人間が調子に乗らない方法をガチで考えてみる
タイトルの通り、人間が「調子に乗る」という事象について考えてみたい。
というのも、最近「調子に乗ってすいません。。。」という出来事が発生し、自分自身のあり方として考え直さないといけない、、、とガチで実感した出来事があったからだ。
- 調子に乗るということは、基本的に悪い部分が大きい(良いこともあるが)
- 八幡は調子に乗りやすい
- 八幡は調子に乗り、悪い結果をもたらしやすい
という演繹的な前提をもとに書いている。僕も今筆を走らせて、どんな結果になるのか全く想像ができないままスタートしてしまった。
調子に乗るとはどういうことか
まずは、いつも通り「調子に乗る」という言葉と状況の定義からしてみたい。
コトバンクによると、以下のようである
>おだてられたり、はずみがついたりした結果、得意になって物事をする。いい気になってうわついた言動をする。
うわぁ、、、まさに、、、と思っちゃうところだが、ここには2つの要素が含まれていると解釈する
- おだてられたり、はずみがついたりした結果、得意になって物事をする
- いい気になってうわついた言動をする。
まず、ここで重要なのは、我々が「悪」と考えるべきは2であるということだ。1は、実は八幡の経験上、ポジティブに働くことも多いのだ。
例えば、受験や営業のコンペの際に「こんだけ勉強、準備して人事を尽くしたのだから、まさか落ちる、失注することなんてないでしょ」と自信を持つほどに準備を徹底したときに「得意」になることは、あまり悪いことでないと思う。結果として、良い結果をもたらすケースもあるからだ。
しかし、注意したいのは、その「得意」に根拠があるかどうかだ。
単なる地位や噂、なんとなく自分自身の評価だけで「得意」になると、薄っぺらい物事しか成し遂げられない。つまり、やはり「得意」そのものが、おだれられることを起因としたはずみからくる場合はやはり良くない。はずみが自分の努力により付くのであれば僕は良いと思う。
2については、1の進化系かと考える
1の起因が自分自身の努力だろうが、周りからのおだてだろうが、「自分はすごい」という全能感がもたらす結果である。
まず、断言するとどんな理由でも「自分はすごい」と思い始めた瞬間から、もうアウトであり、そのさきの落とし穴の明確なフラグが立つことになる。(それは八幡が何回も実証済みだ)
「自分はすごい」という感覚は、いくら自分がひた隠しにしたとしても、必ず周りからはバレてしまう。些細な動作や周りの人への言葉遣いによりだ。
またその全能感は、普段気をつけているとても基本的な動作や準備等といったことの怠りという形で現れ、その結果遅かれ早かれどこかで失敗してしまうのだ。成長も無い。
では、なぜ人は全能感を持ち、調子に乗ってしまうのか?
この問題の出どころを明確にしないと、それに対するソリューションは考えられない。
まず、全能感というのは、以下のような状況がもたらすと考える
- 自分が何でもできると思ってしまうケース:何かに成功したとき、何かを成し遂げたとき、その成功が続いたとき
つまり、何かの成功体験をしたときに、その成功=自分の力 と考えてしまうところが基本的な原因かと考える。
その仮定が正しかったとき、何かに成功した(と少なくとも自分が思っている)ときに、考えるべきは2つの問いだ
- そもそも、それは「成功」と本当に言えるのか?
→自分で考えている「成功」は、本当に成功なのか?他の人の価値観、視座からすると、全然成功ではない、というようなことではないのか? - その「成功」は全部自分の力で成し遂げたことか?
→周りの支援はその「成功」の要因ではないのか?本当に自分ではないと、成功できなかったのか?
前者の問いをもとに考えると、自分が「成功」と思っていたことが、他人にとってはそうではないということを実感できれば、全能感を持つことはなくなる。つまりソリューションとしては、「自分より遥かに成功している人と比較する」というアプローチが一つ検討できる。
基本的に人と比べること、というのは良くないと思われているが、要は使い所だ。自分が調子に乗るその瞬間に自分よりも遥かに成功している人を実感することで、たぶん調子に乗る現象は防げるだろう。もちろん、自分がその人より成功していないからといって必要以上に自分自身を卑下してはいけないが、少なくとも「もっと自分も頑張らなければ」と思わないといけない。
また、そこからさらに深ぼると、自分自身より遥かに優秀で成功している人が周りに多くいるなかで生きるということは、そもそも調子に乗りにくい状況を生み出せると考える。しかし、あさに米国留学中の自分だが、自分のできなさを深く実感しすぎ、心に病んでしまうケースもあるので、そこはやはりバランスが必要なのだろうな、、、と思う。心が強い人なら問題無いとは思うが、、、
また、「その「成功」は全部自分の力で成し遂げたことか?」ということを考えるのもとても重要だ。
僕が健康に生きていること、勉強がしたいときに勉強させてもらったこと、留学させてもらったこと、刺激的な仕事や機会をいただけたこと、良い提案ができたこと、今幸せに生活していること、、、
それらすべてが自分の力なはずがないのだ。それは、少し想像してみればわかることで、やはり調子に乗るということは、視野も狭く、想像力が乏しい人が陥ってしまうんだろうなと思う(まぁ自分自身だけど、、、)
ということで、落とし所としてはこんな感じだ。ちなみに、そもそも成功体験が調子に乗らせるなら、そもそも成功しにくい難しい課題にチャレンジし続けるということも本質的な対策であると思う。
決して調子に乗らず、勝って兜の緒を締め続け、粛々と人生をこなしていけるような人間でありたいのだが、このことをわざわざ深ぼって考える必要がある時点で、僕という人間は、調子に乗らないことが困難であるということを表しているのだ。How paradoxical this is!
ブランドは買うものではなく、磨きあげるもの
ある休日。
僕は車を走らせ、少し家から距離のある温泉施設に朝っぱらから足を運び、朝ウナ(朝サウナ)をした。
僕が好きで好きで仕方ないもの。それはサウナだ。最近、自分のことを語るということをブログ以外であまりしないのだが、どうやらサウナがトピックになると、僕は話を止めるということができなくなるらしい。
この前留学時代の友人と久しぶりに遊んだのだが、僕は渋谷にある老舗の鰻屋で、ふっかふかのうな重を前にして、気づかず30分以上サウナ、ロウリュ、セルフロウリュ、オートロウリュへの愛を語っていたようだった。「ロウリュもいいけど、うな重食べようよ」という友人の言葉ではと我に帰った。
投資銀行ですでに億とか稼いじゃっている友人から不動産投資の節税スキームを解説してもらって、「やっぱ金持ちの考えていることはすげーな」と素直に驚く一方、ちょっと油断すると「やっぱり将来不動産を買うならキレイな水が流れている長野の山のあたりだな。サウナ小屋建てるのにもってこいだしな」とかすぐ頭の中で話がそれてしまう。どうやら僕のサウナ愛は、人の話を素直に聞くという非常に大切なことの妨げにもなってしいるらしい。
という、超どうでもいい話をしてしまったが、とにかく先週朝にサウナに入って、そこについているTVの番組内で、ある人物から目を離せなくなってしまった。
その人物とは、Non Styleの井上裕介氏である。
なぜ目を離せなかったか。それは彼が「キモおもろい」からだ。
井上氏の家にギャル曽根さんがお邪魔して、冷蔵庫の残り物で華麗な料理を振る舞い、井上氏に食べさせるという内容だったのだが、とにかく井上氏がキモい。
- 冷蔵庫の残り物に漬物が死ぬほど余っている → キモい
- ギャル曽根さんに朝の情報番組でのトークについて話を振られ、水を得た魚のように10分くらい自分語りが止まらなくなる → キモい
- 髪型 → キモい
- 普段の雰囲気 → キモい
- そのキモさ → おもしろい
という見事な「キモおもしろさ」の演出が井上氏にはあった。
そのキモおもしろさは、人によっては「本当にキモい」となるかもしれないが、少なくとも僕は、「おもしろいな~」というポジティブな感情を抱いた。
また、彼がすごいところは、そのキモさとしての一貫性にあると思う。
正直僕はあまりTVを見ないのだが、たまに妻が夜にTVを観てる隣で僕も観たりすると、VS嵐やら、東大王やら、なんやかんやのバラエティ番組に氏は必ずいて、しかもそのキモさを遺憾なく発揮しているのだ。
おそらくそのキモい髪型も、毎月同じ美容師さんに「いつものキモい髪型にしてください」とお願いしているのだろうかと想像すると、本当に涙ぐましい努力だと思う。彼はその「キモい」というブランドを日々磨きに磨いて「おもしろい」に昇華させ、TV番組に引っ張りだこなのだと思う。
・・・
最近読んだ本に、森岡毅氏の『苦しかったときの話をしようか』という本がある。
内容の詳細はまた別途語るとして、そこで語られているテーマの一つが「セルフブランディング」についてだ。
その本は、氏が就職中の自分の娘に語りかける形で書かれており、よって内容についてはビジネスドリブンである。ビジネスで自分としての価値を遺憾なく発揮できるよう、自分が得意なことをセルフブランドとして磨いて、そのブランドと一貫した行動を継続しさらに磨いていきなさい、という旨だ。
一方、このビジネス面でのブランドの話も、さきほどの井上氏の話となんら齟齬はない。つまり、自分の得意なところ、自分が人よりも秀でているだろう(もしくはそう望む)価値について、それを人が自然に認識できるように、日々アピールしていくこと。そのブランディングと一貫した行動を継続し続け、さらにそのブランド力を向上させていくことは、自分の活躍の場を広げていく上で重要ということだ。
「◯◯といったら△△さんだよね~」
という、自分なりの付加価値を最大限に極め、それがいろんな人から認識されれば、仕事は常に回ってくる。「キモくて面白いでいったらやっぱNon Style井上だよね」みたいな感じだ。
また、そのセルフブランディングをどう定義していくかだが、方法論としては以下のピラミッドを作っていくことなる。
実は、ビジネスとしてのマーケティングとなんら互いはなく、「誰に、何を、どうやって訴求する?」という観点を深堀りしていくことによりブランドを創り上げることとなる。
また、その築いていくブランドについては、以下の問いに答えられるかがポイントとなる。
- 価値は十分強いか:要は意味がある価値か?
- 信じられるか?:その価値を発揮する上での裏付けはあるか?
- 際立っているか?:差別化されているか?
- 自分の本質と一致しているか?:別人を演じてはいないか?
井上氏でいうと、その「キモさ」については、芸人の中でも際立っているし、「ナルシスト」も混ざって独自性も生まれているとすら思う。少し前の狩野英孝氏と似ているイメージだが、今や狩野氏よりもそのブランドに磨きがかかっているのが井上氏なように思える。そして、日々のTV番組内での氏のキモい言動が、そのブランディングとしての信ぴょう性、期待性を確固たるものに築いているのだ。
ビジネスの世界、TVの世界、色々な世界でのセルフブランディングの好例はたくさんあるが、そのうちの1つがこの井上氏なのだ! と思うと、僕はサウナ内のTV内の彼に目が釘付けとなってしまった。そして半ばのぼせる、、、というタイミングで僕はサウナから出て水風呂に存分に浸かることになった。水風呂は、サウナ内で暑さに耐えれば耐えるほど気持ち良いものだ。井上さんのお陰で、かなり良い気持ちよさを得られた!
「You're Non Style but you do have your Style!」
お疲れさまです。
お金のことを考えることは、自分自身にとって大切なことを見極めること
最近、お金についてすごく思考を回すことが多くなった。
きっかけは確実に、近い将来我が子が生まれるというかけがえのない出来事である。
当たり前だが、子供を育てるのにはお金がかかる。
そして、子供が生まれる前に妻が取る産休、産後にとる育休では、国から給付金をいただく形となるので、その金額や算出方法等をしっかり把握した上で、近い将来のキャッシュフローの予測をしていかないといけない。
また、自分のところはあることをきっかけに、妻の妊娠中の検診や通院等に、通常よりもかなりの金額を支払うことになったので、医療費控除を受けるために確定申告をしたり(昨日完了しました(*^^)v)、それに向けて「そもそも税金の取られ方はどうなのだ?何が課税で何が非課税なのだ?等」本当にずーーーーーっとお金のことを考えている。
その流れに拍車がかかり、所謂この領域のプロであるファイナンシャルプランナーの本を読んだり、日本内の歴史的な長期保有株式投資家である本多静六さんの『私の財産の告白』を読んだり。最大金融系作家の大家である橘玲さんの本も数冊読んだ。(ちなみに、本多さんのこの著書は、ぜっっっっったいに読んだほうが良いと思う。藤野英人さんの『投資家がお金よりも大切にしてること』と併せて読みたい一冊)
自分なりに色々調べて一つ気づいた事がある。
それは、「お金については、ある程度勉強しないと簡単に搾取されてしまう」ということだ。
正直、この数ヶ月お金のことについて色々インプットしたけど、お金について親から学んだことはたった一つだけであると気づいた。それは「貯蓄は大切」だということ。
これは別に両親を批判しているわけはない。父と母も、結局お金については、そのご両親からも、学校でも「貯金」しか教わってこなかったのだから、それは当然のことなのだ。
なぜここまで日本ではお金について学ぶ環境が無いのだろうか。それも疑問に思うけど、そこは誰か別の人に問題解決していただくとして、ここではお金について考えるなかで、自分自身の学びと感じたことをメモとして記して行こうと思う。
まずひとつ目だが、親からも教わる「貯金は大切」ということ。
これは100%正しいと思う。なぜなら、現金はこの世の中でもっとも利便性と流動性が高い、生きるのにそのまま直結する金融資産だからだ。
現金を現金として捉えるのでなく、「金融資産」として捉える意識が大切だと個人的には思う。それは、貯金は「手段」であって、「目的」としてはいけないことを暗に示している。
どういうことかと言うと、ただ貯金をゴールにタンス(≒通常の銀行口座)にしまい込むのでなく、ある程度溜まった現金にて、「どういう運用をしようか」というのを常に考える必要があるということだ。
現金は、生きるのに必要なモノを買う手段であるので、ある程度生きるのに必要な分だけ口座に残っていれば、後は回していくのが良いと自分自身は考えている。ライフステージや家族構成等により、「いついくら現金が必要?」とはもちろん常に先を見越して考えないといけない。そこは頭を使う必要がある。その思考である程度将来のキャッシュアウトフローが見える化できたら、今度は「いくら運用できるか」が決まってくるのだ。
現金を貯めるということは、生活に必要な分を考えるのと同時に、投資として回せる金額を考えるということ。そういう意味で「貯金は大切」なのだ。
ちなみに、本多静六さんは、「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を」とう旨の金言を遺されている。これは、世の中における資金の需要と供給の観点で、すごく的を得た考え方だと思う。不景気には資金供給量と株価も下がるので、逆に投資をすることが大きな価値となる。(株価が下がっているので買いやすい)それが中長期で景気が回復したときに、大きなキャピタルゲインを得られるということだ。短期的な株式の売買には適用できない考え方だけど、中長期投資を前提とするなら、たぶんこの方法論は正しい気がする。
次に僕が感じることだが、「税制には疎くはいられない」ということだ。
お金について考えると、税は考えられずにはいられない。だって、頑張ってお金を貯めようと思ったときに、税金はそのまま外に出てしまうお金なのだから。
税制は、サラリーマン、つまり給与所得者であると、敏感になるきっかけがあまりない。なぜなら、給与所得者の税金は源泉徴収で、そもそも税金が引かれた状態で給料をいただくからだ。(そういう意味で、橘玲氏は、企業のことを「税務署の出先機関」と言っている)
給与が高くなれば高くほど、税金も高くなる累進課税で、高給取りの人は半分は税金で持っていかれてしまう。。。
一方、個人事業主や法人は、確定申告で売上と費用の差額の利益額を「自ら」税務署に申告することにより税金が決まる。つまり、税金が引かれた後にお金をいただくのでなく、お金をいただいて使った後に税金を払うのである。よって個人事業主や法人の「何が経費となるか=いかに税金を減らせるか」という意識は凄まじいものである。
しかも、金融資産から得たキャピタルゲインやインカムゲインについては、いくら稼いだとしても20%の税金しかかからない。(ちなみに、僕の妻の母国であるタイだと0%)サラリーマンが給与で1億円稼いでも半分は税金に持っていかれるのに対し、投資収入だと8000万円が手元に戻るということだ。ここだけでも、サラリーマンがいかに税制的に不利な立場かがわかる。
今、僕のようなしょぼいサラリーマンでも税制的に優遇され、利用できる制度がいくつかある。NISA、確定拠出年金、ふるさと納税だ。
こちらの制度による投資的・税制的な果実は限定的だが、税制について思考を巡らせる手段としては、利用することは良いことだと思う。そして、いつの日か「法人成り」ができるように、虎視眈々と目を光らせておくのである笑
僕としては、まだまだ税金が多く取られるほどの給与はいただいていないので、まずは給与を上げる努力をしようと思っている。そしていずれ、「やべ、税金で持っていかれちゃってるな」と思えるくらいには早めになりたいものだ。笑
感じたことの最後だが、「アセットアロケーションを考えることはすなわち、自分自身の大切なことを見極めること」ということである。
アセットアロケーションは、つまり自分の金融資産をどのように持つのか、ということだ。現金で持つのか、債券・株式を買うのか。もしくは投資信託を買うのか、どんなものを買うか、、、等
実はアセットアロケーションに関する絶対の正解は無いらしい。
それこそ、それぞれの人生のステージや家族構成で異なるからだ。
例えば、僕は独身時代は金融資産だなんてちょっとの現金しかなかったし、給料が増えれば現金のまま好きなことに使っていた。今では考えられないけれど、友達との飲み、デート、個人的な趣味・買いたいものなど、、、。貯金とは無縁だった。でも、別にそれは悪いお金の使いかたかと聞かれると、僕はそうは思わない。お金を使った分、楽しくて刺激的な体験もできたし。当時の良い思い出もいっぱいある。
今はやはりまず「貯金」が頭にあるから、出費は極力下げてるし、5000円を越える買い物をすると、結構心が痛い。妻にも買い物の前に相談するし、本当に良い買い物かも吟味する。コロナの影響もあるが、あまり外食や飲み歩き等はしない。
でも僕がその倹約について「厳しいか」と聞かれると、僕は全然厳しくない。まず銀行口座に数字が積み上がるのは見てて楽しいし、そこから毎月積み立てられる投資信託が値上がりすると、「あざーっす!」ってなる。将来その投資信託が◯◯年にはきっと◯◯円にはなるだろうから、そんとき大きくなってる娘さんや妻と旅行でもいこうかしら、、とか考えると本当に楽しくなる笑。家族がいるから、その場その場のキャッシュフローでなく、10年、20年スパンでお金について考えるようになる。
そのようにお金について考えることは正解は無く、その人の人生それぞれで「自分はいつ、どういう状態でありたいか?」ということにより決まっていくことだと考えている。なので、お金の使い方に良いも悪いもない。その人がそれで幸せになるのであれば。
ただ、お金について考えることは「自分にとって何が大切か」を見極めるきっかけには確実になるので、良いことなんだと思う。そして、そのきっかけを与えない日本の教育にはやはり問題があると個人的には思う。。。
今日はこんなところで!
半年前の僕自身へ
こんにちは。半年前の八幡さん。僕は、2021年1月の八幡です。
今日は、少しあなたと話したいことがあって、Interstellarさながら、5次元空有間を漂い2020年6月の僕自身に話しかけてみました。5次元空間の中では、山や谷を越えるように、時を越えることができるんですよ。Interstellarを観るたびに涙するあなたはわかっているでしょう?
おや、ずいぶん顔がやつれてますね。無理も無い。この数ヶ月、死ぬ気で働いてきたんでしょうね。
コロナで一気にビジュアルコミュニケーションの需要が高まり、我々の会社も引っ張りだこですよね。今まで全然普及しなかったテレワーク、在宅ワークもこの非常事態宣言で一気に普及しましたし、その分この爆増する需要に応えるべく、あなたの会社のすべての部門がフル稼働しましたよね。
特にあなたは事業推進を担う部署ですし、新しいPJやビジネスの建付け、運営がこの3ヶ月でグアっと進んだ感じでしょうか。会社として進むべき方向性・理想と、いろんな部署のいろんな立場の方のミッションや個人的な感情の間に挟まれ、その間の落とし所を探し、ときには無理して自分が頑張ることでなんとかその落とし所に収める。半ばゴリ押しも含めなんとか色々なことを推進してきた感じでしょうか。
まずは、お疲れ様です。本当に頑張りました。この後、コロナはしばし小康状態になり、春から初夏にかけたありえないほどの忙しさは落ち着きますが、世の中のリモート化は止まりません。よって、継続的にあなたは忙しいですし、会社としても世の中から求められる状況は変わりません。株価もしばらくは上がり続けるでしょう。かと言って、インサイダー取引は決して行ってはだめですよ。
あなたの日々の頑張りには頭が下がります。
このような忙しい中でも、なんとか日々少しでも向上しようと日々の読書や勉強は続けてらっしゃるのですから。先日のGWでは、コーポレート・ファイナンスや統計等の勉強はいかがだったでしょうか?
そして、基本的にポジティブですし、なんとか相手に嫌な感情を持たれないよう、日々の言葉遣いや雰囲気、話すときの表情までかなり気にかけてらっしゃいますね。あなたの妻は、普段妻に見せない顔を在宅ワーク中見せられ少し驚いたかもしれませんね。笑
そんなあなたの日々の努力は、報われると思います。この後、部署のミッションに限らない、色々なおもしろい仕事が依頼されると思います。より会社の中核に近い視座での動きも必要となってくるかもしれません。日々新しい学びもあるでしょう。色々な場面で必要とされる自分に対し、少しばかりより誇らしく思えるかもしれません。というか、少しばかりじゃないかもしれません。
一方、そんな上向きな状況だからこそ、決して忘れてほしくないことがあります。それは、どんなときにも周りへの感謝を忘れず、己の至らなさを忘れず、基本を忠実に守っていてほしい ということです。
ところで昨日ですが、元ライフネット岩瀬さんの『入社1年目の教科書』をメルカリで購入して読んだんですよ。
あなたは、それこそ入社1年目にこの本を読んで、たいそう感激されて、忠実に内容を実施されてましたよね。身についたのは2年目くらいだったかと思いますが。後輩にも繰り返しこの本を読むよう説いていたくらいでしたよね。
あんなに繰り返し読んでいたのに、どこかのタイミングでブックオフに売ってしまったと思うのですが、その内容について、覚えてらっしゃいますか? その本の内容をあなたは、日々全うできていると胸を張って言えますか?
実はあんまり覚えていない?
なるほど。そうしましたら、一番重要な3つの原則だけ教えてあげますね。だって、あんだけ後輩にも「読め!」っと言っといて、本人が内容を忘れてしまっており、実行に移せていなかったら恥ずかしいですものね。
- 頼まれたことは、必ずやりきる
- 50点で構わないから早く出せ
- つまらない仕事はない
もう一度聞きますが、今のあなたはこちらを全うできておりますか? もしくは、今後のあなたは全うできるのでしょうか?
会社も、仕事も順調で、少しばかり、というか、めちゃくちゃ調子乗ってませんか?
とりあえずオレがやればなんとかなる、と自分に対しポジティブな感情を抱くことは悪いことではありませんが、その分、一見つまらなそうな仕事に対し、「これって僕がやることだっけ?」となんだか面白そうな仕事だけ選んではいないでしょうか?
理想の自分を追いかけ、そのために努力することは素晴らしいですが、理想を追いかけすぎて、目の前の一つひとつの仕事、取り組みに対し、岩瀬さんが本で言っているようなレベルで、丁寧かつ大切に対応されておりますか?
少し自分が周りよりも資料作成やファシリテーション、コミュニケーションが得意と思っているからと言って、周り人のことを見下したりはしておりませんか?周りの人の至らなさではなく、良さについて、本当に目を向けられておりますか?
そもそも、MTGに遅れないだとか、頼まれなくても議事録を書く、その議事録では、話されていることをただ書くのではなく、その後見る人の目的や立場を考え、自分なりの価値を加えることとか、基本中の基本について、まさか怠っていることはありませんよね?
少しばかり「ギクッ」とされたでしょうか。
大丈夫ですよ。まだやり直せます。まずは自分の心に胸をあて、そっと振り返ってください。
あなたにとって大切なことだけでなく、あなたの同僚、上司、会社、顧客にとって大切なことは何かということ。
今の、そしてこれからのあなたは、その全体最適に目を向けて、毎日毎日を考え抜き、行動に移せているか、ということ。
そして、どんなときだって重要なのは、今の自分は周りに支えられてきた結果なのであって、独力では達成できなかったことを理解すること。そして、あなたの存在は、そんな周りを幸せにするために在るのだということ。
『入社1年目の教科書』で書かれているような、基本中の基本を日々大切にすることにより、そんなあなたの役割を全うする大きな、そして一番の助けとなること。
そのことを忘れず、日々感謝を胸に少しずつ努力をしていけば、きっとあなたの欲しいものは手に入るのだと、2021年1月の僕は本気で思ってますよ。
質問はありますか?良く理解できなかった観点はありますか?
まぁあなたは、理解力はそんなに悪くないと思うので、これだけで僕が伝えたかったこと。そしてこの後のあなたに起こることは想像できるのではないでしょうか。
では、5次元空間もそろそろ閉じそうです。僕は元の時間軸に戻ります。
半年後のあなたが、自分自身に対しどのような感情を抱いているか、楽しみです。
それでは、またいつか。
2021年の目標
あけましておめでとうございます。
めちゃくちゃ忙しかったわけでもないのに更新が滞り大変失礼しました。(全国にいる3人の読者の皆様、、、)
気づけば2020年も終わっちゃいました。
社会的にはこの年は「コロナ」一色だったかな、と思います。
コロナ1つをもとに、社会のあり方や働き方、コミュニケーションの仕方が完全に変わってしまったな、と。
そして私が働いている会社はもともと遠隔でのコミュニケーションに関連したソリューションを提供している会社だったので、3月以降は大いに盛りに盛り上がり、株価も上がり、業績の情報修正をし、中期経営計画をぶち上げ、そしてまた株価が上がる、、、という、企業としては大いに飛躍した年であったかと思います。
私個人で言うと、もともと会社近くの都心に住んでおりましたが、フル在宅ワークを前提に家賃が安いかつめちゃ広い3LDKのマンションに引っ越し、書斎を構え、自分でハンドドリップで淹れたコーヒーを片手に仕事、読書をし、週末はすぐ近くのサウナで汗をかくという、なかなかゆったりとした生活ができるようになりました。
やはり、住居は広いに越したことが無いことを実感しました。都心の1DKの家は、場所はサイコーだし、築年数も浅くきれいだったのですが、やはり狭いので、ゆったりと読書するなんでできなかったんですよね。なので、近くのカフェやスタバにまずいコーヒーを飲みながら読書をしにいくという、、、
住居が広いと、色々な細かいものも所有・収納できるし、今まで「めんどくさいや」でやらなかったことも、ゆとりをもってできるようになることを知りました。ハンドドリップに必要な道具を揃えて収納しておき、朝に自分で取り出してコーヒーを淹れるのもその一つです。めちゃめんどいんですけど、何よりうまい!!! 本当に、今までスタバのあの新鮮でもないまずいコーヒーを飲ませてしまい、自分の身体に対し申し訳なくなりました。
仕事面で言うと、実は、あまり「これをやってやったぜ!」とか「自分はこう成長できたぜ!」と胸を張って言えることがあまりない!!!! 今度ブログにでも書ければと思ったのですが、実は2020年は僕のこの社会人人生の中で一番成長加速度が遅かった1年だと個人的には思ってまして、けっこう残念です。
理由は色々あるのですが、まぁその一つは明確な目標を年初で立てられなかったことかなぁとも思ってまして、2021年は僕が尊敬するファンドマネージャー様であり、個人的に投資信託も買っているレオス・キャピタルワークスの藤野氏の様式にのっとり、目標をぶちあげたいと思います!!!
ちなみに、藤野氏がご自身のFacebookで毎年投稿している年初目標がこんな感じ。
測定・評価可能な目標を立てるという、本質的だけれども、なかなかに実行が難しいことを言われていてこれまたしびれますね。
さて、ここからが僕の目標です!!!極力測定可能にしました。
これは、6月くらいに評価、修正をしていければと思っております。
===八幡2021年目標===
健康
- 毎日30分程度の歩く時間を何かしらの手段で作る(買い物やお使い等も含める)
- 毎日の最低限筋トレ(腹筋・腕立て・スクワット各20回ずつ)と、週末土日のどちらかにかっちり目筋トレ(ダンベルを使ったトレーニング)とランニング1時間をする
- 仕事的に集中している時期以外は、1日6.5時間以上の睡眠をとる
- 旅行や出張時の以外は、毎日朝の健康朝食セット(各種野菜蒸し、納豆、適度の米、ヨーグルト)を欠かさない
- 二日酔いとなる日を年に4回(四半期に1回)に抑える=深酒はめったにしない
家族
- 旅行や出張時の以外は、毎日15分程度のマッサージを妻にする
- 現在割り当てられている家事(ゴミ捨て、食器洗い、トイレ・浴室・水回り掃除)は継続する
- 子供が生まれた際の1ヶ月の育休時は、一切仕事のことを忘れ全力で育児に取り組む(妻から、「育休とってくれて、助けてくれてありがとう」と笑顔で言われることが指標)
※その他子供が生まれた後の6月に目標は追加すると思います。
仕事(ちょいと定性部分も含む)
- 基本に振り返り忠実に実行する。頻繁かつ的確な報連相の実施とMTGでの議事録取得を率先して実施する
- 決して嘘をつかない
- 仕事は効率化を実現する。仕事の工数が少なくならない限り、無駄に人に仕事を回したりはしない(業務分掌的に回すべきものについては別)
- 少なくとも1つの事業にて、その運営活動の建付けをすべて一人で可能なようにする
- 発言しない会議(=自分が価値を発揮できない出る意味の無い会議)を0にする
- 海外他社とのパートナーシップや協業の構築について、基本一人で進められるようになり、最低1つの海外企業がかかわる事業を責任者としてリリースする
- 部署での仕事以外に、社内横串のプロジェクトに参加し、社内メンバー100人以上が参加・触発されるようなイベント、アウトプット作成をする
社外活動
- メンバー内で切磋琢磨できる、ビジネスに関連した何かしらの社外コミュニティに1つ以上所属する。
お金
- 現在設定している金額での毎月の預金と投資信託の積みたてを、家族・個人口座ともに欠かさない。投資信託は、2月以降で設定金額を、現在考えている金額に増加させ、その積立を以降維持する
- 買い物ミス(買う意味なかった~とか、買って損した~というもの)を四半期に一回程度に抑える
勉強・読書等
- 毎日英語を1時間は勉強する(発音練習→ビジネススピーキング表現練習→リーディング→英語契約書 リスニングは常に)
- 毎日30分程度の業務系知識を得るための勉強時間を設け、簿記とビジネス法務実務にて2級を取得する。また、ポール・ミルグロム氏の『組織の経済学』を読破し、組織運営の論点・観点を網羅的に把握できるようにする
- Computerサイエンスに関連する数学を毎日30分程度勉強する
- 毎月4冊以上の読書をし、年に50冊程度を読む
趣味
- 茶道は子供が産まれる3月から数ヶ月は休むが、年内に月に一回のお稽古を復活させる
- 書道は現在お休み中だが、コロナが収まり次第月に一回のお稽古を復活させる
- 音楽は、YouTube活動にて、月に1曲(年間12曲)以上のアップをする
- Jazzギターについては、週に2回以上、各30分の練習を復活させる
- ブログは月に2回、年間で24記事以上の更新をする!!(頑張ります!!w)
- 銭湯・サウナは週に2回まで。基本週末で実施。
- 車の運転は、同乗者がいなくても特にヒヤリ・ハット無しに運転できるレベルに上達する
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いくつか後出し、修正するかもしれません!(ずるですが、、、)
皆様今年もどうぞよろしくお願いいたします!!!
八幡
時には自分を殺しかねない「真面目さ」について
女優の竹内結子さんが亡くなったと聞いた。自殺のようだとも。
そして、数ヶ月前には、俳優の三浦春馬さんも同じく自殺で亡くなった。
僕はテレビもドラマもほとんど観ないので、正直竹内結子さんや三浦春馬さんの出ているドラマのことや演技のことは正直分からない。一方、日本で活躍していたまだまだ若い方が自分で命を絶ったという事実だけでとても悲しい。
自ら命を絶つことについて、僕は自分自身は考えたことが無いので、お二人がその瞬間、どんな気分で、どんなことを考えたのか想像すらつかない。想像すらつかない僕はきっと幸せだと思う。
ただ、これは推測でも何でもなく、ただの妄想なのだが、お二人はきっと「真面目」だったんだろうな、と思う。逆に「不真面目」な人が自殺をするなんて、全く想像もつかないのだ。
知ったようなことを言っているが、もちろん僕はお二人のことを知っているわけでもないし、幸いにも自ら命を絶った知り合いがいるわけでもない。あくまで勝手な僕の妄想だ。
・・・
「真面目」と言ったが、そもそもこの言葉はかなり抽象度が高い言葉だ。少しググってみた
ググって一番上に出てきたのが上記だが、それは僕の考える「真面目」に近い。
本気であり、まっすぐであり、誠実である。嘘ではないことだ。
これは、一見良いことに思えるし、実際そうだと思う。真面目の逆、つまり不真面目を上記から定義すると、「本気でもなく、嘘や冗談にまみれており、不誠実」ということとなる。不誠実な人と誰が付き合いたいと思うだろうか。
一方、「真面目さ」というのは諸刃の剣で、時に人の命を脅かしうると僕は考えている。
真面目であれば真面目であるほど、自分にかかる重圧がのしかかってくるのだ。
誰に対しても本気で接し、誰に対しても真心を込める。それは素晴らしいことだが、「真面目」の対象が多ければ多いほど、身体的かつ内面的の疲れも多くなることだろう。
そして、何よりも一番危ういのは、「自分自身に向けた」真面目さである。
「自分はこうありたい」 「素直で、真摯でいたい」 「自分自身はできるはずだ。だから努力するべきだ」
こういった感情を持つ人は、おそらくたくさんいる。一方、僕もそうなのだけど、ある程度で、「ま、疲れたから今日はいいかな」という甘えというか、自分への不誠実さ、というものを持ち合わせる人がほとんどだと思うのだ。
ただ、僕も出会ったことがないのだけど、一握りの人は自分の不誠実さを認めず、自分へひたすらに、ひたむきに「真面目」であり続けることができるのだと思う。そして、そのような人が世の中で大成するのである。
経営者でも芸能人でも、その分野で1%以下のトップ層に君臨する人は、常人では想像もつかないほどの「真面目さ」を持って、日々鍛錬をされていると思うのだ。ただの才能、容姿、持って生まれたものだけで、成功を継続させるのは、難しいはず。世の中はきっと因果応報である。
竹内さんも三浦さんも、芸能界ではぶっちぎりの上位1%以下の層に君臨されていた方で、お二人がされていた努力やストイックさは想像を絶するものではないか、と勝手に想像している。ただ、その自分自身への真面目さにより、自分自身が思い描く理想に添えなかったとき、少しでも自分で「道を踏み外してしまった」と認識したときの落差は、同じだけ凄まじいものではないか、と勝手にまた想像してしまう。
じゃあ人は不真面目くらいが良いのか、と言われるとそれも違う気がする。
稲盛和夫さんが言う通り、人間は「すこしでも自分自身や世の中を良くしたい」という自然の意思が働き、それが集まって、世の中が少しでも良い方向になっていくモーメンタムが生まれる、ということを、僕も本気で信じている。
ただ、時に、「自分が理想とする自分、世界、他人には決してなれない」ということを認識するだけで、救われるような気がする。
要は、すごく情けない自分を、かっこ悪い自分自身を受け入れる、ということだ。
それはある意味、あきらめにも、逃げにも近いかもしれない。ただ、命を落とすくらいなら、そんなカッコ悪い自分や周りを愛して、受け入れたほうが、きっとその先にいいことが待っていると思うのだ。
固定費にすると思考が止まる
お金の話。
僕は、貯金というのがすっごく苦手で、正直自分でも何でこんなことにお金使っちゃうんだろう、ということが多々ある。
正直、独身でずっと生きていたら、給料が上がった分使う量も多くなって、まじでいつか破産しちゃうんだろうな、というレベル。
だから結婚して、ある程度お金が自動的に家族の口座に入れられる今の状態は、正直ありがたいと思っている。
一方、自分でもやはり貯金はしていかないとな、と思って自分自身の消費の記録をとっていたりする。そこでは、毎日どんなことにいくら使ったか、をメモして、最終的には月の収入と月の消費を退避して、毎年いくら貯金が積み上がったか、というのが自然に見えるようにフォーマットを組んでいる。
そこで一つ重要なテーマなのが、ある費用を変動費と捉えるか、固定費と捉えるか、という論点である。
例えば、日々使っているコーヒーとかランチとか、その辺は毎月決まった量のお金を使うわけでなく、別に引き当てている費用でもないので、変動費として毎日メモをしていっている。
一方、費用の中にはコンタクト代とか、もっとわかりやすいとAmazonPrime会員費みたいなサブスクリプション、つまり毎月大体決まった額で使う費用もある。
そのような費用を変動費としてみるか、もしくは毎月決まったものとして、固定費としてみるか。
もちろん、厳密さを考えると、固定費として見た方が良いと思っている。だって、毎月同じ金額が引かれるのだから。
一方、固定費として見てしまう弊害として、その費用が「あたかも引かれるのが当たり前」のものとして自然と捉えてしまうことにより、その費用を削減する努力をしないということがある。
例えば、AmazonPrimeだって、確かに便利なものではあるけど、「本当に必要なんだっけ?アマプラは、僕にどんな価値をいくらで提供してくれているんだっけ?」という本質的な議論抜きで、当たり前のように支払って良いものではない。時と場合によりアマプラがめちゃ必要な時も、逆に不要な時もあるはずだ。
コンタクトだって、3ヶ月に1回ワンデーの90日分(1.2万円)を買うからといって、毎月の4000千円分を固定費っぽい扱い計上すると、そもそもコンタクトを使わずメガネで我慢するい、みたいなインセンティブが沸かなくなる。
よって、上記のような費用を「毎月引かれるもの」とするのでなく、「必要性に応じて、努力次第で調整可能なもの」として、変動費的見方をする方が、節約という意識は高まると思う。
正直、月千円のメルマガを3つ登録した利、アマプラ、アップルミュージックみたいなサブスクも登録したり、、、一つ一つをみると大した金額ではないのだけど、積み重なると結構な金額となるものを本当に何も考えず使いすぎていたな、、、全く。
お金、という観点で言うと、与沢翼さんの哲学が結構好きで、お金を自分の子供のように捉え、本当にためになることにしかお金を使わない、と言うことを考えた時、やはりどんな費用も「かかって当然」と言う風には捉えるべきなのではないと感じた。
貯金頑張ろ!