仕事は結構忙しい時期。だがブログの頻度は向上し、勉強も着実に進める
  • 八幡多角化計画をスタート。企業法務に関する勉強を開始するが、進捗はわずか
  • 会計、ファイナンスに関する勉強は維持。決算書を見て、BS、PL、CFに関しては難なく読み込むことができるようになり、競合他社や、同企業の過去等と比較することにより、企業の方向性や良し悪しに関するインサイトをなんとなく得ることができるようになった(気がする)

さて、上記ハイライトの中で、重要なところをなぞってみたいと思います。

何より重要なのは、今月は30,000円の当期純利益を得たということです。
いつもどおり生活を維持するための費用(企業でいうと販管費)が、昼夜はオール外食(5万円ほど)+ゾゾスーツが届いたことによる衣類購入費(10,000円ほど)、また、NewsPicks有料会員や、シバタナオキ氏の有料note購読等で膨らみましたが、エロVRを観るためだけにかったoculus goをメルカリにて購入価格以上で売りぬくことができ、25,000円の営業外利益を得るだけでなく、6月最終週に実家に戻った際、おばあちゃんより10,000円のお小遣いという特別利益を得たのが大きく黒字額上昇を助けました。

昨月比約5倍の利益額となり、V字回復のための礎を築いた感は否めません。今後もそのまま利益額を増やしていき、利益剰余金を積み重ね、しっかり八幡の株主(両親)に還元していきたいと考えてます。

またキャッシュフローについて言うと、投資キャッシュフロー(勉強のための出費)は、本の出費が約1万円、NewsPicks課金やその他有料メルマガ、noteなどで約3000円、茶道と書道等の習い事で約1万という、例月とほぼ同等の金額となりました。本の内容は、自己啓発が2冊、経済系が1冊、会計系が4冊となり、例月と読書量に関しても、同等かそれ以上を維持しました。(アウトプットが重要ですけどね。読書量自体は自慢にならない)

また、本業に関しては特に忙しい時期であったものの、ブログの頻度は前月に比べて大幅に更新。中期計画(架空)にて「八幡多角化計画」の名の下、財務だけでなく、企業法務のインプットを開始し、『事業担当者のための逆引きビジネス法務ハンドブック』を読み始めるものの、進捗は芳しくなく、予想以上にインプットに時間がかかることが判明しました。こちらの計画は、中長期で成果に関して判断する必要性がありそうです。


『事業担当者のための逆引きビジネス法務ハンドブック』
http://amzn.asia/ibzCWnl

会計に関しては、とにかく「決算書は友達」って言うくらい、決算書を読むことと、関した書籍にのめりこんでおります。現状、無理にインプットしなくても、自然に会計に関する記事や情報が頭に入ってくるようになったので、会計の勉強に関しては、自律走行モードになったと言えるでしょう。

6月はざっとこんな感じです。

そして7月は以下を目標としてやっていきます。

  • 8月に株式市場に参入(IPOじゃないす。ただ株を買うだけす)することを見据え、見込みのある銘柄を選んでおく
  • 選んだ銘柄について、なぜその株が今後価格上昇すると思うのかを、ロジカルに記事に書けるようにする
  • 『事業担当者のための逆引きビジネス法務ハンドブック』読破(まずは通読でも)
  • 当期純利益黒字を維持

以上、報告は以上となります!

 

八幡

 

 

 

 

自分の中の納得できない部分が伸びしろであってほしい

お疲れ様です。八幡です。

しばらくブログを更新できておりませんでした。
しばらく、コンペのための提案作成で、なかなかブログに向かう時間がなかったというのが言い訳になります。

ただ、僕よりも忙しい人が毎日ブログを更新しているのを見ると、サボってだけだと思いますけどね。

昨日の金曜日、僕にとっての今年2回目の戦いの半分が終わりました。戦いというのは、僕はまぁ営業なので、案件を取るためのコンペとなります

半分終わったというのは、提案書を提出した段階で、来週はプレゼンがあるということになります。(僕はプレゼンはしないですけど。。)

今年一発目のコンペでは、僕は正直失注する気はまったくなくて、絶対取れると思ってましたし、実際それを周りの人にも話していました。

なぜなら、僕のすべてを出せたから。人事を尽くせたと思ったから。そして、今まで人事を尽くしたことで、結果が出なかったことが生きてきて一度もなかったからです。

ただ、今回は、どうもそういう自信が湧きません。人事を尽くしてないとは言いません。僕ができることはすべてしてきた「つもり」でした。ただ、今考えると、「ここはもうちょっと~できたな」というのが山程あります。

「こうすべきだった」と今の自分が思うことが当たり前のようにできる自分は、きっと今よりもスキルが高く、視野も広く、メタ認知ができる自分なんだと思います。つまり、今の自分は自信を持って受注を予測することができるくらいには至って無いということです。

そういうときは、結構凹みます。壁を感じます。自分の小ささを感じます。自分のダメ差を思い知ります。逃げたくなります。

実際、今僕は、僕が話すわけでもない来週のプレゼンの場から逃げ出したくて仕方ありません。僕のダメさが露呈させられるような気がして。お客様に失望されるような気がして。

そんな、公開処刑のような場に、自らすすんで行きたいという人間がいるでしょうか?

今日、そんな憂鬱な気分の中、ある映画を観ました。

www.youtube.com


以前からこの映画の予告編を観ていて、気になっていて、今日やっと観ることができました。

詳しいことは書きませんが、とにかく僕は今日この映画に勇気づけられました。

主人公は、遺伝子の問題で、生まれたときから顔が醜く、小さいときから整形手術のために入退院を繰り返しておりました。

そして、小学五年生のときに、その主人公のオギーは、母親と父親の勧めもあり、初めて小学校に通い始めます。

顔が醜いオギーは、小学校の中で、悪い意味で注目の対象になってしまいます。そして、それはいじめの対象となることを意味します。数々のいじめを受けるなかで、オギーは大変傷つき、自分が悲劇の主人公だと思い込みます。

ただ、この映画の主人公は、オギー一人ではないんです。この映画は、オギーの生き様が、オギーだけでなく、オギーの実の姉、オギーのはじめての友達、そしてオギーの姉のかつての親友等、さまざまな人の視点から描かれるのです。

その中でわかるのは、生まれたときから醜く、いじめを受けるオギーだけが悲劇の主人公なわけでなくて、それぞれ誰もが自分の人生の中に悲劇的な要素をもっているということ。その悲劇から抜け出すために、悲劇の主人公である自分自身と闘っているということ。

ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、ある意味、僕も今の自分自身の人生を、ある意味悲劇的にとらえていて、そこから抜け出そうともがいているのかもしれません。

その悲劇を抜け出すためにするべきことは、わかっています。それは、決して逃げないこと。

オギーも、学校に通うことから逃げ出さず、ゆくゆくは良き友達を持ち、学校の中でも人気者になりました。オギーの姉も、自分を突き放したかつての親友を決して責めず、自分ができることをやり抜き、演劇部の活動の中で、劇の主人公を演じるにまで至りました。オギーの初めての友達も、心無いことをオギーに言ってしまったという事実から目をそらさず、しっかりオギーに謝ることができました。

なら僕が今やるべきこともわかってます。それは、諦めず、来週のプレゼンのために、僕ができることをやり、人事をつくすということです。

僕は絶対逃げません。誰からも、何からも。自分自身からも。

そう誓います。そして、今回の案件で僕が至らなかったことは、そうだったと認めます。決して誰のせいにでも、運命のせいにもしません。

ただ、僕が至らなかったことをそのままには決してしません。同じ状況を迎えた時、僕は自信を持って受注を確信できるようにします。それは、会社のためでも上司のためでもありません。僕のためです。

すっげー暑苦しい、うざい文章になってしまいましたが、今の感情を忘れたくなかったので、あえてブログに書きました。

大変失礼しました。m(_ _)m

「to do(コト)」よりも「being(状態)」にもう少し重きを置いてもいいのではという話

ある本を読んでたら、こんな話が出てきた

世の中は二種類の人間に分かれる。to do(コト)に重きを置く人間と、being(状態)に重きを置く人間である。

前者のto doさんは、何をするのか、どんなことを成し遂げるのかということを考え行動し成果を上げていく人間

後者のbeingさんは、成し遂げるものごとよりも、どんな人間でありたいか、どんな状態でありたいかを重視する人間


このような説明がされている。

あなたも、自分がどちらの人間に分類されるか考えてほしい。

おそらく、9割以上の人間は、後者のbeing人間に分類されるだろう。僕が読んでいた本だと、99%がこのbeingに属すると述べられている。圧倒的大多数は、「何を成し遂げたいか」という明確な夢や目標に向かって行動はしないというとだ。

かく言う僕も完全にbeingさんだ。僕に明確な夢や目標はない。それを持つきっかけも自意識もない。これから何か大きなことを成し遂げる気配も目論見もない。

ただ、このように書くと、どうしてもto doさんの方が優秀で、beingさんは、to doさんに比べたら大したことないというような、劣等感に駆られるのはなぜだろうか。

それはどうしても、僕たちの頭の中には、いわゆる「成功者」であるto doさんが自伝に遺した名言(例えば、孫正義氏の「志高く」は最たるものではないだろうか)や、世の中でto doさんをもてはやす風潮があるからだと思う。

確かに、世の中の歪みを見つけ出し、問題意識を持ち何かを成し遂げ行く人の姿というものはかっこいいし、賞賛に値するだろう。わかりやすい例で言うと、孫正義氏やゾゾの前澤氏、最近の例で言うと、幼いころに両親をなくし、少年時代から路上弾き語りでお金を稼ぎ、石原さとみさんとの交際も報じられたShowroom前田裕二氏など、ちょっとFacebookのタイムラインを見れば、to do人間の活躍を称賛する記事が流れ、同世代の人たちも、社会活動やらボランティアやら勉強会やら起業やら、本当に色々とtodoっている。

僕は、決してto do人間を皮肉っているわけではないし、本当にすごい人もいっぱいいると思っている。僕がここで言いたいのは、to doだけでなく、もう少し自分のbeingをそれぞれが誇ってもいいと思うし、その方が皆幸せなのではないか?ということである。

to doは、どうしても個人差が生まれてしまう。個人の才能や生まれた時の境遇等、どうしても努力では埋めることができないものがto doでは顕になってしまう。

同世代や大学の知り合いが、自分よりもはるかにすごいto doをしていることをFacebookのタイムラインで見て、僕たちはものすごく焦る。なぜなら、僕たちはto doで評価されることが頭にあり、to do力でその人に劣る=あまり評価されないということを感じているからだと思う。

でも、正直その焦りは意味がないと考えている。さきほど言った個人差は仕方ないものだし、生まれたときから幸せで、世の中に問題意識の持てないようなやつに、「常に問を持ち続けろ」と言っても、正直しんどいと思う。

より重要なのは、個人が「どんな状態で生きていたいか」を考えることではないだろうか?

例えば、「お金持ちになる」でももちろんいいし、「お嫁さんになる」「パパになる」「ママになる」でももちろんいい。

もっと現実的な線で言うと、「決して人に嘘をつかない」であったり、「営業として、お客様には筋を通す」とか、「目の前の仕事に全力を尽くし、常に少しずつ上司の期待値を超える」、「どんなに社内調整が大変でも、顧客目線を一番大事にすることは決して忘れない」とかもあるかもしれない。

こういう、「自分がどういう状態でありたいか」は、他人と比べられない。なぜなら、人の価値観は人それぞれであり、価値観に良いも悪いも何もないからである。

そして人と比べられないと、僕たちは僕自身に目を向け始め、自分の良さも悪さも誇れるようになるのではないか。簡単な話、幸せになるのではないか。

綺麗ごとのように聞こえるが、十人十色でみんないい、特別なオンリーワンでいい。僕たちが考える「こういう人間でありたい」に評価するものはいない、そういうことに重きを置いてみたらいいのではないだろうか??

そして、才を持ち生まれたものは、「事を成す」ことで人生を彩ればいい。それももちろんオンリーワンの一つの道だから。

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※余談だが、SMAPの独立した3人も「どういう状態でありたか」を考え抜いた結果の独立だったのかもしれないとふと考えた。