Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

人間が調子に乗らない方法をガチで考えてみる

タイトルの通り、人間が「調子に乗る」という事象について考えてみたい。

というのも、最近「調子に乗ってすいません。。。」という出来事が発生し、自分自身のあり方として考え直さないといけない、、、とガチで実感した出来事があったからだ。

  • 調子に乗るということは、基本的に悪い部分が大きい(良いこともあるが)
  • 八幡は調子に乗りやすい
  • 八幡は調子に乗り、悪い結果をもたらしやすい

という演繹的な前提をもとに書いている。僕も今筆を走らせて、どんな結果になるのか全く想像ができないままスタートしてしまった。

調子に乗るとはどういうことか

 

まずは、いつも通り「調子に乗る」という言葉と状況の定義からしてみたい。
コトバンクによると、以下のようである

だてられたり、はずみがついたりした結果、得意になって物事をする。いい気になってうわついた言動をする。


うわぁ、、、まさに、、、と思っちゃうところだが、ここには2つの要素が含まれていると解釈する

 

  1. おだてられたり、はずみがついたりした結果、得意になって物事をする
  2. いい気になってうわついた言動をする。


まず、ここで重要なのは、我々が「悪」と考えるべきは2であるということだ。1は、実は八幡の経験上、ポジティブに働くことも多いのだ。

例えば、受験や営業のコンペの際に「こんだけ勉強、準備して人事を尽くしたのだから、まさか落ちる、失注することなんてないでしょ」と自信を持つほどに準備を徹底したときに「得意」になることは、あまり悪いことでないと思う。結果として、良い結果をもたらすケースもあるからだ。

しかし、注意したいのは、その「得意」に根拠があるかどうかだ。
単なる地位や噂、なんとなく自分自身の評価だけで「得意」になると、薄っぺらい物事しか成し遂げられない。つまり、やはり「得意」そのものが、おだれられることを起因としたはずみからくる場合はやはり良くない。はずみが自分の努力により付くのであれば僕は良いと思う。

2については、1の進化系かと考える
1の起因が自分自身の努力だろうが、周りからのおだてだろうが、「自分はすごい」という全能感がもたらす結果である。

まず、断言するとどんな理由でも「自分はすごい」と思い始めた瞬間から、もうアウトであり、そのさきの落とし穴の明確なフラグが立つことになる。(それは八幡が何回も実証済みだ)

「自分はすごい」という感覚は、いくら自分がひた隠しにしたとしても、必ず周りからはバレてしまう。些細な動作や周りの人への言葉遣いによりだ。

またその全能感は、普段気をつけているとても基本的な動作や準備等といったことの怠りという形で現れ、その結果遅かれ早かれどこかで失敗してしまうのだ。成長も無い。

では、なぜ人は全能感を持ち、調子に乗ってしまうのか?

この問題の出どころを明確にしないと、それに対するソリューションは考えられない。

まず、全能感というのは、以下のような状況がもたらすと考える

 

  • 自分が何でもできると思ってしまうケース:何かに成功したとき、何かを成し遂げたとき、その成功が続いたとき

つまり、何かの成功体験をしたときに、その成功=自分の力 と考えてしまうところが基本的な原因かと考える。

その仮定が正しかったとき、何かに成功した(と少なくとも自分が思っている)ときに、考えるべきは2つの問いだ

  • そもそも、それは「成功」と本当に言えるのか?
    →自分で考えている「成功」は、本当に成功なのか?他の人の価値観、視座からすると、全然成功ではない、というようなことではないのか?
  • その「成功」は全部自分の力で成し遂げたことか?
    →周りの支援はその「成功」の要因ではないのか?本当に自分ではないと、成功できなかったのか?

前者の問いをもとに考えると、自分が「成功」と思っていたことが、他人にとってはそうではないということを実感できれば、全能感を持つことはなくなる。つまりソリューションとしては、「自分より遥かに成功している人と比較する」というアプローチが一つ検討できる。

基本的に人と比べること、というのは良くないと思われているが、要は使い所だ。自分が調子に乗るその瞬間に自分よりも遥かに成功している人を実感することで、たぶん調子に乗る現象は防げるだろう。もちろん、自分がその人より成功していないからといって必要以上に自分自身を卑下してはいけないが、少なくとも「もっと自分も頑張らなければ」と思わないといけない。

また、そこからさらに深ぼると、自分自身より遥かに優秀で成功している人が周りに多くいるなかで生きるということは、そもそも調子に乗りにくい状況を生み出せると考える。しかし、あさに米国留学中の自分だが、自分のできなさを深く実感しすぎ、心に病んでしまうケースもあるので、そこはやはりバランスが必要なのだろうな、、、と思う。心が強い人なら問題無いとは思うが、、、

また、「その「成功」は全部自分の力で成し遂げたことか?」ということを考えるのもとても重要だ。

僕が健康に生きていること、勉強がしたいときに勉強させてもらったこと、留学させてもらったこと、刺激的な仕事や機会をいただけたこと、良い提案ができたこと、今幸せに生活していること、、、

それらすべてが自分の力なはずがないのだ。それは、少し想像してみればわかることで、やはり調子に乗るということは、視野も狭く、想像力が乏しい人が陥ってしまうんだろうなと思う(まぁ自分自身だけど、、、)

ということで、落とし所としてはこんな感じだ。ちなみに、そもそも成功体験が調子に乗らせるなら、そもそも成功しにくい難しい課題にチャレンジし続けるということも本質的な対策であると思う。

決して調子に乗らず、勝って兜の緒を締め続け、粛々と人生をこなしていけるような人間でありたいのだが、このことをわざわざ深ぼって考える必要がある時点で、僕という人間は、調子に乗らないことが困難であるということを表しているのだ。How paradoxical this is!