イチローと稲盛和夫の共通点
イチローが引退した。
結構ショッキングなことである。
僕は小学生のときは、野球少年であった。
ぶっちゃけると、イチローより高橋由伸の方が好きであり、グローブもあまり迷わず、イチローモデルでなく高橋由伸モデルを購入した。
それでも、常に現役をやっているだろうと思われたイチローが引退したことは、なかなか考えさせられるものがある。
この会見を観ていると、ある違和感、ズレを感じる。
その違和感の正体は、司会者や記者の思い描く「天才」としてのイチロー像と、イチロー自身が自分を描写する「普通の人間」としてのイチロー像のズレだ。
僕たちがイチローについて考えるときも、「普通の人間」とは決して思わないだろう。この記者や司会者の感覚と同じだ。だが、断定はできないものの、イチローは自分自身を「普通の人間」と捉えていると思う。球界にて今後乗り越えられることはないだろう、数々の偉業を成し遂げたのにも関わらず、だ。
話は変わって、稲盛和夫である。
このブログでは、氏については何回か取り上げ、説明しているような気がするので、今更どんな人かの詳細は説明しないが、まぁすごい経営者である。
彼も、なかなか類を見ないビジネス界での偉業を成し遂げているにもかかわらず、「たまたま自分が偶然できただけ。自分がしなかったら、別の人がやっている」という旨の発言をしている。その発言は、自己否定によるマウンティング等ではない。本気でそう考えているのが氏の著書から理解できる。
イチローと稲盛和夫、彼らは、その偉業にも関わらず、自分自身のことを「特別秀でているわけではない」と本気で考えている点で共通点がある。では、本当に「秀でているわけでない」のであれば、何が彼らのような偉業を成し遂げるのに一役買ったのか。
僕はそれは、①原理原則に従い、こつこつ努力を重ねること と、②自分の行っていることを好きになること の2つが、大きな要因であると考えている。
イチローは、小学低学年のころから野球の練習をスタートしていたらしい。ただ、内容としては特に特別なものはなく、守備で言えばノック、打撃で言えば素振りやバッティングセンターでの練習等、僕が小学生のときでもやっていたような内容だ。
何が特別なのか。それは、彼が「必ず毎日練習をしていた」ことだ。
そしてその毎日の鍛錬は、なにも彼がストイックであったからではなく、単に「好きだったから」だと彼の会見から見受けられる。僕も会見を観て驚いたのだが、イチローは、「めんどくさがり屋」であり、「好きなこと以外はしたくない」人だと言うのだ。
イチローにとって野球とは、自然と毎日練習をしたくなる存在。そして日々の練習こそが彼にとっての原理原則であったと言える。
そして稲盛和夫。彼の経営の哲学こそ、「原理原則に従い、人間として正しいことをこつこつ行っている」である。
そして、彼から僕らが一番学べるのが、「今自分に与えられたことを目一杯やる」という姿勢である。嫌なことでも目一杯やれば上達が見込め、上達に従い、自分の行っていることを好きになると言うのだ。
僕は最近それを体現した。
僕は、オペレーショナルな仕事、端的に言うと事務作業が本当に嫌いで、コンペで僕自身が受注した案件さえも、その後のオペレーショナルな仕事に対しては、後輩にやってもらっていた時期があった。
僕自身が、オペレーショナルな仕事を全部やることになったときに、「なんでこんな生産性が低いことを僕がやらないといけないの?」と、上司に愚痴をこぼし、上手くできない言い訳を探し、本当にどうしようもない状態だったことがあった。
「お前のためにチームがあるんじゃない。チームのためにお前がいるんだ!!」
と当時の僕をぶん殴ってやりたい。
しぶしぶ、事務作業を繰り返していく。上手くいかず、管理チームに怒られたこともしばしばだ。ただ、事務作業を繰り返すことにより、なんとなく勘所をつかめるようになると、特に問題なく進めるようになり、問題なく進めたときに快感を感じるようになった。そして挙句の果て、僕は休みの日でも事務作業を抜かり無く実施し、なんなら何ヶ月も先を見据え、将来的に必要な作業を今こなしておく、という天上天下事務作業マエストロ(自称)へと昇華したのである。(それでもミスはよくする)
まぁ、ちょっと冗談が入ったが、どんなものでも継続すると、フィードバックがあるものであれば好きになることはできるな、と僕の肌感覚でも思うし、稲盛氏が言う「与えられた場所で目一杯やる」も、納得ができる。
まとめよう。
人が何かを成し遂げたいとき、才能はさほど必要ないと思う。
必要なことは、継続すること、継続することを好きになることである。
そしてコツコツ積み重ねられていく努力は、複利で運用する(と言っても、日本ほどの金利だとなかなか積み重ならないが)資産と同じように、自分のアセットとなっていき、そのアセットこそが人と差をつける要因となるのだ。
人生における迷いは無駄なものではないが、迷わず一気通貫で生きている人には敵うわけないと、イチローと稲盛和夫の両氏を見ていて思う。
かずを