Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

売値を下げることはすなわち会社の首を締めることと同義である

最近、管理会計を勉強しております。以下の管理会計の基礎を学ぶには、以下の本がとてもわかりやすくオススメだとおもいました。

 

books.rakuten.co.jp


さて、表題の件について話す前に、そもそも管理会計とは何かということを説明しようかと思います。

管理会計とは、簡単に言えば「会社の儲けを創出するための会計の考え方」と言えるでしょう。売上が~で、コストが~だから結局~円儲かるねってことを、考えるためのものです。

では、これはB/SやP/Lを作成するための財務会計と何が違うのかという話ですが、そもそもこの2つはゴールが全く異なります。

財務会計は、税務署や株主のための情報開示を目的として、法律により定められた一定のルールに従い財務諸表を作成するためのフレームワークであり、対外的なものになります。そこに儲けるための手法や情報の見える化という概念は存在しません。

それに対し管理会計は、「どうやったら儲かるのか」をあくまで内部で考えるためにある、情報の見える化の手法となります。会社が儲けを生むために適用されるフレームワークとしてより重んじられるべきなのは、この管理会計なのです。

では、管理会計とは一体どのようなものなのでしょうか?
この問いを、「限界利益」という言葉を用いて説明します。

管理会計で最も重要視されるKPIは「限界利益です。限界利益とは、粗利益とも言われたりするのですが、売上-変動費で算出される値を指します。

売上は、皆様が想像する売上と齟齬がありません。問題は変動費です。変動費は、コトバンクによりば、以下が定義となります。

生産高や売上高に比例して発生する費用で、中心となるのは原材料の仕入費用や外注費用など。

 
「あれ、これを変動費と言うならば、「限界利益」は財務会計における「粗利益」と同じじゃないか。」

と皆様思われるでしょう。

ここで思い出してほしいのは、財務会計は一定のルールに沿って対外的に実施されるものである一方、管理会計はあくまで自社で儲けるため手段を考えるために実施されるものであるといことです。

財務会計における粗利益は「売上-仕入れや外注費等のコスト」で一意的に決まる一方、限界利益における変動費の定義は、各会社の「儲けるためのモデル」により、いくらでも変わってくるのです。

あるIT企業を例に、この変動費の定義が流動的に変わることについて説明しましょう。

あるIT企業においては、限界利益の定義は以下のようになります。

限界利益=売上-変動費仕入高+外注費+受注後のSEや開発メンバーの稼働コスト)


上記の式で特徴的なのは、「受注後のSEや開発メンバーの稼働コスト」なのではないでしょうか。

稼働コストとは、いわゆる人件費とほぼ同義です。あれ、だったら、人件費は毎月決まった額が支出される「固定費」になるはずなのに、なんでSEや開発メンバーの稼働コストは変動費となるのでしょうか?

SEや開発は、ある情報サービスを提供するためのアプリやWebを開発構築したり、それを常に正常に利用できる状態にするのに保守・運用を実施します。

言うなれば、SEや開発の稼働は、その会社における売上に直結します。また、SEや開発のリソースは有限であり、ある案件で大きな稼働をかけている場合は、別の案件での稼働分が犠牲にされるというまさにゼロサムなリソースとなります。

管理会計が、「儲けの見える化」のためにあるなら、このような儲けに直結するようなリソースは、常に売上と結びつかれ、管理されないといけません。だから、ITに企業における限界利益を求めるための変動費の定義には、SEと開発のリソースが織り込まれるべきなのです。

さて、前置きが長くなりましたが、ここで表題の「売値を下げることはすなわち会社の首を締めることと同義である」の登場です。

お客様の希望に合わせ、競合に合わせ売値を下げることは、一番最後に考慮されるべき、頻発すべきでない営業戦略となります。

何故かと言うと、その売値の減額分が、そのまま限界利益の減額分となってしまうからです。

なんでなのでしょうか?それは想像に難くないと思いますが、売値が下がったからと言って、そのプロジェクトにかかるSEや開発の工数はその分下がるわけではないからです。つまり、変動費は全く下がらないのに、売上高だけ下がるので、その売上高の下がる分利益が減ってしまうのです。

簿記の原価計算にもよくある考え方なのですが、「変動費」なので、売上が下がる分だけ変動費が下がると考えるのは大間違いです。プロジェクトの売上が下がるんだったら、その分SEさんや開発メンバーの稼働を圧縮できるでしょうか? 答えは否です。

この限界利益の考え方をあたり前のものとして受け入れるためには、財務会計的な「売上×利益率=利益」という割合の考え方は捨てなければなりません。大切なのは、限界利益の「額」であって、「利益率」ではありません。よって、営業にとって評価される指標も、売上×利益率という考え方でなく、どれだけ儲けをもたらしたのかの「額」によるものでないといけないかと考えます。

最後の方は、僕のオピニオンがおもいっきり入ってしまったのですが、これで、売値を下げるということが、営業戦略にとって悪手になることを理解いただけたと思います。(もちろん、限界利益を考慮したうえで、それでも戦略として減額するということは考えられるかと思います)

管理会計を勉強して、会社が儲ける体制を作るためにはこの「限界利益」の考え方が大事であることを実感できました。そしてさらに重要なのは、そのような考え方が普及されるような土壌、制度を整えることだと思います。

 

安易に売上と、売上×割合で評価されるものにより、限界利益がマイナスのプロジェクトを受注してしまうと、その企業の首を締めてしまうことになるのですから。


おわり。

辞めるなら今この瞬間。何かやるなら今この瞬間。その連続しかない。

最近僕が気になるその男、与沢翼と申す。

与沢翼という人を知っていますか?僕はあんまり知らなかったのですが、とりあえず事業立ち上げたりうまくいったり倒産したりした超金持ちの人くらいと思ってました。

最近、彼についてより興味を持つきっかけがありました。以下の記事です。

oreno-yuigon.hatenablog.com


この人やばくないですか?笑

僕が知っていた与沢氏はもちろん太っていて、それがデフォルトだと思ってました。

ただその記事のダイエットに成功した彼の姿がそれはそれはかっこよく。。。
2ヶ月でそんなに人って変わるんだなぁとまじですごいと思いました。

表題の言葉は、与沢さんがよくツイッター等でつぶやいていることなのだけど、とにかくやると決めたらやる。やらないと決めたらやらない。やることに関しては必ず自分との約束を守り、やりぬく。人との約束は破っていいけど、自分との約束は決して破らない。自分との約束を守って、一つ自信を積み重ねてレベルアップし、やると決めたことに関してはバランスなど考えず、エクストリームにやりぬく。

というような考え方が本当にすごいなーと。イケてるなぁと。

最近僕も、何をやるべきか、何を辞めるべきか、誰と付き合うべきか、誰と付き合わないべきか、をよく考えていて、人との関わり方に特に悩んでいて。

色んな事をして色んな人と関わってバランスをとって、、、というのもいいのかなぁと考えていたところ、与沢氏のような人に感銘を受け、、

本当どっちが正解なんだよ!って日々迷っています。

まぁ、昨日今日で出した結論は、

バランスをとろうと考えるのはやめよう

ということです。色々やってみた結果バランスが取れていたとかだといいと思うのですが、バランスはゴールとして求めるものでないなと思いました。

あんまり付き合いたくない人とも、「バランス」を求めるがゆえに付き合ったり飲んだりするのはもうやめようと。

やりたいことがあるのであれば、あまり難しいことは考えずひたすらやろう。そこにリソースを使おう。自分との約束を必ず守りきろうと。

そんなこと考えてます。

この考え方の結果、僕の人生がどうなるかは、正直わかりません。が

なんとなく以下の彼のツイートは本質だと考えてます。

 

おわり

私が今一番イケていると思う経営者は・・・・

断言しよう

(今のところは)稲盛和夫氏である。

これまで、好きな経営者として、『入社1年目の教科書』の著者でもある、ライフネット生命の岩瀬氏や、『お金2.0』の著者でもある佐藤氏、いつもハートフルなブログ記事やVoicyの投稿をしていて、保育における日本の課題を解決するという素晴らしい事業の立ち上げ人であるキッズラインの経沢香保子さん等を挙げていた。

ただ、今はぶっちぎりで稲盛和夫氏である。

稲盛さんについてご存じない人がいたら、とりあえず以下の記事を読んでみてほしい。

tsuyomon.com


私は、稲盛氏のことは以前からなんとなくで知っていたが、深くは知らなかった。彼を心の底から「まじですごい」経営者と思い始めたのは、以下の本を読んでからである。

books.rakuten.co.jp


いやー、すごい。この本には心を打たれた。

この本は、稲盛氏が考える、会計における重要な考え方と、それをどのように経営に活かすのか、どう活かすべきなのかの哲学について稲盛氏本人により書かれている。実学」のタイトルは伊達ではなく、彼の経験から語られる会計と経営は、より臨場感とリアリティを持っており、あまり会計について詳しくない僕でも自分が身をもって経験したかのように感じられた。

ちなみにこの本を読んだとき、メモがてら八幡が作成したマインドマップは以下である。


この本で一番印象に残っているのは、彼の生き方そのものが会計を通し語られることである。

「公明正大」、「人として正しいことをする」等、人が生きる上ではフェアネスが何よりも重要であるという旨の言葉が何度も本に出てくるのだが、そのフェアネスを会計上でも実現しているのが、稲盛和夫氏の凄さである。

例えば、「1対1の対応を貫く」なんてまさにそうだ。

仕入と売上の関係を必ず1対1で捉える。お金の動きとモノの動きを必ず1対1で捉える。

「予算が~月なので、まだ役務提供受けてないけど、先請求書だけいただけないかしら~」等、便宜上請求もしくは仕入れ伝票を先に立てるみたいなことは、正直どこもあるとは思うのだが、稲盛和夫は決してそれを認めない。簿記で言う、借方と貸方の側面で捉えられる取引でないと必ず認められないらしい。理由は、それが会計として正しいから。

また、詳細はまた別の記事にでも書こうかと思うが、アメーバ経営が、稲盛和夫氏が説く「正しい経営」の最骨頂であると思う。

アメーバ経営は、各事業部ごとに利益の見える化を促すことを目的とした、事業部をアメーバと暗喩し表した経営方針のことだ。一種の管理会計の手法とも言っていい。

企業は大きくなればなるほど売上も大きくなるが、その分コストも増える。そして大きくなった企業は、そのコストが色々混ぜこぜになってしまい、コストのどの部分が収益のどこの部分をもたらしているのかの把握が難しくなるらしい。

製造業だと、「原価標準=目標となる製品1単位あたりの標準的な原価」を基に、原価目標を立てるケースが多いらしいが、その原価標準は、過去の実績や同じ業界の平均値から採用されることが多いらしい。

稲盛和夫は、原価標準という考え方を「正しくない」とする。なぜなら、製品の価格は、市場によりいくらでも変わるものなので、原価がある一定の値に固定されてしまうのであれば、売値が下がったときに、販売すればするほど赤字になってしまうということが起こるからだ。

稲盛和夫にとって、原価の考え方として「正しい」のは、原価は変動するものと捉え、常に市場の状況により、目標とする原価を変動させ、常に利益をもたらせるような下地を整えるということである。

アメーバ経営では、各事業部が売上だけでなく、原価までも目標を定め、各アメーバごとで必ず利益をもたらしていく仕組みになっている。さらに、利益をそのアメーバに属する人間の稼働時間合計で割り算することにより、そのアメーバにおける1時間稼働あたりの利益まで計算するらしい。

何よりも素晴らしいのは、各アメーバの利益を合計すると、必然として会社全体の利益が計算できるようになっており、それはすなわち自分たちのアメーバが、会社全体の利益にどれだけ貢献しているかが定量的に見える化されることだ。どのようなアメーバでも、「利益」を意識するようになり、全員参加型の経営が実現できる。

そのようなシステムの考案者かつ実践者である稲盛氏、なんか超絶すごい経営者と思えてこないだろうか??

「正しさ」を求める人間はいっぱいいるが、実現できる人はなかなかいない。稲盛氏に僕が羨望の眼差しを送るのは、「正しさ」を会計と経営により体現しているところだ。

言行一致の人は信用されるが、それはもちろん企業にも当てはまると思う。

企業活動の中で「公明正大」を実現する稲盛氏を僕はこころの底からすごいと思うし、そんないかした人間にもなりたい、いやなるんだと決意を持った。

 

おわり

アートが経営にもたらすもの

おはようございます。

最近更新できず、ごめんなさい。全国にいる3名のリピーターさん、ごめんなさい。
暑さと仕事のプレッシャーでへたっておりました。

僕はここんとこ「Life is work」ばりに、仕事について一番優先して考え行動していたのですが。

あんまりいいものではないですね。仕事が一番!は、はたから見るとストイックでかっこ良いように見えるかもですが、その分時間も気力も仕事に依存し費やしてしまうということなので、人生における別の要素が疎かになり、結果全体的には不幸になるような気がします。

まだ25の僕がこんなこと言ったら、多分人生の先輩から怒られるのかもしれないですけど、やはり大事にすべきなのは仕事だけではなく、何より身近な人との関係なのかなぁと思います。具体的に言うと両親、兄弟、彼女、仲の良い友達。

若い僕がバランスなんて追い求めるものでもないとは思うのですが、精神衛生上的にも、仕事は「あくまで世の中に少しばかりの価値をもたらす経済活動」って割り切った方が良いとは思いました。会社にいると使えるリソースも多く、それだけその経済活動の幅は大きくなりますが、それと身近な人を大切にすることは全く別の宇宙の話で、どっちが大事とか比べられるものでもない。同じだけ重要だし、同じだけ真面目に考えるべきなのだと思います。

まぁ、そんなんが最近仕事について感じることです。

今日は、以下の本について考えていきたいなと。

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アートと経営
って相反するもので、結びつきがあまりなさそうなのですが、近頃アートを学ぶ経営者が増えているのだとか。

確かに、最近経営にアートという観点を持ち込む事例が増えているような気がします。例えば、デザイン思考という言葉だったり、マッキンゼーがデザイン会社を買収したケースだったり。

なぜアートの要素が経営にもたらされるのかっていう問いに関しては、やはりアートが経営に役立つからと言わざるを得ないでしょう。この本は、その理由に関して大きく3つの観点から説明してます。

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある

経営において、アートと対極にあるものはロジックです。そしてそのロジックこそが、多くの企業の中で、経営における一番重んじられるものとして扱われておりました。

なぜロジックが重んじられるかと言うと、ロジックには「アカウンタビリティ」があるからです。簡単に言うと、ロジックにより意思決定における説明が可能となるからです。また、ロジカルシンキングにおける正解は常に1つであり、その1つの正解にたどり着くことで安心感をもって経営の意思決定ができていたということでしょう。


しかし、変動性と複雑性が激しいこの世の中(VUCAワールド)において、正解が一つということはありえません。様々な要因が、世の中を動かしている今、与えられた正解に速くたどり着けるというロジカルシンキングスキルはコモデティ化してしまい、あまり価値をもたらすものではなくなってしまいました。コモディティ化したものの価格は下がります。

②世の中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある

簡単に言うならば、「すごい」とか、「かっこいい」、「かわいい!」って周りから言われるような消費の市場が全世界的に広がりつつあるということです。

わかりやすい例で言うと、かわいいパンケーキ屋の写真をインスタに投稿するために列に並んだり、男で言うと、渋いジムでめっちゃ頑張ってトレーニングしている自分をインスタに投稿するためにジム会員になる(僕くらいかな)こととかですね。

いわば、物がもたらす経済性よりも、自己実現のためにたくさんのお金を使う人が多い世の中で、美しいもの、クールなもの、かわいいもの、でないものは見向きもされないので、人を惹き付けるよなデザインや、それをもたらす美的感覚が経営において必須ということでしょうね。

 

③システムの変化の制定にルールの制定が追いつかない状況が発生している

最近ですと仮想通貨等が良い例かと思いますが、テクノロジーやシステムの変化に対し、法律の制定が追いついておらず、経営においてやって良いこと/悪いことグレーゾーンが広がりつつある状況の中、意思決定における明確の基準として、アートが重宝されるとのことです。

これはアートというよりも、「美徳」や「美学」という言葉の方がしっくりくるかと思います。要は、外部要因は関係なく、自分の中で一本筋をもって貫き通している考え方や生き様のことかと思います。

「法律には明文化されていないグレーゾーンだからやっていよい」でなく、「その意思決定は自分の美学に沿うものか」を軸に考えていくことが必要であり、その美学を蓄積していくための手段として、哲学やアートが重んじられるのです。


本の内容を要約するとこんな感じです。次に、僕の思ったことを書いていこうかと思います。

まず思ったのは、アートというのは、絵や音楽作品そのものというより、「考え方やそのプロセス」なのだなぁと思いました。

絵を書いた結果としての作品、音楽を奏でた結果としての作品そのものよりも、そのプロセスにこそ意味がある。そのプロセスにおいて、どんなことを感じたのか、それは気持ち良いのか気持ち悪いのか、美しいのか嫌なのか、そういった感情や感性の変化こそがアートの真髄で、その感情や感性の変化や変動性こそが、経営においても役立つ要素となるのだと思います。

なんでかっこいいと思ったんだろう。なんで気持ちいいと感じたんだろう。

その問いの先にこそ、自分なりの美学や美的感覚の答えがあるし、その答えこそが人生における選択や行動の基準となるのではないでしょうか。

また次に思ったのは、人生は無駄なものがあっても良いし、その無駄なことこそが価値になるということです。

この本を書いた人は、元BCGのコンサルの人なのですが、コンサルみたいな頭の良い人の中で文学に親しんでいる人って、本当に少ないみたいです。正解を最速で導き出すプロとしてのコンサルは、文学は読むのに時間がかかってROIが低いと考えているのかもしれません。

しかし、「すぐ役立つものはすぐ役に立たなくなる」という言葉があるように、コンサルのフレームワーク的な知識よりも、読んで理解するのに時間がかかる哲学や文学等の基礎教養が、もしかしたら一番役に立つのかもしれません。そういった観点で、もっと僕の人生に無駄なものを取り入れてもいいのかなって思いました。

また最後ですが、僕がアートと自負している「仮名」に関しては、誰よりもうまくなろうと決意しました。

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平安時代の仮名は、本当に美しいです。前にもどこかで書いた気がするのですが、仮名遣いや配置、筆遣い、和紙等の仮名におけるすべての要素が、日本的な柔らかくて繊細でもある美的感覚の集大成だと僕は思うのです。

僕は偶然仮名を学ぶ機会があり、今でも月1で先生に習っておりますが、この仮名を誰よりも極めようと思いました。「何をもって極めたと言うか」は難しいですが、とりあえず「最近仮名が書けるイケているやつといえば八幡かな」っていつか日本文化界隈で言われれば良いかと思います。

以上です。

この本もめっちゃ面白いので、みなさま購入して読んでみてください\(^o^)/

 

いい人でいるのは結構たいへんだしコツがいるのではという話

昨日、ある記事を読んだ。そんなに長くないし、文章もとても読みやすいので、ぜひとも皆さんにも読んでいただきたい。

 

note.mu

 

この記事は、僕にとってかなり印象に残るものだった。なぜなら、僕が思う、「どんな人間が一番魅力的なのか」の答えがそのまま書いているからだ。

最近、なぜか色々な人と飲む機会が増え、色んな人と話し、多様な人柄に触れるようになった。その中で、「この人は本当に面白いな。好きだな」っていう人がたまにいて、そういう人ってどんな人なんだろう、って自分なりに考えているさなか、この記事を読んだ。

この記事に書いてある田中さん(仮名)というのは、上の質問の答えである人柄にかなり近くて、なるほどなぁと思いつつ読んだ。まとめると

  • 配慮ができ、気の利き具合がすごい
  • 自尊心が高い(相手を見下すのでなく、自分なりの筋を必ず通すという意味で)
  • 今を生きている
  • 相手の立場になり言葉を受け止め、真摯に思うことを返答する
  • 上記をまとめると、人から「信頼」を得ている

という人柄に僕は惹かれるし、僕自身がそういう人間でありたいと思っていることに気がついた。

でも同時に、上記でまとめあげている要素なんて超ありきたりで、10人に聞いたら9人は良い人の要素として上げそうなものである。要は、良い人になるための答えってけっこう自明なものなんだろうなというのが、僕の仮説だ。

自明なものでも、それを実践でき人って実は少ない。なんでなんだろう?

その答えがわかったら苦労しないが、なんとなくだが、人に承認されたい、人から愛されたい、自分をすごいと思いたいという、承認欲求が関係していると僕は思わずにはいられない。承認されたいからこそ人を見下すし、承認されたいからこそ嘘をつくし、承認されたいからこそ頭が良いふりをする。少なくともそういう経験が僕にはある。

そしてその承認欲求は、人としては持つのは当たり前のことであり、それを捨てるのは、かなり難しいことである。承認欲求を捨てるということは、ある意味人間臭さがなくなるということでもある。

ただ、この記事の田中さんのような限られた人、僕の拙い経験則で言うと、20人~30人のなかに1人は、承認欲求から自由になり、心から自分に自身をもっている人がいる。人に優しくし、配慮できるのも、相手の意見を受け入れられるのも、確固たる自分への自信の裏返しであると思う。

そういう自己愛は、生まれつきもったものでもあれば、教育により授かったものでもあると思う。しかし、先天性であれ後天性であれ共通して持っているのは、「自分はこういう自分でいいんだ」という自己肯定感であり、それはある意味「これは自分はできるけど、これは正直だめだなぁ。だからこういう強みを生かして頑張ろう」というメタ認知でもあり、同時にあきらめでもあると思う。

人は一人ひとり違うという前提のこと、自分の強みも弱みも受け入れる勇気を持つこと。そして一人ひとりがそういう勇気を持てるように、周りの人がその人の強み弱みを気づかせてあげるだけでなく、受け入れること。

それが田中さん(仮名)のように皆が幸せに生きるための秘訣なのかなぁとなんとなく感じた。おわり。

 

 

『ファイナンス思考』を自身の生活に置き換えて考えてみる

まず、ある本を紹介したいです。

ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』
朝倉 祐介  著

www.diamond.co.jp


「またファイナンス系の記事かよ。。。」って思われる方もいるかもしれなが、そうです。ご容赦願います。

この本は、超超超良いです。全全全国の皆様におすすめしたいです。リアルな話、日本のビジネスパーソンは全全全員読んでも損がないレベルだと思います。今から少し本の内容を要約します。

この本の主張は、

日本の企業は、売上と利益追求型「PL脳」から脱して、長期的で将来的に企業価値を向上するという「ファイナンス思考」をもって意思決定すべし


ということに尽きます。さて、ここで表現されているPL脳と、ファイナンス思考とは、どういったものでしょうか?? 少し解説していきます。

PL脳とは、今この四半期のPLの見栄えを良くしようとし、財務戦略や投資の意思決定をしていくことを指します。「PLの見栄えが良い」とはどういうことかと言うと、簡単に言うと「純利益が出ている状態」です。もっと言うと、「この四半期の純利益を出すために、売上を高めるために色々頑張ったり、費用を頑張って圧縮したり、その他様々なことをした結果」です。

「純利益が出るなら、それはいいのではないか。」

皆様そう思われるでしょう。しかし、良く良く見てみると、純利益がこの四半期で出た=企業にとって必ずしも良い ことではありません。

そもそもPL(損益計算書)は、お金そのものの動きを表したものでなく、企業としての収支状況の解釈をまとめたものです。例えば「このハードウェアの支払いは、数ヶ月後になっているが、申込書をもらったので、売上額として計上することは妥当である」であったり、「このソフトは、数年に渡ってご利用いただくものだが、ソフトの設定もろもろは利用開始時にするものだから、売れた月に売上額のほとんどを計上するのは妥当である」という、会計基準沿ったうえで、各企業が売上や費用に関する解釈をもとに収支を計算することにより、PLは作成されるのです。

PLは、「企業の成績表」と言うくらいなので、資本市場から資金を調達するために、かなり重要な指標となることは間違いないですが、企業がPLの見栄えを良くするために行った意思決定が、企業の「ゴーイング・コンサーン」という前提に則った際に、必ずしも良いことのつながるかはわかりません。

上記の例で言うと、本当はお客様から、3年にわたり毎月お金をいただくのに、初月に売上額のほとんどを計上してしまうと、PLに売上として計上されている額よりも、実際のキャッシュが全然足りてないということにもなります。他にも、PLの費用圧縮のためめに、必要な投資の額を削減する等、今のPLの見栄えは良くなっても、将来の利益の種を食いつぶしてしまうということも起こりえます。

企業は社会の公器です。継続的に世の中のためになるような製品やサービスを提供し、その対価としてお金をもらいながら、企業が世のため人のためになるものを提供し続けることに意味があります。今のPLの見栄えを良くするために、将来の躍進のためのエネルギーを消耗させてしまうには、企業が企業である意味が無い、ということになります。(ただ資金を供給してくれる銀行等は、PLの数字をかなり重要視しているみたいなので、PLを気にしすぎず資金を引き上げられるということになってもダメですが。この辺の塩梅が、特に銀行借入により資金を得ている企業は難しいのでしょうね。)

ファイナンス思考は、あくまで今のPLでなくて、企業価値の向上をゴールに意思決定をすることがその本質です。

企業価値は、DCF(ディスカウント・キャッシュフロー)法に倣えば、将来にわたり企業が稼ぐお金の現在価値で試算されるものなので、何より今~将来にかけてキャッシュフローの最大化を目標として意思決定することが重要ということになります。

少し専門的な言葉が出てきましたので、もう少し噛み砕いて言うと、

何より将来にわたり継続的にお金が稼げるように、企業活動をしていこうぜ


ということになります。

この「ファイナンス思考」による経営を特にしているのがアマゾン社です。アマゾンは、創業してからずっと、赤字を垂れ流しにするだけでなく、株主への配当も全くしていませんでした。ただし、「将来キャッシュフローの最大化」をゴールにし、勇猛果敢かつ当期の利益度外視で、AWS事業やAIの研究開発、配信用動画コンテンツ作成に莫大な投資を続けた結果、今やとんでもない時価総額になっています。

ちょっと前置きが長くなったのですが、僕らはこういう「ファイナンス思考」を、実生活に取り入れてもいいのではないか、ということがこの記事で言いたいことになります。

僕は、母親から彼女から「貯金しなさい」と耳にタコができるくらい言われております。尊敬しているライフネット生命の岩瀬さんも、「何はともあれ貯金せよ」と、著書で書かれております。


でも、本当にそうでしょうか??

もちろん、貯金がなくなって破産はしない程度に、お金はあるべきだと考えます。(企業で言う運転資金的な意味で)

でも、不必要に、何も考えず「とにかく貯金」は、まさにこの本で言っている「PL脳」に汚染された結果なのではないでしょうか??

僕は25才です。今は、貯金度外視でどんどん金を使って学んで、酸いも甘いも経験し、どんどん吸収していく時期だと思います。会社で言うと、営業CFはプラスになりつつあり、投資CFがすごいマイナス、財務CFプラスと言う感じです。ZOZOの前澤社長も、「お金は使えば使うだけ良い」とおっしゃっております。(影響されやすw)

日本の若者諸君

PL脳に汚染されてないか? 「とりあえず貯金」という妄言に騙されていないか??

ファイナンス思考」をもって将来のために今お金を使うという意思決定をし、最高の経験と学びをどんどん得ていこうではないか!!!!

以上、八幡の貯金できない超超超絶言い訳でした。7月のPL状況は、すでに4万の赤字が確定してますです。。。

相手の立場になって考えるためのコツを教えます

「相手の立場にたって考える」

これは、人の人生を豊かにするために最も効果的かつ即効性のある考え方だと思う。

「人生を豊かにする」ということは、色々解釈が分かれるとは思うのだけど、例えば人に大切にされたり、人と仲良くできたりなど、自分以外の人間と、温かい繋がりができることなのかなぁと思う。

以前ブログにも書いた気がするのだけど、僕は留学が終了した後に、僕の恩師(中学校時代に僕をつきっきりで第一志望の高校に入れてくれた塾の先生)に人間性を思いっきり否定されたことにより、相手の立場になって考えることを少しずつ意識し始めた。

もちろん、それが常にできているかと聞かれたら、多分できてないときも往々にしてあって、きっと知らぬうちに相手を傷つけていることもたくさんあるのかなぁと思う。しかし、少なくとも恩師から厳しいお叱りを受ける前と後では、著しく人からの受け入れられ方が変わったと思う。

この「相手の立場にたって考える」ということは、何も普段だけではなく、仕事の中で特に必要となってくるものだ。僕は営業であり、お客様と常にコミュニケーションをとっている以上、そのスキルがないと話にならない。

「お客様」というラベルがつく以上、友達や家族等に向けた気遣いとまた異なる気遣いが必要で、それを身につけるために僕は丸一年もかかってしまった。。。

・・・

少なくとも、「相手の立場にたって考える」ことを意識的にできるようになった僕も、どうしても相手が理解できないときもある。

先週、あるお客様との連絡で、どうも上手くいかなく、噛み合いもしなくて、お客様がほとんどキレている状態にまでなってしまった。

「なんでこうなったんだろう?」と必死に考えてみたのだが、なかなか自分だとわからない。そこで僕は上長に、そのお客様の気持ちについて聞いてみることにした。

上長は、もちろんそのお客様そのものではないので、気持ちを100%理解しているとは限らない。しかし、上長の推察はかなり腑に落ちるもので、上長の推察通りにお客様が感じ、不満に思っているシーンが鮮明に目の前に浮かぶようだった。

自分以外の人の思考を読み取ることは、正直難しい。性別や生まれた土地、生まれ育った家庭環境や、出身の学校、職歴や現在の業務内容等、本当にたくさんの要因がその人の思考に影響を与えるからである。

おそらく人の感性や思考を読み取る能力は、人がいままで対峙してきた人間の数に比例して向上するのではないかと思う。しかもただ対峙するのではなく、相手の感情を考えながら接している必要がある。

僕は、完全に言い訳だが、相手の立場にたってものを考えるようにし始めたのは21才以降なので、おそらく平均よりもかなりその能力が劣っていると思う。ある意味今回のお客様との件は仕方なかったかもしれない。もちろん自分で、相手の気持ちを考える努力は決して怠らないが、今回は上長に早めに相談できたのが大きかった。

人を理解するには、知識や想像力をフル稼働して、その感情や言動の背景にある要因を読み取らないといけない。そしてそれが自分の知識と想像力の域を越えるものであれば、その範囲が広い「大人」の力を借りるのも一つの手だと思った。

僕をけちょんけちょんに言った僕の恩師が、僕が21才のときに、「年上の人は必ず敬わないといけない。なぜなら、自分より年をとっているという事実だけで、自分にとってありがたいことだからだ」という旨の発言をしていたのだが、それってつまりこういう事なのだと思う。自分より年を重ねていればそれだけ自分よりも色々な経験をしているし、様々な人ともコッミュニケーションをとっていて、それだけ「相手の立場にたって考える」ことは自分よりも上級者で、学ばせていただけるということなのではないか。

まとめると、自分よりも経験が豊かな大人が考えることに触れることで、相手の立場にたって考えるための、自分のしょぼい想像力と知識を拡張できるのではないかと思う。それは対面でのコミュニケーションはもちろん、大人の書いている本などを読むことも、充分効果があるのではないか。

自分の想像力の至らなさに少し無力感を感じながらも、僕に新たな観点を与えてくれる大人が周りにいるのって本当にありがたいことだな、と自分の運の良さを感じた日だったとさ。

おわり