Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

「人の良い」と「仕事ができる」は比例している

この話は、人との連携が必要な仕事を前提に置いている。

 

保険代理店の営業やインベストメントバンクのトレーダーのような、個人でほとんどすべてを網羅できるような仕事は前提に置いていない。

 

僕は、ITソリューション企業に務めている。

 

ITメーカー、というように、決まったパッケージ製品を売るというより、クラウドやハードを組み合わせたり、はたまたそこに開発を加えたりと、色々な可能性の中から、お客様の課題に最適なものを提案する、いわゆるソリューションの提案を良くしている。

 

ソリューションの提案は、実は相当大変だ。

 

なぜなら、営業一人で提案にこぎつけることはほとんど不可能で、案件の規模が大きくなればなるほど、SEや開発部隊等、提案までに関係してくる人数が増えていくからだ。

 

IT企業の人ならわかると思うが、技術系の方々がたくさん関連してくるなかで一つの提案を練り上げるのは、針に糸を通すように難しい。

 

営業の「売りたい」と、技術系の「技術的に可能なことをリスクを少なく実施したい」のスタンスはトレードオフになるところが大部分だし、そこのすり合わせが十分にできないまま営業の独断で売ってしまい、後で大炎上することもあるだろう。

 

このような、人との連携が前提となり進めていく仕事では、「人が良い」というのは、それだけで大きなアドバンテージであり、必須スキルとなると最近感じている。

 

「頭が良い」とか、「ロジカルである」ということももちろん大切だと思うのだけど、人は「ロジカル」と思うもののために動くのでなく、「好きだ」と感じるもののために動くのだ。なので、「人が良い」人は、好かれやすいし、それだけ周りを巻き込んだ仕事も進めやすいだろう。

 

ではそもそもどんな人を「人が良い」と定義すれば良いだろうか?

 

これは、色々あると思うし、そもそも定義する必要もあるのか?という問いもあるだろう。しかし、僕の3年間の拙い社会人経験から敢えて定義をするなら、それは「相手の立場になってものを考えることができる」人だと思う。

 

「相手の立場に立ってものを考える」なんてあたりまえ、基本中の基本っと皆考えるが、考えることと実践することは全く別のものだ。人間は皆自分の精神的な優越性を保つための本能があるし、攻撃された相手に対しては攻撃したくなるものだ。世界を自分で色づけた色眼鏡を通して観てしまうのは仕方ないことだ。

 

ただ、やはり僕が会社内外でも「すごいなぁ」と思える人は、自分の色眼鏡の色を極力薄め、自分の眼ではなく、自分の頭から垂直に少し伸びてる、少し高いところから俯瞰してものを観ている。自分と相手の感情への感受性が高く、かつそれを受け入れたうえで理性的な判断ができる。結果、相手にも自分自身にも配慮した、バランスの良い言動ができる人だ。

 

逆に一番やっかいなのは、自分自身を「頭が良い」と思っているだけでなく、それを周りに振りまく人だ。「私僕俺頭が良い」と思っており、「それを周りから認めてほしい」と欲求を周りに振りまく人は、その感情こそが相手を受け入れる余地を狭めてしまっており、コミュニケーションが取りづらいことこの上ない。

 

「頭が良い」人が、その人が「そうとは思わない」人へ攻撃している様を見ると、この上なくイライラするし、周りの感情や生産性に配慮しない、本当に迷惑な行為だ。結果その人についていこう、という人は少なくなり、周りを巻き込んだ仕事はできない。チムが機能しない。

 

仕事の方法論に関する本はいっぱいあるが、こういう本質的な人間性について説いた本って少ない。それほど、盲目的な観点かもしれないが、僕は「人が良い」ことこそが、仕事を進めるにあたって本質的なものであると思うし、そういう人ってなかなかいないものだな。。って思うのだ。

 

ま、稲盛和夫の受け売りなのだけど。。。

 

 

かずを