Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

お金のことを考えることは、自分自身にとって大切なことを見極めること

最近、お金についてすごく思考を回すことが多くなった。

きっかけは確実に、近い将来我が子が生まれるというかけがえのない出来事である。

当たり前だが、子供を育てるのにはお金がかかる。
そして、子供が生まれる前に妻が取る産休、産後にとる育休では、国から給付金をいただく形となるので、その金額や算出方法等をしっかり把握した上で、近い将来のキャッシュフローの予測をしていかないといけない。

また、自分のところはあることをきっかけに、妻の妊娠中の検診や通院等に、通常よりもかなりの金額を支払うことになったので、医療費控除を受けるために確定申告をしたり(昨日完了しました(*^^)v)、それに向けて「そもそも税金の取られ方はどうなのだ?何が課税で何が非課税なのだ?等」本当にずーーーーーっとお金のことを考えている。

その流れに拍車がかかり、所謂この領域のプロであるファイナンシャルプランナーの本を読んだり、日本内の歴史的な長期保有株式投資家である本多静六さんの『私の財産の告白』を読んだり。最大金融系作家の大家である橘玲さんの本も数冊読んだ。(ちなみに、本多さんのこの著書は、ぜっっっっったいに読んだほうが良いと思う。藤野英人さんの『投資家がお金よりも大切にしてること』と併せて読みたい一冊)

自分なりに色々調べて一つ気づいた事がある。
それは、「お金については、ある程度勉強しないと簡単に搾取されてしまう」ということだ。

正直、この数ヶ月お金のことについて色々インプットしたけど、お金について親から学んだことはたった一つだけであると気づいた。それは「貯蓄は大切」だということ。

これは別に両親を批判しているわけはない。父と母も、結局お金については、そのご両親からも、学校でも「貯金」しか教わってこなかったのだから、それは当然のことなのだ。

なぜここまで日本ではお金について学ぶ環境が無いのだろうか。それも疑問に思うけど、そこは誰か別の人に問題解決していただくとして、ここではお金について考えるなかで、自分自身の学びと感じたことをメモとして記して行こうと思う。

 

まずひとつ目だが、親からも教わる「貯金は大切」ということ。

これは100%正しいと思う。なぜなら、現金はこの世の中でもっとも利便性と流動性が高い、生きるのにそのまま直結する金融資産だからだ。

現金を現金として捉えるのでなく、「金融資産」として捉える意識が大切だと個人的には思う。それは、貯金は「手段」であって、「目的」としてはいけないことを暗に示している。

どういうことかと言うと、ただ貯金をゴールにタンス(≒通常の銀行口座)にしまい込むのでなく、ある程度溜まった現金にて、「どういう運用をしようか」というのを常に考える必要があるということだ。

現金は、生きるのに必要なモノを買う手段であるので、ある程度生きるのに必要な分だけ口座に残っていれば、後は回していくのが良いと自分自身は考えている。ライフステージや家族構成等により、「いついくら現金が必要?」とはもちろん常に先を見越して考えないといけない。そこは頭を使う必要がある。その思考である程度将来のキャッシュアウトフローが見える化できたら、今度は「いくら運用できるか」が決まってくるのだ。

現金を貯めるということは、生活に必要な分を考えるのと同時に、投資として回せる金額を考えるということ。そういう意味で「貯金は大切」なのだ。

ちなみに、本多静六さんは、「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を」とう旨の金言を遺されている。これは、世の中における資金の需要と供給の観点で、すごく的を得た考え方だと思う。不景気には資金供給量と株価も下がるので、逆に投資をすることが大きな価値となる。(株価が下がっているので買いやすい)それが中長期で景気が回復したときに、大きなキャピタルゲインを得られるということだ。短期的な株式の売買には適用できない考え方だけど、中長期投資を前提とするなら、たぶんこの方法論は正しい気がする。

 

次に僕が感じることだが、「税制には疎くはいられない」ということだ。

お金について考えると、税は考えられずにはいられない。だって、頑張ってお金を貯めようと思ったときに、税金はそのまま外に出てしまうお金なのだから。

税制は、サラリーマン、つまり給与所得者であると、敏感になるきっかけがあまりない。なぜなら、給与所得者の税金は源泉徴収で、そもそも税金が引かれた状態で給料をいただくからだ。(そういう意味で、橘玲氏は、企業のことを「税務署の出先機関」と言っている)

給与が高くなれば高くほど、税金も高くなる累進課税で、高給取りの人は半分は税金で持っていかれてしまう。。。

一方、個人事業主や法人は、確定申告で売上と費用の差額の利益額を「自ら」税務署に申告することにより税金が決まる。つまり、税金が引かれた後にお金をいただくのでなく、お金をいただいて使った後に税金を払うのである。よって個人事業主や法人の「何が経費となるか=いかに税金を減らせるか」という意識は凄まじいものである。

しかも、金融資産から得たキャピタルゲインインカムゲインについては、いくら稼いだとしても20%の税金しかかからない。(ちなみに、僕の妻の母国であるタイだと0%)サラリーマンが給与で1億円稼いでも半分は税金に持っていかれるのに対し、投資収入だと8000万円が手元に戻るということだ。ここだけでも、サラリーマンがいかに税制的に不利な立場かがわかる。

今、僕のようなしょぼいサラリーマンでも税制的に優遇され、利用できる制度がいくつかある。NISA、確定拠出年金ふるさと納税だ。
こちらの制度による投資的・税制的な果実は限定的だが、税制について思考を巡らせる手段としては、利用することは良いことだと思う。そして、いつの日か「法人成り」ができるように、虎視眈々と目を光らせておくのである笑

僕としては、まだまだ税金が多く取られるほどの給与はいただいていないので、まずは給与を上げる努力をしようと思っている。そしていずれ、「やべ、税金で持っていかれちゃってるな」と思えるくらいには早めになりたいものだ。笑


感じたことの最後だが、「アセットアロケーションを考えることはすなわち、自分自身の大切なことを見極めること」ということである。

アセットアロケーションは、つまり自分の金融資産をどのように持つのか、ということだ。現金で持つのか、債券・株式を買うのか。もしくは投資信託を買うのか、どんなものを買うか、、、等

実はアセットアロケーションに関する絶対の正解は無いらしい。
それこそ、それぞれの人生のステージや家族構成で異なるからだ。

例えば、僕は独身時代は金融資産だなんてちょっとの現金しかなかったし、給料が増えれば現金のまま好きなことに使っていた。今では考えられないけれど、友達との飲み、デート、個人的な趣味・買いたいものなど、、、。貯金とは無縁だった。でも、別にそれは悪いお金の使いかたかと聞かれると、僕はそうは思わない。お金を使った分、楽しくて刺激的な体験もできたし。当時の良い思い出もいっぱいある。

今はやはりまず「貯金」が頭にあるから、出費は極力下げてるし、5000円を越える買い物をすると、結構心が痛い。妻にも買い物の前に相談するし、本当に良い買い物かも吟味する。コロナの影響もあるが、あまり外食や飲み歩き等はしない。

でも僕がその倹約について「厳しいか」と聞かれると、僕は全然厳しくない。まず銀行口座に数字が積み上がるのは見てて楽しいし、そこから毎月積み立てられる投資信託が値上がりすると、「あざーっす!」ってなる。将来その投資信託が◯◯年にはきっと◯◯円にはなるだろうから、そんとき大きくなってる娘さんや妻と旅行でもいこうかしら、、とか考えると本当に楽しくなる笑。家族がいるから、その場その場のキャッシュフローでなく、10年、20年スパンでお金について考えるようになる。

そのようにお金について考えることは正解は無く、その人の人生それぞれで「自分はいつ、どういう状態でありたいか?」ということにより決まっていくことだと考えている。なので、お金の使い方に良いも悪いもない。その人がそれで幸せになるのであれば。

ただ、お金について考えることは「自分にとって何が大切か」を見極めるきっかけには確実になるので、良いことなんだと思う。そして、そのきっかけを与えない日本の教育にはやはり問題があると個人的には思う。。。

今日はこんなところで!