感覚的なもの(アート)と説明可能なもの(ロジック)を行ったり来たりできる真摯な人こそ最強である
今日は久しぶりに読書感想文でも。
以下の本を読んだ。
私が好きな作家さんである山口周氏が以前Facebookでおすすめしていて、昨日TSUTAYA Roppongiでプラプラしていたら平積みにされていたので、思わず購入。そのまま読んでしまった。
この本は、基本的に山口周氏が『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』で言っていることと変わらない(こちらの読書感想文はこちら)
これらの本が言っていることを簡単に要約すると
- ビジネスにおいて、ロジック(説明性)だけで勝負するには限界がある
- なぜなら、ロジックだけで勝負すると、ゆくゆくは行き着く先、ゴールは共通し、コモディティ化するのと、VUCAワールド(=変動性が激しい経済)において、ロジックのフレームでたどり着く結論など、本当に正しいかどうかは誰もわからなくなってしまうからだ。
- 今後、価値となっていくのは、人の「好き嫌い」や美意識に基づいた感覚的なものであり、その感覚を磨いていくことと、見える化・サービス化することが、今後VUCAワールドでの個人・企業としての生き方にとって重要となる。
である。
特に『直感と論理をつなぐ思考法』では、その自分の感覚や美意識をどのように見える化し、サービス・プロダクト化していくかの方法論が述べてある。
その方法論は、正直1度読んだだけで理解できるものでないし、正直読んで理解するよりも、手を動かして実体験していくことが重要なので、こちらのブログには詳細は記述しない。ただ、エッセンスは以下のようなことが挙げられるだろう
- 他人のことでなく、自分の感覚や気持ちに正直な「余白」時間を作り、その時間で自分自身の感覚を手を動かしてアウトプットしていく(=プロトタイプを作る)
- そのアウトプットを、他社の目線や俯瞰的な視座からのフィードバックを得ながら、変容させていき、常により良いものとしていく
の2点。正直これだけじゃまったく理解できない(というか、僕自身が理解していない)と思うが、重要なのは、MECEなどのロジックや、フレームワークを用い、「テキスト」を使って見える化するのでなく、絵や色の視覚、聴こえるもの、感じるものを感じたままに表現していく、ということになる。
結果アウトプットされるものは、もちろんテキストを使った企画書でも報告書でもなく、絵や図が多様された紙芝居でも、稚拙なものでも良い。需要なのは、その感覚的なアウトプット(=プロトタイプ)をもとに、色々な意見やフィードバックをもとにどんどん変容させていく、という態度、考え方である。
この「個人の感覚や情熱に沿って体現されたもの」こそが、ロジックの力だけじゃたどり着けない、人の感性に寄り添ったプロダクト・サービスなり得るものであり、それこそが、今後の企業・個人にとって重要となるもの(≒金になるもの)になるのだというのがこの本の趣旨だ。
さて、ここからが、僕が感じたこととなるが。
この本で言っていることはわかる。
今や、SNSで人々の「好き」が集められ、そこから金を生み出すことも簡単な世の中だし、僕自身も営業として、ロジックでお客様を納得させることと同じくらい、コミュニケーションやなんとなく「好かれる」ことが結果的な売上に結びつくことを実感している。
ただ、「感覚的なもの」や「個人の好き嫌い」だけで勝負できるか?って言ったら、それは明らかに間違いだと思う。
やはり、企業としては体として説明性をもとに意思決定をしていくし、傾きつつある企業に戦略コンサルが入って、説明性をもとに企業を建て直していく事例があるのだから、個人にとっても企業にとっても、ロジックはやはり重要な要素なのであろう。
一番重要なのは、その感性とロジックを行ったり来たりすることなのではないか、ということだ。
感性とロジック、それぞれにおける限界をしっかり認識した上で、その両輪を適材適所に使い分けるという力こそが最強だと思うのだ。また、その2つそれぞれをうまく組み合わせ、周りに理解してもらいつつ巻き込こんでいく力のもとは、「真摯さ」なのだと思う。
「真摯さ」は、ドラッカー氏が『マネジメント』で、マネージャーに一番必要な性質と主張しているが、僕は、マネジメントだけでなく、誰でも周りの人を巻き込んでいくためには必須な要素だと思っている。
「真摯さ」がなければ、いくらロジカルに明快な主張をしていても、「正論を言う嫌なやつ」になってしまうし、「真摯さ」がなければ、感性が強く、パッションがある人も「なんかよくわからないやつ」になってしまう。真摯に周りの人とコミュニケーションをとり、理解してもらうことをおろそかにしてしまうと、その人が持つロジックも感性も、価値にはなりえないだろう。
ちなみに、話がすごく変わってしまうが、僕が最近好きな音楽家にTom Mischという、ギタリストであり、トラックメイカーの人がいる。
彼は、幼少期からクラシックを学び、学生のときは、JAZZをやっていたらしい。
少し音楽をかじった人ならわかるかもしれないが、ClassicもJAZZも、かなりロジックにガチガチに縛られている。JAZZは即興演奏が多く、ラフな感じというイメージがあるかもしれないが、とんでもない。JAZZの即興演奏は、マイルス・デイヴィスが完成させた「モードというフレームに沿って、正しい音を組み合わせながら演奏する」というロジカルな表現そのものだ。(もちろん、JAZZも色々種別や分類があるのだが、いわゆる一般的に皆さんがイメージしているものを言っている)
だから、僕はJAZZは好きだし、聞いていて心地が良いが、パッションは感じない。
しかし、Tom Mischのギターは、ClassicやJAZZの理論に基づき、聴いていて「教養があるなぁ」と思いつつ、その教養だけでは表現できない「何か」があるからこそ、僕は夢中で夢中で仕方ないのだ。
それは、アートや武芸で言う、「守破離」の離、つまり、根本的なフレームを理解しつつ、そのフレームから逸脱したことをやりつつ、そのバランスをうまく保つことに似ている感覚があると思う。
僕がここで、Tom Mischの話をなぜしたかというと、まさにロジックと感性を行ったり来たりすることが、彼が音楽で表現していることそのものである、と感じたからだ。
彼の音楽に教養を感じるからこそ、僕はそれを聴いていて安心しリラックスできるし、教養だけではない彼自身の表現やパッションを感じるからこそ、僕は彼の音楽を聴いて熱狂するのだ。
ビジネスでもこのような、ロジックや感性のバランスをとることがきっと重要なのだと思う。そのバランスと、相手に理解してもらおう、という真摯さこそが、今後のVUCAワールドで人々に幸せを与えていく、唯一無二の個人・企業を土壌となるのではないか。
最後に、TomMischの教養と感性が溢れる音楽をどうぞ。