Jazzを学んでいて身にしみる「型」の重要性
GWに入ってからというものの、僕は平凡な日々を過ごしている。
元々「人生逆張り!」がモットーな僕は、こういう連休中にレジャーは、人も混むしあまりしたくないのだ。嫁には悪いが、毎日10時半には寝て、次の日5時半に起きて、7時からスタバで読書と勉強をする、というのを毎日行っている(嫁も朝は遅いものの、夜寝る時間が共通しているのは本当にありがたい)
7時にスタバについて、お昼の時間までは何かしら本を読んだり、勉強したりしている。このGWはビジネス統計を復習しようと思い、今日やっと単回帰分析まで終えたところ。進めている教材はこちらであーる
そして午後から僕のギターの練習が始まる
練習時間は日によってまちまちだが、だいたい1時間くらいかなぁ。
Jazzギターというとかっこよく聴こえるが、以前どこかで書いたのだが、Jazzといっても共通したフレームワークに沿って演奏がなされるので、Jazzギターを練習する、といっても、その半分以上はそのフレームワークを覚えることに時間を使う。
なんとなく楽器をやったことがある人ならわかると思うが
- それぞれのコードとその構成音
- スケール
- モード
みたいなものを、ひたすら覚える。覚えるためにギターを鳴らす。ギターを鳴らしながらその響きや音階を頭に入れる、、、それの繰り返しだ。高校生が電車で単語帳持って英単語をひたすら覚えるかのように、毎日コードやスケールとにらめっこ。必死に頭に記憶を刻みながら地道に積み重ねていく、まじで受験勉強と同じ泥まみれの毎日である。
英文法でSVO、SVC等文型を覚えるかのように、Ⅱ→Ⅴ(ツーファイブ)というコード進行(和音の進み方)の型を頭に入れる。音楽でさえ、クラシックやJAZZの先人たちが気づきあげたものを再現させようとすると、そのような「型」のを蓄積する他ないのだ。
音楽を学ぶことは、「型」の蓄積そのものである。
ただこの「型」というものは、何も受験勉強や音楽だけのことではないのだ。
例えば、営業の仕事なんてどうだろうか。
この前ブログでも書いたが、「ロジカルセリング」という言葉もあるくらい、営業はある程度はロジックで説明できるもので、それはすなわち「型」化できるということだ。
僕が普段業務で行っている
- メールや電話等のお客様向けコミュニケーション
- エクセルやパワーポイントの資料作成
- 社内調整時の社内コミュニケーション
- SFAツールを利用した事務作業
これらは全部、型化できる。八幡の感性に沿ってクリエイトされたものでもなければ、属人的なものでもない。全部がぜんぶ、本や先輩から教わったもので説明できる。
ドラッカーの本を読んでいると、経営でさえ僕は型化できるのではないか、と思う。
『マネジメント』は、マネージャーとして企業の使命-グループの使命-個人のモチベーションを結びつけるための姿勢やアクションという型の重要性を説く本だし、『イノベーションと企業家精神』は、企業が新しい価値を世に産むための方法論や思考の切り口に関する型を教えてくれる本だ。
考えてみると、100%純粋な属人的な感性から生み出されるものなんて、そうそうない、ということがわかる。
どんな分野でさえ、僕たちは何かしら先人が築いたフレームワークに沿って物事を判断していると思う。
そうすると、そのいろんな分野におけるいろんな型をインプットして、適材適所使い分けるだけで、物事のすべてはうまくいくような気がする。
例えば仕事でも、八幡の仕事そのものを説明可能な型に落とし込めれば、その仕事は別の人が担うことができるし、僕がいなくても全く問題なく仕事が回ることである。
「仕事をする」ということは、たくさんのタスクを持つことでもなければ、属人的で芸術的な感性に則った創造物を作るものでもない。(もちろんそういうアーティスト的な人はいるとは思うのだが)
「仕事」は、本質的には、だれでも「型」に則れば回るようにすることそのものが、音楽におけるJazz理論に則った演奏をするのと同じで、仕事として重要なんだと思う。
型が100%!とは言わないが、99%くらいは占めるのではないかしら。
そうすると、僕たちのアクションとしては
- まずはたくさんインプットをする(本からがコスパ良い。もちろん先輩の経験からもインプットできる)
- インプットをアクションする
- アクションの進捗をみて、「型」の有効性について認識する
- 自分なりの経験や実績に沿った新しい「型」を作ってみる
という、インプットと実際のアクションを積み重ね、型を型として認識し、蓄積する作業が重要なのかと思う。
散文失礼しましたm(_ _)m