Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

僕が「好きなもの」について抽象化してみる

昨日の31日は、両親と婚約者の4名で、「ボヘミアン・ラプソディ」を映画館で観た。

僕は2回目で、若い時武道館で生QUEENを2回も観たという母はもう3回目らしい。

率直に言うと、僕はこの映画が好きである。

ラスト30分は涙無しには観ることができない。

最近は「抽象化」という言葉が僕の中では流行りだが、じゃあここでも僕がボヘラプを好きという気持ちを抽象化してみよう。というのがこの記事の趣旨である。

まずは、だ。僕がボヘラプでまず涙するシーンは、2回ともフレディの以下のセリフなのだ

"I decide who I am"

フレディが自身のエイズをメンバーに打ち明け、いやいや、オレは同情は求めてないし、悲劇の主人公にもならない。オレが誰だかはオレが決める。オレはパフォーマーだ。

という文脈で言うセリフである。

僕はこのセリフの中だけでなく、映画を通して語られるフレディの弱さ、迷い、自己否定を知っている。その弱さを受け入れ、克服した上で"I decide who I am"はすごく痺れる。僕は毎日のように迷っているし、自分の中で受け入れられない部分もある。そして今僕は I don't know who I am状態だ。僕は何のために生きているのか、示すことができない。

そんな僕とフレディを対比し、憧れを感じながら、自分のの弱さを受け入れ、自分の芯の上で力強く生きるフレディに涙をするのだと思う。

考えてみると、僕が本当に好きな映画、『Eternal Sunshine』や、『メッセージ』も、どちらもSFながら自己否定や悲しみ、憂い等、複雑な人間心理の中で物語が進められ、最終的には『This is the way we are/I am/ things are』と、自分や物事のありのままを受け入れ、自分の中で決めたことを貫き通すという人間の強さを感じ、「いいなぁ」と思うことが多い気がする。

媒体が転じるが、音楽も、僕はストレートな曲、わかりやすい曲よりも、複雑でうだうだしてしまいそうな曲が好きだ。

ちょっと専門的な表現になってしまうが、僕は調和された和音より不協和音が好きだし、メイジャーコードよりはマイナー・コードが好きだ。Sus4コードが来たからといって、その後解決しなくても僕は気にしない。

だいたい同じ世代で、どちらも映画音楽を良く作る、日本のポスト・クラシックの作曲家、坂本龍一久石譲であったら、久石氏がジブリの作品で創る、バッハの理論に則ったこの上なく「綺麗な」曲よりは、坂本氏が「怒り」で創ったような、全音階で創る気持ち悪くどろどろとした曲のほうが好きだ。

習字で言うと、僕は中国から来た漢字を太い筆で大きく書くよりは、日本で生まれたこの上なく繊細で細くて、弧を描く線が妖艶さを醸し出す「仮名」が好きだ。

まとめると、僕はシンプルさよりも複雑さの中に美しさを感じ、ただ強いだけでなく、弱さや自己否定の上に立つ強さに憧れるのだ。

 


僕自身も、そろそろ迷ったり、自分を否定するのは時期的にもう用無しである、と考えていて、迷いの中から生まれる本当の自分自身を見つけるために、こんな記事を公開で書いているのだが。。

メイジャーでなく、マイナーで良いし、途中で転調しても良い。そもそも調なんて制限をつけず全音を使って不協和音を奏でてもいい。

そんな曲(人生)で全然良いけど。

そろそろ「C」をドミソで全開で奏でてもいいタイミングなのではないか。

そう思うのだ。

 

添付は坂本龍一氏作曲、『怒り』のテーマ

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