Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

感覚的なもの(アート)と説明可能なもの(ロジック)を行ったり来たりできる真摯な人こそ最強である

今日は久しぶりに読書感想文でも。

 

以下の本を読んだ。

www.diamond.co.jp

 

私が好きな作家さんである山口周氏が以前Facebookでおすすめしていて、昨日TSUTAYA Roppongiでプラプラしていたら平積みにされていたので、思わず購入。そのまま読んでしまった。

 

この本は、基本的に山口周氏が『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』で言っていることと変わらない(こちらの読書感想文はこちら) 

kazunori88ta.hatenablog.com

 

これらの本が言っていることを簡単に要約すると

  • ビジネスにおいて、ロジック(説明性)だけで勝負するには限界がある
  • なぜなら、ロジックだけで勝負すると、ゆくゆくは行き着く先、ゴールは共通し、コモディティ化するのと、VUCAワールド(=変動性が激しい経済)において、ロジックのフレームでたどり着く結論など、本当に正しいかどうかは誰もわからなくなってしまうからだ。
  • 今後、価値となっていくのは、人の「好き嫌い」や美意識に基づいた感覚的なものであり、その感覚を磨いていくことと、見える化・サービス化することが、今後VUCAワールドでの個人・企業としての生き方にとって重要となる。

である。

 

特に『直感と論理をつなぐ思考法』では、その自分の感覚や美意識をどのように見える化し、サービス・プロダクト化していくかの方法論が述べてある。

 

その方法論は、正直1度読んだだけで理解できるものでないし、正直読んで理解するよりも、手を動かして実体験していくことが重要なので、こちらのブログには詳細は記述しない。ただ、エッセンスは以下のようなことが挙げられるだろう

  • 他人のことでなく、自分の感覚や気持ちに正直な「余白」時間を作り、その時間で自分自身の感覚を手を動かしてアウトプットしていく(=プロトタイプを作る)
  • そのアウトプットを、他社の目線や俯瞰的な視座からのフィードバックを得ながら、変容させていき、常により良いものとしていく

の2点。正直これだけじゃまったく理解できない(というか、僕自身が理解していない)と思うが、重要なのは、MECEなどのロジックや、フレームワークを用い、「テキスト」を使って見える化するのでなく、絵や色の視覚、聴こえるもの、感じるものを感じたままに表現していく、ということになる。

 

結果アウトプットされるものは、もちろんテキストを使った企画書でも報告書でもなく、絵や図が多様された紙芝居でも、稚拙なものでも良い。需要なのは、その感覚的なアウトプット(=プロトタイプ)をもとに、色々な意見やフィードバックをもとにどんどん変容させていく、という態度、考え方である。

 

この「個人の感覚や情熱に沿って体現されたもの」こそが、ロジックの力だけじゃたどり着けない、人の感性に寄り添ったプロダクト・サービスなり得るものであり、それこそが、今後の企業・個人にとって重要となるもの(≒金になるもの)になるのだというのがこの本の趣旨だ。

 

 

さて、ここからが、僕が感じたこととなるが。

 

 

この本で言っていることはわかる。

 

今や、SNSで人々の「好き」が集められ、そこから金を生み出すことも簡単な世の中だし、僕自身も営業として、ロジックでお客様を納得させることと同じくらい、コミュニケーションやなんとなく「好かれる」ことが結果的な売上に結びつくことを実感している。

 

ただ、「感覚的なもの」や「個人の好き嫌い」だけで勝負できるか?って言ったら、それは明らかに間違いだと思う。

 

やはり、企業としては体として説明性をもとに意思決定をしていくし、傾きつつある企業に戦略コンサルが入って、説明性をもとに企業を建て直していく事例があるのだから、個人にとっても企業にとっても、ロジックはやはり重要な要素なのであろう。

 

一番重要なのは、その感性とロジックを行ったり来たりすることなのではないか、ということだ。

 

感性とロジック、それぞれにおける限界をしっかり認識した上で、その両輪を適材適所に使い分けるという力こそが最強だと思うのだ。また、その2つそれぞれをうまく組み合わせ、周りに理解してもらいつつ巻き込こんでいく力のもとは、「真摯さ」なのだと思う。

 

「真摯さ」は、ドラッカー氏が『マネジメント』で、マネージャーに一番必要な性質と主張しているが、僕は、マネジメントだけでなく、誰でも周りの人を巻き込んでいくためには必須な要素だと思っている。

 

「真摯さ」がなければ、いくらロジカルに明快な主張をしていても、「正論を言う嫌なやつ」になってしまうし、「真摯さ」がなければ、感性が強く、パッションがある人も「なんかよくわからないやつ」になってしまう。真摯に周りの人とコミュニケーションをとり、理解してもらうことをおろそかにしてしまうと、その人が持つロジックも感性も、価値にはなりえないだろう。

 

 

ちなみに、話がすごく変わってしまうが、僕が最近好きな音楽家にTom Mischという、ギタリストであり、トラックメイカーの人がいる。

 

彼は、幼少期からクラシックを学び、学生のときは、JAZZをやっていたらしい。

少し音楽をかじった人ならわかるかもしれないが、ClassicもJAZZも、かなりロジックにガチガチに縛られている。JAZZは即興演奏が多く、ラフな感じというイメージがあるかもしれないが、とんでもない。JAZZの即興演奏は、マイルス・デイヴィスが完成させた「モードというフレームに沿って、正しい音を組み合わせながら演奏する」というロジカルな表現そのものだ。(もちろん、JAZZも色々種別や分類があるのだが、いわゆる一般的に皆さんがイメージしているものを言っている)

 

だから、僕はJAZZは好きだし、聞いていて心地が良いが、パッションは感じない。

 

しかし、Tom Mischのギターは、ClassicやJAZZの理論に基づき、聴いていて「教養があるなぁ」と思いつつ、その教養だけでは表現できない「何か」があるからこそ、僕は夢中で夢中で仕方ないのだ。

 

それは、アートや武芸で言う、「守破離」の離、つまり、根本的なフレームを理解しつつ、そのフレームから逸脱したことをやりつつ、そのバランスをうまく保つことに似ている感覚があると思う。

 

僕がここで、Tom Mischの話をなぜしたかというと、まさにロジックと感性を行ったり来たりすることが、彼が音楽で表現していることそのものである、と感じたからだ。

 

彼の音楽に教養を感じるからこそ、僕はそれを聴いていて安心しリラックスできるし、教養だけではない彼自身の表現やパッションを感じるからこそ、僕は彼の音楽を聴いて熱狂するのだ。

 

ビジネスでもこのような、ロジックや感性のバランスをとることがきっと重要なのだと思う。そのバランスと、相手に理解してもらおう、という真摯さこそが、今後のVUCAワールドで人々に幸せを与えていく、唯一無二の個人・企業を土壌となるのではないか。

 

最後に、TomMischの教養と感性が溢れる音楽をどうぞ。

 

 

www.youtube.com

ロジカルセリングの本質について考えてみる

最近、社内で「ソリューション営業」の研修があった。

 B2Bの営業で、どのように戦略を立てたら売れるか?についての、感覚的ではない、再現性がある合理的な手法を学んだ。いわゆる営業のサイエンスを学んだわけだ。

 

また、社内研修に便乗して、久々に以下も読み返した。テーマとしては、↑の営業研修と同じである。

books.rakuten.co.jp

 

研修を受け、また読書を経たうえで、僕の頭の整理のためにも、ロジカルセリング(=再現性のある合理的営業手法)の本質について、考えてみたいと思う。



1つ目の問いだが、ロジカルセリングはそもそも何なのか?

そもそもロジカルなセリングはあり得るのか??営業は、感覚的かつ芸術的なもの、最高なまでに属人的なスキルなのではないか??

 

これは、半分はYESで半分はNOであると思う。いわゆるコンシューマ向けの営業は、ほとんど属人的かつ感覚的なものなのではないかと思う。

個人の購買は、必要性と同時に「好き嫌い」に基づくものであるし、個人それぞれの懐具合によっても、購買活動の様子は変わってくると思う。

個人は、「ゴール」が不明確なうえ、購買活動の基準が人それぞれである。必要性にかられてiPhoneを買う人もいれば、なんとかく周りがそうだから、という理由で買う人もいる。iPhoneに一つのステータスと感じローンで買う人もいる。

 

一方、企業は個人に比べ、「ゴール」が明確である。それは、利益を上げ、ステークホルダーに還元することである。(ま、企業の定義や、企業が何のために存在するか、というのは色々な説があると思うが、根本的には利益を上げること=企業における善という前提で良いだろう)

よって、企業における購買活動も、利益を上げることに沿ったものがほとんど考えても良いだろう。たとえ、「業務効率の改善」という名目で購入されたシステムも、元をたどると、業務効率の改善→少ない工数で売上をあげる→利益の改善 という風に、必ず利益に結びつくだろう。

 

そして、企業の購買活動については、「稟議」という道筋を必ず通るものだ。上場していないワンマン企業はわからないが、基本的には、ある程度大きく、整備されている企業であれば、購買時の稟議フローも明確化されている。つまり、購買における意思決定の会議体や基準が明確化されているということだ。



まとめると「利益状況の改善」という共通のゴールをもとに、「稟議」という、形式的な意思決定をする企業への営業は、その手法のルール化、形式知化がしやすい。それこそがロジカルセリングである。

ロジカルセリングは、研修でも本でも共通した2つのアプローチがある。

  • 課題アプローチ
  • 組織アプローチ

の2つだ。

課題アプローチは、端的に言うのであれば、企業におけるコストカットや売上増大、その手段である業務効率の改善等、財務的課題に対し、ソリューションをアプローチすることである。

組織的アプローチは、稟議フローを会議体やキーパーソン、キーパーソンの業務的役割やいつまでにいくらの決裁権がある等を構造的に把握し、その構造に沿って適切な情報を適切な形で出していくアプローチを言う。組織を構造的に捉えるために、先方の担当者とコミュニケーションを重ねていくことももちろん必要だ。

 

このような、企業の財務的課題にアプローチするソリューションを持って、意思決定のキーマンにそのソリューションの価値を訴求することこそ、B2Bの営業における再現性を持つ手法・手段である。

 

 

めでたくB2B営業を「見える化」したわけだが、そこで2つ目の問いである。

B2B営業を、再現性を持ってサイエンスできるのであれば、それを身に着けた人は、必ず受注できるはずだ。ロジカルセリングを身に着けた人でも、受注率にばらつきがあるのはなぜなのか?

 

 

僕は、個人の感覚や経験から言っても、ロジカルセリングにより受注できる確立は、せいぜい50%が良いところだと思う。つまり、企業の意思決定の50%は、合理的でない、他のもので構成されているということだ。それは何なのか?なぜ、意思決定のゴールや手法が明確化されている企業で、そのようなことが起こり得るのか?

 

なぜなら、企業そのものは、実態のないもので、人が集まって作るものが企業だからだ。つまり、企業の意思決定でも、個人の好き嫌いが大きな影響が与えるケースがあるのだ。


これは、僕も営業として、お客様にやられた経験があるのだが、個人の「好き嫌い」をあたかも、「企業的に合理的な」意思決定に見せるのは簡単なことである。

たくさんの定性的論証と、ほんのちょっとの定量的データをちょいちょいって料理してしまえば、立派な稟議資料に出来上がってしまうのだ。

意思決定者の業務的使命は何かを把握するのと同時に、その人の個人的欲求や野心、使命は何なのかを把握することは、同じだけ重要である。


営業としては、その意思決定者の「個人的欲求」にどれだけ寄り添ってコミュニケーションが取れるか、がロジカルセリングの手法と同じだけ重要で、その大部分は感覚的なものであり、もはやアートとも言えるものかもしれない。

その個人的欲求に寄り添うのも、たとえばその人のSNSでの発信情報や、メール文面、電話での語り口調からある程度は分析できるし、相手の立場に立って考え、相手にとって「わかってくれて、役に立つやつ」になれば、接近することもできるかもしれない。
「わかってくれて、役に立つやつ」になるのは、努力により可能かもしれない


しかし、最終的には担当者と営業、人と人との関係なので、人の個性や性格、雰囲気により好き嫌いが分かれてしまうのは仕方ないだろう。それは、もう個人の努力ではどうしようもない。そこはアートな領域で、それにより意思決定者に好かれ、売れる、という人もいるだろう。(メンタリストDaiGoだけは、この領域もサイエンスできるかも)

 

そろそろまとめに入ろう。


僕たちB2B営業がすべきことは、まずはロジカルセリング手法を身につけることである。

どう身につけか?という議論は簡単にできることでないし、そもそも身につけるのに長い年月がかかるもの(僕もまだ半分も身に付いてないかも)かもだが、B2B営業のゴールとしては、お客様の財務に良い影響をあたえることなので、お客様よりもお客様の業界やビジネスを理解して、お客様の利益のためにアドバイスできるくらいになる、というのが一つの指標となるかもしれない。

 

ロジカルセリング手法を身につけたら、あとは人と当たり前のコミュニケーションを当たり前にとれることが、次のステップでなかろうか。

相手は何を考えてるのだろう?相手にどのようなことを言ってあげると喜ぶだろう?

という普段からコミュニケーションで考えていることを、当たり前のようにビジネスの場でもすれば良いのではなかろうか。

まぁ、ここも簡単そうに見えてすごく難しくて、実際僕も1年目~2年目途中までなかなかできず、お客様に良く怒られたのだが、まぁ、親身になって丁寧に相手のことを考えれば、普通にできることなのだと思う。

そしてその先の、「なんとなくおもしろくて、可愛くて、好きになっちゃうやつ」になるのは、これはアートなので、初めから捨てるのが良いだろう。ここも捨てられない人は、メンタリストDaiGoの著書を何冊か読むと良いのではないだろうか(僕は5冊くらい読みました。w)

 

ということで、少し長くなったが、ロジカルセリングについて思うことを書いた。

ロジカルセリングが画期的なサイエンス的営業手法だったとしても、やることとしては、一つひとつのことを当たり前に、一生懸命真摯に取り組むことと本質には変わらないと思う。

 

当たり前のことを当たり前に(そしてちょっとの戦略的・俯瞰的思考)が、営業でも生きることでも変わらず、きっと一番重要なのだ。

 

 

かずを

 

 

4月1日ということで、社会人4年目の目標を作ってみる

また4月1日になった。

 

僕ももう社会人4年目だ。正直、時の流れる速さに驚きを隠せない。

 

今日オフィスに新卒の子たちが見えた。とてもフレッシュである。僕も3年前そうだったのかと思うと、なんだかすごく年をとってしまったような気がする

 

しかし、この3年は、僕にとっては濃い3年だったと思う。3年前に、「3年後こうなりたい!」という自分になれたかはわからない。ただ、少なくとも僕は仕事も楽しく、趣味を愉しみながら、毎日幸せに過ごしている。

 

だから、この3年はきっと良かったのだと思う。

 

しかし、だ。

 

たしかにある程度仕事でも認められ、楽しく毎日過ごしているが、僕は決して気を緩めることができない。

 

新卒の子たちが(おそらく)緊張感と自分の目標とともに社会人としてのスタートを切ったのだから、僕も負けてられない。日々緊張感をもって、目標に向けて毎日生きることは、いくら年をとったとしても新卒の子たちに負けるわけには行かないのだ。


だから、あらためて社会人4年目としての目標を書こうと思う。



目標①:営業としての結果は必ず残す


4年目となったら、会社に食わせてもらうよりも、会社を食わせないといけない段階に入ったと思う。営業である以上、数字的な責任を果たすのは、最低条件だと思う。

 

目標②:誰よりも勉強し、吸収し、行動する

 

誰よりも本を読み、誰よりも本の内容を吸収し、実践に移す。これを愚直に素直にこなしていくことだけは絶対に誰にも負けない。

そして、僕は自分自身の学んだことを、僕だけに留めない。誰でも利用できるような「汎用化」というのが、自分自身が勉強するのと同じくらい重要だと思っている。

だから僕はブログを書くし、積極的に社内でも社外でも発信していく。

 

目標③:常に謙虚である。

 

自分に対して少しでも慢心があると、成長が止まると思う。ただ正直、慢心を持たないというのは、人間である以上は難しい。

だから僕は、他人と比較するにしても、自分よりずっとレベルが高い人と比較することで、自分が決していつまでもすごくなれない、というのを自覚するようにする。

例えば、ギターであれば僕のライバルはTom Mischだし、ビジネスで言うなれば、留学中に出会った、ワールドワイドで活躍している凄まじく超優秀な人たちである。

また、今の自分があることについては、常に周りのおかげだと思うし、そのことについては感謝の気持ちを決して忘れない。


目標④:全体に対して「真摯」である。


真摯でありたい。どういうことかと言うと、気持ちを取り繕わず、言うべきことは言いたいし、信じたことに対しては貫きたい

そして、何を言うべきか?何を信じるべきか?の基準については、「自分」でなく、全体最適を考えていきたい。

「自分がどう思われるか?」ではなく、「これは全体にとって良いことなのか」というふうに、主語を「I」でなく、「We」に変えて考えていきたい

 


目標⑤:家族と睡眠を大切にする


家族と睡眠は、正直仕事より、自分の趣味・勉強・野望よりも先立ち、何よりも優先すべきことだと僕は決めている。

からしっかり寝るし、家族との時間を大切にする。それができないなら、ギターも勉強なんてものもいつでも辞める。

 

 

以上である。

今年は、JAZZギターも始めるし、学ぶことも死ぬほどあって、いままで以上にインプットとアウトプットをしていかないといけない年になるだと思う。

ただ、最近セルフマネジメントが上達している実感があって、なんとか自分自身のリソースやモチベーション、気持ちのやりくりができてきていると思う。

 

最近、結婚もして変に浮つこうとも思わなくなったし、自分が何をやるべきか? 逆に何をやらないべきか?が明確になってきているので、変に迷うこともなく、物事に対する集中力が格段に上がった感覚がある。これは無敵感である。この無敵感を得るだけでも、結婚した価値はあったような気がする。

なので、ぼくがするべきことは、眼の前のことをコツコツこなしていくだけだ。

このコツコツさのライバルはイチローだ。土俵は全く異なっても、愚直さと真摯さは負けない気持ちでこの一年を突っ走ろう。



ということで、今年度も皆様よろちくお願いしましゅ\(^o^)/

全部が全部ゴールから考えるのは無理だから諦めた。という話

明後日からJAZZギター教室がスタートする

 

僕がこのタイミングでJAZZギターを習い始める理由はいくつかある

  • JAZZが好き
  • ギターは弾けるけど、耳で聴いたものしか弾けない。理論に基づいていないので、即興演奏ができず、前からセッションができず歯がゆい思いをしていた
  • そんな中、Tom Mischという、最高にクールなギタリストを知り、完全に憧れてしまう(彼はJAZZギター育ち)
  • この前バークレーの友人に合い、JAZZの腕を上げた友達に感動し、触発される

 

  • ãtom misch guitarãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

↑はトムさん

 

そんな感じで、今日は楽天で新しいギターも買ったし、JAZZ理論の本も買ったし、あとは習うだけだ!!

 

ただ、ギター教室に行くまで何もしないなんて、僕らしくない!
仕事でもそうだが、まずはゴールから考え、そこから最適な行動に移す移すのが僕だ。まずは、JAZZギターのゴールから知らないといけない!そこから今できることを考えるのだぁぁっぁぁ!

 

と言って以下の本をとりあえず教則本を、全部読んでみた

www.rittor-music.co.jp

 

 

全然わからない。。。

 

確かに、今ギターを弾いていないにしても、何回か読めばわかるはずだ!!
いつも本を読むときは、まずはざっと通読、その後精読でしっかり理解しているじゃないか!!!

 

 

・・・・本当に理解できない。

特に、モードスケールのところで死んだ。

ここまで本を読み始めて3時間が経っていた。


僕は思った。
この3時間というサンクコストを回収する(サンクコストは本質的には回収できないものだけど。回収できないからsunk(埋没))ために、本を読み続けるか。あきらめて、理解しないながらも明後日からのギターの練習に移るかだ。


本当は、前者が良い。

仕事でも、いつもゴールから考えろって身体に深く染み付くくらい言われているわけで、もはやこのゴールから考える思考と行動は、僕自身そのものだ。ゴールがわからないまま、いまいち意味が通らないまま何かをするなんて、苦痛意外の何ものでもない。


とりあえずシャワーを浴びた
そこで、一つの問いが浮かんだ。


いつもゴールから考えることが必ず正解なのか?

例えば、人生のゴールは何か。死ぬことか?もしくは、稲盛和夫が言うように、自分の魂を生を受けたときより少しでも良くすることか


次の問い


そもそも、ゴールを理解したとしても、そのゴールに一直線に向かうことは常に良いことなのか??


例えば、僕がJAZZギターの結論を理解したとして、そこに一直線に向かったら、仕事ができなくなる。仕事ができなくなるまで言わなくても、おそらくJAZZに夢中になり、一番身近にいる嫁とのコミュニケーションが疎かになり、お互い不幸に鳴ってしまう可能性もある。僕が本気で一つのことに向かいだしたらやりかねない。


そんなことふと考えたとき、これ以上JAZZギターの結論について考えるのは止めようと思った。そして、毎日限られた時間だけコツコツJAZZギターに向かい、残りのリソースは仕事や、一番大事な嫁のためにとっておこう、と思って気が楽になった。


性格上、つねにゴールや意味合いを考え、そこから自分を苦しることも多々あるが、、、

 

人生と同じように、音楽やJAZZも奥が深いし、そう簡単にその本質も結論も見えてこないだろうし。。


もし見えたとしても、見えることについてはそれはそれで必ず良いか?っつったらわからないから、まぁ今回は考えることを少しストップして、まずは明後日からの1つ1つの練習に真正面から取り組むことにした。足元からコツコツやっていけば、きっと見えてくるものもあるだろう。


さて、さっさと仕事の準備を済ませて、嫁と一緒に新しいスピーカーでワインを飲みながら音楽でも聞くとするか。

 

ちなみに、Tom Misch聴いてみてください。

 

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イチローと稲盛和夫の共通点

イチローが引退した。

結構ショッキングなことである。

 

僕は小学生のときは、野球少年であった。
ぶっちゃけると、イチローより高橋由伸の方が好きであり、グローブもあまり迷わず、イチローモデルでなく高橋由伸モデルを購入した。

それでも、常に現役をやっているだろうと思われたイチローが引退したことは、なかなか考えさせられるものがある。

www.youtube.com

 

この会見を観ていると、ある違和感、ズレを感じる。

その違和感の正体は、司会者や記者の思い描く「天才」としてのイチロー像と、イチロー自身が自分を描写する「普通の人間」としてのイチロー像のズレだ。

僕たちがイチローについて考えるときも、「普通の人間」とは決して思わないだろう。この記者や司会者の感覚と同じだ。だが、断定はできないものの、イチローは自分自身を「普通の人間」と捉えていると思う。球界にて今後乗り越えられることはないだろう、数々の偉業を成し遂げたのにも関わらず、だ。

話は変わって、稲盛和夫である。

このブログでは、氏については何回か取り上げ、説明しているような気がするので、今更どんな人かの詳細は説明しないが、まぁすごい経営者である。

彼も、なかなか類を見ないビジネス界での偉業を成し遂げているにもかかわらず、「たまたま自分が偶然できただけ。自分がしなかったら、別の人がやっている」という旨の発言をしている。その発言は、自己否定によるマウンティング等ではない。本気でそう考えているのが氏の著書から理解できる。

イチロー稲盛和夫、彼らは、その偉業にも関わらず、自分自身のことを「特別秀でているわけではない」と本気で考えている点で共通点がある。では、本当に「秀でているわけでない」のであれば、何が彼らのような偉業を成し遂げるのに一役買ったのか。

僕はそれは、①原理原則に従い、こつこつ努力を重ねること と、②自分の行っていることを好きになること の2つが、大きな要因であると考えている。

イチローは、小学低学年のころから野球の練習をスタートしていたらしい。ただ、内容としては特に特別なものはなく、守備で言えばノック、打撃で言えば素振りやバッティングセンターでの練習等、僕が小学生のときでもやっていたような内容だ。

何が特別なのか。それは、彼が「必ず毎日練習をしていた」ことだ。

そしてその毎日の鍛錬は、なにも彼がストイックであったからではなく、単に「好きだったから」だと彼の会見から見受けられる。僕も会見を観て驚いたのだが、イチローは、「めんどくさがり屋」であり、「好きなこと以外はしたくない」人だと言うのだ。

イチローにとって野球とは、自然と毎日練習をしたくなる存在。そして日々の練習こそが彼にとっての原理原則であったと言える。

そして稲盛和夫。彼の経営の哲学こそ、「原理原則に従い、人間として正しいことをこつこつ行っている」である。

そして、彼から僕らが一番学べるのが、「今自分に与えられたことを目一杯やる」という姿勢である。嫌なことでも目一杯やれば上達が見込め、上達に従い、自分の行っていることを好きになると言うのだ。

僕は最近それを体現した。


僕は、オペレーショナルな仕事、端的に言うと事務作業が本当に嫌いで、コンペで僕自身が受注した案件さえも、その後のオペレーショナルな仕事に対しては、後輩にやってもらっていた時期があった。

僕自身が、オペレーショナルな仕事を全部やることになったときに、「なんでこんな生産性が低いことを僕がやらないといけないの?」と、上司に愚痴をこぼし、上手くできない言い訳を探し、本当にどうしようもない状態だったことがあった。

「お前のためにチームがあるんじゃない。チームのためにお前がいるんだ!!」

と当時の僕をぶん殴ってやりたい。

しぶしぶ、事務作業を繰り返していく。上手くいかず、管理チームに怒られたこともしばしばだ。ただ、事務作業を繰り返すことにより、なんとなく勘所をつかめるようになると、特に問題なく進めるようになり、問題なく進めたときに快感を感じるようになった。そして挙句の果て、僕は休みの日でも事務作業を抜かり無く実施し、なんなら何ヶ月も先を見据え、将来的に必要な作業を今こなしておく、という天上天下事務作業マエストロ(自称)へと昇華したのである。(それでもミスはよくする)


まぁ、ちょっと冗談が入ったが、どんなものでも継続すると、フィードバックがあるものであれば好きになることはできるな、と僕の肌感覚でも思うし、稲盛氏が言う「与えられた場所で目一杯やる」も、納得ができる。

 


まとめよう。

人が何かを成し遂げたいとき、才能はさほど必要ないと思う。

必要なことは、継続すること、継続することを好きになることである。

そしてコツコツ積み重ねられていく努力は、複利で運用する(と言っても、日本ほどの金利だとなかなか積み重ならないが)資産と同じように、自分のアセットとなっていき、そのアセットこそが人と差をつける要因となるのだ。

人生における迷いは無駄なものではないが、迷わず一気通貫で生きている人には敵うわけないと、イチロー稲盛和夫の両氏を見ていて思う。

 

かずを

なぜ対話が重要なのか

僕だけなのかしら?

最近やたらと「対話は重要」っと聞く。

なんで重要なんだろう。そもそも対話ってなんだろう。

そんなことを今日は考えたいと思う。


兎にも角にも、「対話」の本当の意味を知らないと、話が進められないので調べてみた。

kotobank.jp

 

むむむ・・・よくわからん・・・

辞書は頼らず僕の言葉で書こう。対話とは

相手の話を真摯に聞き、自分のことも理解してもらい、双方納得しながら話しをしつつ、アウトプットを生み出すこと

だと考える。これは完全に僕のアイディアだ。

仮に上記の定義がまぁ正しいとしよう。そこで、なぜ対話は必要なのか、なぜやたらと最近重要視されるのか??そのことについて考えてみよう。



逆に対話が成立していないシーンを考えてみる。
この場合は、対話の定義と全く逆のものを考えればいい。すなわち

どちらかが一方的に話しをし、相手が納得せずともどちらかが意図した結論に勝手に導かれてしまうこと

とでも言おうか。

うん~、こんなことを書いているうちに、思い当たるシーンがいっぱいあるぞ。。

僕は新卒3年目の社会人だが、経験としては10年くらい働いている先輩、上司からはどうしても劣ってしまう。その経験の浅さ故に、時として、納得せずともとりあえず上司から言われた通りにやってしまうこともあるものだ。

また、これは社会人関係なく言えることがだが、なかなか対話が成立しないケースには、ある共通点があるものだ。それは、話している相手が自分自身を「頭が良い」と思っているケース、そして自分自身の考えが「正しい」と思っているケースである。

その人からすると、

俺は頭がいい/たくさんの経験がある → 俺が考えることや導き出す結論は正しい → 俺が出した結論以外はクソ

という、周りから見たらどうしようもなくめんどくさいロジックを頭で回してしまっていることが大いにある。

ただ、このような「頭がいい」人のロジックは、正直全面的にバカにできるものはなくて、これまでその人が経験した達成や成功に裏打ちされたものも多い。そしてその裏付けのある経験が、その場その場の問題や課題をいとも簡単に解決できることも往々にしてある。では、この考えかたの何が問題なのか?

それは、「相手を受け入れる器量が無い」ことである。
自分の考えが絶対正しいと思っている人が、相手の考えや行動をそう簡単に受け入れられるだろうか?

では、「相手を受け入れられる器量が無い」ことはなぜ問題か? 例えば、ある「頭が良い」人の考えが、第三者の目線からも見ても正しいものであったら、仮に相手を受け入れなかったとしても、それはそれで問題無いのではないか?

僕は、やはり相手を受け入れらないことは、その人の考えがどんなに崇高で正しくても、問題だと思う。

なぜなら、その「正しい」考えを押し付けられた相手が嫌な気分になるからだ。

嫌な気分になるから・・?それだけ・・?

と、思った人もいるかもしれない。僕はそれに対して反論できない。

 

少し話しが変わるが、皆さんは、ピーター・ドラッカーという人を知っているだろうか。

かの有名な『マネジメント』という本を産み落とした学者さんである。

ja.wikipedia.org

 

僕は、彼が提唱する「マネジメント」のあり方が大好きだ。

彼が言うマネジメントは、管理や統制等ではない。彼が言うマネジメントの本質を、僕なりの言葉で噛み砕いて書く。マネジメントとは

  • 会社がその社会的使命・目的を果たすために
  • また、その会社で働く個人がその自己実現と幸せをサポートしながら
  • 会社内の主に人的リソースを「やりくり」する

ことである。僕がこのドラッカー氏の言うマネジメントで好きなのは
会社の使命の全うと個人のHapinessを両立して考えていること である。

そう。働くことは、試練でも、お金という対価の代わりに甘んじる苦渋でもなんでもない。働くことはすなわち、個人のHapinessにつながらないといけないのだ。

個人が幸せに働けない会社は、それはマネジメントが欠落しているからなのだ。



話は戻って、なぜ対話ができないことはダメなのか?という問いに戻ろう。
その答えは、単純に話しをしている双方が幸せになれないから、というシンプルなものとなる。(そしてそれは、組織の中では、個人の幸せが第一優先として扱われるべきだ、という前提に立っている)

また、ドラッカー氏は、『マネジメント』の役割としては、

の2つしか無いと言っているが、このうちの「マーケティング」は、顧客の欲求を起点とするべきだ、と断言されている。

どういうことかと言うと、「自分が持っているものをどう売るか=プロダクトアウト」ではなく、「顧客は何を求めていて、その欲求を満たすためにはどんなことができるのか(=ソリューショニング)」という目線で考えるべきということだ。

そう、対話ができない「頭が良い」人は、自分の考えや知見を「プロダクトアウト」しているにすぎない。それで相手が喜ぶだろうか。

そいて、プロダクトアウト的な考え方がはびこる組織が、本当に顧客の創造、すなわち顧客のニーズを考えぬくことができるだろうか?いや、できるわけない。

少し長くなったが、この辺で締めるとしよう。

 

対話がなぜ重要か?

それは、対話において必要な「相手を受け入れる」という基本スタンスは、ビジネスにおいてなによりも重要な、相手の意図・欲求を理解するということと直結するかつ、身の回りにいる人の幸せに間接的に良い影響を与えるからである。


僕も日頃から、高圧的、独断的にならないように気をつけたいことだ。ちなみに僕がこの記事を書いたきっかけは、実は僕自身が対話的になれなかったシーンが最近多かったからである。

対話的になれないとき、人は自分のことを「頭いい」という自己肯定で満たされているときだけでなく、自分のことが「かわいそうだ」という自己否定で悩ませれているときでもあることを知った。僕は最近、自分のことが可愛そうで可愛そうで仕方がなく、相手を受け入れられる余地がなかったのである。

それは、まさに不幸自慢であり、自身の不幸によりマウンティングをとってしまう、心理学者のアドラー氏が危惧していた現象でもある。

 

そんな戒めとしてこんな記事を書いた。

 

 

じゃ、あでゅ~^^