Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

アートが経営にもたらすもの

おはようございます。

最近更新できず、ごめんなさい。全国にいる3名のリピーターさん、ごめんなさい。
暑さと仕事のプレッシャーでへたっておりました。

僕はここんとこ「Life is work」ばりに、仕事について一番優先して考え行動していたのですが。

あんまりいいものではないですね。仕事が一番!は、はたから見るとストイックでかっこ良いように見えるかもですが、その分時間も気力も仕事に依存し費やしてしまうということなので、人生における別の要素が疎かになり、結果全体的には不幸になるような気がします。

まだ25の僕がこんなこと言ったら、多分人生の先輩から怒られるのかもしれないですけど、やはり大事にすべきなのは仕事だけではなく、何より身近な人との関係なのかなぁと思います。具体的に言うと両親、兄弟、彼女、仲の良い友達。

若い僕がバランスなんて追い求めるものでもないとは思うのですが、精神衛生上的にも、仕事は「あくまで世の中に少しばかりの価値をもたらす経済活動」って割り切った方が良いとは思いました。会社にいると使えるリソースも多く、それだけその経済活動の幅は大きくなりますが、それと身近な人を大切にすることは全く別の宇宙の話で、どっちが大事とか比べられるものでもない。同じだけ重要だし、同じだけ真面目に考えるべきなのだと思います。

まぁ、そんなんが最近仕事について感じることです。

今日は、以下の本について考えていきたいなと。

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アートと経営
って相反するもので、結びつきがあまりなさそうなのですが、近頃アートを学ぶ経営者が増えているのだとか。

確かに、最近経営にアートという観点を持ち込む事例が増えているような気がします。例えば、デザイン思考という言葉だったり、マッキンゼーがデザイン会社を買収したケースだったり。

なぜアートの要素が経営にもたらされるのかっていう問いに関しては、やはりアートが経営に役立つからと言わざるを得ないでしょう。この本は、その理由に関して大きく3つの観点から説明してます。

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある

経営において、アートと対極にあるものはロジックです。そしてそのロジックこそが、多くの企業の中で、経営における一番重んじられるものとして扱われておりました。

なぜロジックが重んじられるかと言うと、ロジックには「アカウンタビリティ」があるからです。簡単に言うと、ロジックにより意思決定における説明が可能となるからです。また、ロジカルシンキングにおける正解は常に1つであり、その1つの正解にたどり着くことで安心感をもって経営の意思決定ができていたということでしょう。


しかし、変動性と複雑性が激しいこの世の中(VUCAワールド)において、正解が一つということはありえません。様々な要因が、世の中を動かしている今、与えられた正解に速くたどり着けるというロジカルシンキングスキルはコモデティ化してしまい、あまり価値をもたらすものではなくなってしまいました。コモディティ化したものの価格は下がります。

②世の中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある

簡単に言うならば、「すごい」とか、「かっこいい」、「かわいい!」って周りから言われるような消費の市場が全世界的に広がりつつあるということです。

わかりやすい例で言うと、かわいいパンケーキ屋の写真をインスタに投稿するために列に並んだり、男で言うと、渋いジムでめっちゃ頑張ってトレーニングしている自分をインスタに投稿するためにジム会員になる(僕くらいかな)こととかですね。

いわば、物がもたらす経済性よりも、自己実現のためにたくさんのお金を使う人が多い世の中で、美しいもの、クールなもの、かわいいもの、でないものは見向きもされないので、人を惹き付けるよなデザインや、それをもたらす美的感覚が経営において必須ということでしょうね。

 

③システムの変化の制定にルールの制定が追いつかない状況が発生している

最近ですと仮想通貨等が良い例かと思いますが、テクノロジーやシステムの変化に対し、法律の制定が追いついておらず、経営においてやって良いこと/悪いことグレーゾーンが広がりつつある状況の中、意思決定における明確の基準として、アートが重宝されるとのことです。

これはアートというよりも、「美徳」や「美学」という言葉の方がしっくりくるかと思います。要は、外部要因は関係なく、自分の中で一本筋をもって貫き通している考え方や生き様のことかと思います。

「法律には明文化されていないグレーゾーンだからやっていよい」でなく、「その意思決定は自分の美学に沿うものか」を軸に考えていくことが必要であり、その美学を蓄積していくための手段として、哲学やアートが重んじられるのです。


本の内容を要約するとこんな感じです。次に、僕の思ったことを書いていこうかと思います。

まず思ったのは、アートというのは、絵や音楽作品そのものというより、「考え方やそのプロセス」なのだなぁと思いました。

絵を書いた結果としての作品、音楽を奏でた結果としての作品そのものよりも、そのプロセスにこそ意味がある。そのプロセスにおいて、どんなことを感じたのか、それは気持ち良いのか気持ち悪いのか、美しいのか嫌なのか、そういった感情や感性の変化こそがアートの真髄で、その感情や感性の変化や変動性こそが、経営においても役立つ要素となるのだと思います。

なんでかっこいいと思ったんだろう。なんで気持ちいいと感じたんだろう。

その問いの先にこそ、自分なりの美学や美的感覚の答えがあるし、その答えこそが人生における選択や行動の基準となるのではないでしょうか。

また次に思ったのは、人生は無駄なものがあっても良いし、その無駄なことこそが価値になるということです。

この本を書いた人は、元BCGのコンサルの人なのですが、コンサルみたいな頭の良い人の中で文学に親しんでいる人って、本当に少ないみたいです。正解を最速で導き出すプロとしてのコンサルは、文学は読むのに時間がかかってROIが低いと考えているのかもしれません。

しかし、「すぐ役立つものはすぐ役に立たなくなる」という言葉があるように、コンサルのフレームワーク的な知識よりも、読んで理解するのに時間がかかる哲学や文学等の基礎教養が、もしかしたら一番役に立つのかもしれません。そういった観点で、もっと僕の人生に無駄なものを取り入れてもいいのかなって思いました。

また最後ですが、僕がアートと自負している「仮名」に関しては、誰よりもうまくなろうと決意しました。

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平安時代の仮名は、本当に美しいです。前にもどこかで書いた気がするのですが、仮名遣いや配置、筆遣い、和紙等の仮名におけるすべての要素が、日本的な柔らかくて繊細でもある美的感覚の集大成だと僕は思うのです。

僕は偶然仮名を学ぶ機会があり、今でも月1で先生に習っておりますが、この仮名を誰よりも極めようと思いました。「何をもって極めたと言うか」は難しいですが、とりあえず「最近仮名が書けるイケているやつといえば八幡かな」っていつか日本文化界隈で言われれば良いかと思います。

以上です。

この本もめっちゃ面白いので、みなさま購入して読んでみてください\(^o^)/