Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

乃木希典の生き様からふと思う現代人の憂鬱

今日は、第三日曜日

港区スポーツセンターは、港区民に優しく、第一第三日曜日は、港区民はなんと入場無料という太っ腹なやつである。

港区スポセンのジムは、人は確かに多いけど、その分広くて器具もいっぱいあるし、申し分ない環境なので、無料日はすかさずダンベルと遊びにジムに行くのが日課だ。

ただ、今日はなんとなく天気も良いし、久しぶりにランニングでもしようかなーっと、筋トレは家の中でとどめてランニングをしに行った。

せっかくだから、行ったことのないところに行ってみようと思い、いつも自転車で行く六本木を通り過ぎ、乃木坂の方まで休み休みランニングで行った。

 


乃木坂ってなんで「乃木坂」というか知っているだろうか。

僕は、今日まで知らなかった。乃木坂と言えば、すかさず「46!」、「白石とか西野とか何とか!」しか言えなかったが、今日、乃木坂は「乃木希典」という明治維新時代の日本帝国軍の大将の名前に由来することを知った。(乃木坂は、乃木希典が自決した最後の住処が立つ坂である)

そこは、乃木神社もあるし、旧乃木邸の敷地の一部を開放して、公園であったり、小さな博物館もあった。僕はその博物館で、その「乃木希典」の生き様を目の当たりにするのである。

colorfl.net

 

詳しくはWiki、シンプルになら↑の記事を見て欲しい。

僕が、乃木氏の生き様で一番感銘を受けたのは、その死に様だ。
明治天皇の所謂告別式の日、彼は妻とともに自刃したのだ(所謂切腹

彼の生き様を追っていくと分かるこのなのだが、彼の生き様はまさに「明治天皇のため」そのものであった。

まさに明治維新の節目、西南戦争で官軍側として参戦していた彼は、天皇の分身とも考えられている軍旗を幕府側に奪われてしまい、そのことをまさにほとんど「死ぬほど」思い悩み、精神病にまでなってしまったそう。

その後なんとかドイツ留学で持ち直し、その後はその愛国精神を元に、天皇に仕え、日本帝国に仕え、日清、日露戦争では大活躍をし、息子二人は日露戦争で戦死するものの、自身は最終的には日本帝国軍の大将になったとのことだ。

そして、生きる目的であった明治天皇がこの世のなかからいなくなったのと同時に、自身も、そしてその妻も、自ら刀を懐に突き刺し、その生涯を閉じたのだ。

僕はこの生き様に「すげぇ」と感銘を受けるのと同時に、「共感できるか?」という自らが立てた問いには「共感できないな」と強く思った。

シンドラーのリスト』や、『ホテル・ルワンダ』を観た後もそうだった。
めっちゃ感動はするのだ。その主人公の生き様に。ただ、感性や時代背景が異なりすぎて、全く共感ができないのだ。

映画を観ているときに涙をしていても、その次の日にはその悲しみも感動もきれいさっぱり忘れてしまうのだ。

「だって、俺が生きてる日本そんな状況じゃねぇもん」、と思うのだ。


明治維新では、数々の若者が日本が欧米列強国からの侵略を防ぎ、軍事的強国にするためにその生命を犠牲にした。

第二次大戦時も、僕たちの祖父・祖母の時代の人が、飢えに耐えながら、数々の空襲に耐えながら、日本帝国のために生きた。

大戦後は、団塊世代が、より豊かでより幸福な日本のために、身を粉にして働いた。

そして公害や環境問題等、さまざまな成長痛に見舞われながらも、世界で2番目の富を生み出す国としての日本で、僕たちミレニアム世代が生まれた。

僕たちは、全員ではないが、基本的には衣食住にも悩まされないし、教育も施され、やれ大乱闘スマッシュブラザーズやら、やれ激闘忍者大戦やら、様々なテレビゲームに囲まれて育った。

僕たちは、「頑張らなくて良い世代」、また、「何かのために生きる必要が無い世代」とも言える。

戦時は「日本国勝利」、戦後は「高度経済成長」という共通目標があったのだが、僕らはそのようなコモンセンスは持ち合わせていない。


結果どうなるかと言うと、「将来どうすれば良いかわからない」とか、「何を目標として生きれば良いかわからない」僕のような若者が増えるのだ。

もちろん、僕らの中にも運良く生きる目的を見つけた人もいる。以前ブログで書いた気がするが、特定の「Do」のために生きている人もいる。

乃木希典は間違いなく、現代日本においても讃えられるべき、すばらしき人だが、現代においては、正直「Do」すれば偉いのか?すごいのか?って言われると、「そうとも言えないのではないか?」と思う。なぜなら、その「Do」により影響を与えられる範囲や効用が、過去にくらべ豊かな世の中だと、低減せざるを得ないと思うからだ。

では、特定の「Do」を持たない僕らはどう生きていけば良いのか?

この問いに答えはない。「お金のために生きる」とか、「恋愛のために生きる」とか、様々な答えがあると思う。

ただ僕が思うのは、「自分の好きにどれだけ正直になれるか」が、現代人がこの答えの無い世の中で幸せに生きるための最適戦略なのではないかということだ。

僕の感覚では、「好き」に理由は無いし、別にその背景もいらない。「好き」は「好き」だと思し、自分そのものの本質をそのまま映し出しているのが「好き」なのではないだろうか。

「会社が好き」、「音楽が好き」、「映画が好き」、「彼女が好き」、「仕事が好き」、「友達が好き」、「お酒が好き」、「筋トレが好き」、「家族が好き」 etc...


乃木希典にとっての「明治天皇」は、僕たちにとっての「○○が好き」でいいんじゃないだろうか。その「○○が好き」を否定せず、応援できるような環境、社会であって欲しい。

そんなことを思った日曜日だった。