Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

KARAのハラちゃんの死から考えるSNSへの向き合い方について

ちょっと話題としては前のことになるが、KARAのハラちゃんが、亡くなってしまった。

僕はそのニュースを聞いて、いろんな感情が巡った。

まずは残念さだ。
僕は実は大学1~2年生のとき、結構KARAが好きで、音楽を良く聴いていたのだ。
僕は、声が一番キレイで歌もうまかったニコルが好きだったのだが、もちろんハラちゃんも「かわえ~の~」とPVを観ては思ったものだ。当時の高校生や大学生の女の子は、あの可愛くも、ダンスや歌を通し妖艶な姿も時折見せたハラちゃんに対しては、羨望の眼差しを送っていただろう。
あんなかわいく、未来も明るい女性が亡くなってしまうことは、それだけで残念だ。


ただ、僕がニュースを聞いて感じたことは、実は残念さだけではなかった。それは、「あぁ、やっぱりな」という、一種の納得であった。

その納得した感情にはある理由がある。

実は、ハラちゃんが亡くなる数日前にオンエアされたバラエティ番組にハラちゃんがゲスト出演していたのだが、そのときの様子(具体的には顔つき)から、「この娘まじでやばいな」と肌で感じたのだ。

ハラちゃんが日本で芸能活動を復帰したのは、なんとなく知っていたのだが、この「やばい」顔つきを見た僕は、最近ハラちゃんってどんな感じだったのだろうか、と調べてみたのだ。

詳細は伏せるけど、その時間僕が理解したのは、もちろん一概には言えないのだけど、ハラちゃんもSNSによって毒され、メンタルを冒されてしまった1人だったのではないか?ということだ。


SNSといえば、僕もFacebookやInstaをやっている。
直接会わずとも他人と交流するのに便利だし、色々な情報にアクセスできて、総じてめちゃくちゃ良いサービスなんだろうな、と思う。

大学生のときはFacebookによく投稿していた。こんなことした~とか、こんなこと勉強した~とか、こういうイベントに出て演奏した~とか。基本Facebookには僕の「良く見える面」だけ投稿したものだ。

SNSは、他人と直接交流、情報交換ができるのは便利である一方、自分へも他人にも毒になることを知り、SNSとの向き合い方に工夫をしてきたのはここ数年である。

まずは、SNSに投稿するときの自分の感情に素直になると、以下のように感じていることがわかった。

  • 自分がすごい、いけているやつと思われたい
  • 他人がそんな自分をどう思っているかを知りたい
  • 総じて、自分が周りにとって重要である状況でありたい

簡単に言うと、承認欲求の媒体となっていたのが、「SNSに投稿する」という行為なのである。

承認欲求があることの裏替えしは、「今自分が望むほどの承認を受けていない」ということだ。

自分の欲求が満たされないことを、SNSに投稿することで思い知らされるのは、正直言って自分自身への毒だ。承認欲求によってドライブされたSNSへの投稿は、すればするだけ自分への毒となる。(もちろん、単純に自分が実施したことをメモがてらに投稿する人も、承認欲求とはまた違った別の観点で投稿する人もいるのは理解している。上記は少なくとも僕に適用すると、という前提です)

また、SNSで蔓延する「キラキラ」な投稿を見るのは、キラキラでは無い自分と対比することによりさらに自分を卑下するきっかけとなってしまう。逆に言うと、自分がキラキラでもないのに、承認欲求があるからと言って、「キラキラ」な写真や投稿を無理にすることによりそれを見た他人の感情を毒し得るということだ。

一番気の毒なのは、自分を卑下するきっかけとなる投稿について、一線を越えてしまった者がP2Pで批判、文句、悪口を本人に向けて言えるSNSの性質そのものについてである。P2Pで良い意味で人同士のコミュニティを形成しやすくした一方、そのP2Pの性質に起因し憎しみや悲しみ、他人へマウンティングしたい感情等、人間の汚い部分を連鎖させてしまうSNSは、まさに人を殺しえない諸刃の剣と言えるものだ。

こういう背景で、僕はSNSは総じて自分にも他人にも毒になり得ると考えている。
話を戻すが、ハラちゃんも、ここ最近の元彼からのリベンジポルノの件や、目の整形手術の疑惑等により、とても常人では耐え難い誹謗中傷をSNSを経由してここ最近受け続けたと言うのだ。まさにSNSがもたらす人間の憎しみの連鎖の受け口になってしまったのだろう。


色々考えてきたのだが、僕みたいに特に秀でて周りに伝えることもなければ、SNSを通じて影響力をレバレッジする必要もない人に対しては、SNSはデメリットが遥かにメリットを超えると僕は結論づけている。

前提として、SNSが常人にとってはデメリットなものというスタンスを取る場合、以下のような施策が最適となる

SNSアカウントを消去する
②アカウントを消去することがデメリットとなる場合は、利用制限をする


僕は、②の戦略をとっている。
正直、①でも良いのだが、留学していたことも背景に、FacebookのMessengerでたまにだが、海外の人とコミュニケーションを取るシーンがあるのと(まぁ、その頻度も少ないし、重要度もそこまで高くないので、別に考慮する必要がないと思えてきた、、)、さすがにInstaで姪っ子ちゃんたちの状況を知れなかったり、橋本環奈や佐々木希のアップデートされた天使さをチェックできないことについては、僕の人生への影響は相当でかい。

そこで②の「SNSの利用制限」となるだが、具体的には以下を施策としている

  • よほど興味がある人でない限りはそもそも友達になったり、フォローしたりしない(基本クローズドにして、自分へのフォローも極力認めない)
  • 過去に友達になってしまった人も、投稿をフィードに出さない設定にする(僕のフィードに投稿が反映されるのは、本当の意味で動向で知りたいと願っている友人や同僚であったり、投稿内容が勉強になる、投資家の藤野英人さんみたいな人であったり、橋本環奈とか佐々木希とか、好きなアーティストくらいだ)
  • プロフィール写真をハゲた人にする(自分の投稿で見栄を張ろうという気持ちが激減するw)
    「ジム・ホール」の画像検索結果

まぁ、そんな感じだ。


SNSだけでなく、どんなテクノロジー、サービスを利用するにしても、そのメリット、デメリットをしっかり把握した上で、自分にとってプラスとなる利用の仕方をするべきだ。

今回のハラちゃんの件は、こういったセルフマネジメントの重要性を痛感させた意味で、僕にとっては見逃せない出来事であった。


最後に、


ハラちゃんが天国で、誰の醜い感情にも晒されず、自分の感情に一直線に沿って楽しく生きていける幸せな状況でありますように。切に願っています。