Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

人生はRPGと同じっと最近つくづく思う

僕はゲームがあまり好きでなく、今までやったゲームは、ポケモンパワプロモンスターハンター、激闘忍者大戦、ナルティメットヒーロースマブラスーパーマリオ64、みんゴルゼルダの伝説時のオカリナ、FF1&2くらいしかないのだが(あれ、けっこう多い、、)その中でも一番好きなのは、ダントツで時のオカリナである。

 

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なぜ好きかと言うと、

  • ストーリーがとてつもなく美しい(時空を超えた愛のストーリー。まるでインターステラーだ)
  • 敵キャラが程よくあんまり強くない(小学生低学年には重要)
  • 音楽がすばらしい(好きすぎて、留学中大学の↓の写真の鐘で演奏して、全バークレー学生に迷惑をかけるレベル)
  • ãUC berkeleyãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

またRPGの、少しずつレベルやスキル・武器レベルを上げてきて、どんどん強い敵を倒してくというのは、人間の脳のドーパミンをドバドバ出させて、中毒にさせる要素である。

 

レベルアップすればボスにまでたどり着けるが、レベルアップしないままボスに挑もうとしても、その前の中ボスに阻まれて終わる。要するに、自分のレベルと敵の手強さのバランスをとって進めないといけない

 

誰が言い出したかはわからないが、表題の「人生はRPG」みたいな言葉は良く聞くし、「ふーん、そうなんだ」としか思ってなかったが、最近つくづく「本当にそうだな」と思う。

 

特に、

>自分のレベルと敵の手強さのバランスをとって進めないといけない

 

というところがだ。

 

最近、(というが前からだが)僕はギリギリに生きている

 

ギリギリに生きているというのは、どういうことかというと、自分のキャパギリギリでできることをしている ということだ。あぁ、今になってあれだけバカにしていたKAT-TUNのRealFaceの歌詞の意味を今になって噛みしめるとは、なんたる皮肉なことか。

 

↓ギリギリで生きている人たちが歌っている『Real Face』

www.youtube.com

 

例えば、僕は新卒1年目~3年目は、正直目の前の仕事が手強すぎて、仕事がある平日に趣味に打ち込んだり勉強したり、、はなかなかできなかった。

 

ただ、「セルフマネジメント」というスキルレベルを少しずつ上げていって、最近は、平日でもギター教室に通えるくらいに仕事を早く終わらせられることができるようになった。

 

だが、空いた時間をギターに費やすのであれば、結局はやっぱり「時間がない」状態は続くのである。つまりギリギリなのである。

 

それでも、同じ時間で色々なことに取り組むということは、「生産性が上がっている」ので良いことかと思う。そこは自分を認めようと思う。

 

ただ、ここで落とし穴がある。

 

いくらセルフマネジメントができているからと言って、いきなり色々なことを詰め込みすぎると、破綻する。

 

今は

・仕事+ギター

 

というRPGで言うと敵をやっつけられるレベルであるのに、いきなり

・仕事+ギター+習字+◯◯、、、、

 

という風に詰め込むとキャパオーバーになり、僕の場合、精神的に色々と頭を悩ませたり、擦り切れたりして、最終的に不眠に陥る。ToDoがアンコントローラブルな状態だと、人生における不確定性が増して精神衛生上良くない、ということだと思う。

 

だから僕が今やるべきことは、

・仕事+ギター

 

という今のレベルの中で、少しずつさらなるセルフマネジメントを磨いていき、次第に何かを↑に追加できるレベルにまで上げていくということだ。

 

そしてそれは、RPGでのレベル上げと同じように、Step by step、One by oneでないといけない。決してポケモンの赤青緑のような、ポケモンが一気に100レベになるようなバグは、僕の人生にはない。

 

それが今の僕のキャパなんだ。

 

と少し諦めるような、自分の限界を感じるような悲しい気持ちにもなるが、まぁそれを認めてコツコツレベルを上げれば良いのでは、と思う。

 

だってこれが僕という人間のReal Faceなのだから。

 

 

 

KAZ-ZUN