全部が全部ゴールから考えるのは無理だから諦めた。という話
明後日からJAZZギター教室がスタートする
僕がこのタイミングでJAZZギターを習い始める理由はいくつかある
- JAZZが好き
- ギターは弾けるけど、耳で聴いたものしか弾けない。理論に基づいていないので、即興演奏ができず、前からセッションができず歯がゆい思いをしていた
- そんな中、Tom Mischという、最高にクールなギタリストを知り、完全に憧れてしまう(彼はJAZZギター育ち)
- この前バークレーの友人に合い、JAZZの腕を上げた友達に感動し、触発される
↑はトムさん
そんな感じで、今日は楽天で新しいギターも買ったし、JAZZ理論の本も買ったし、あとは習うだけだ!!
ただ、ギター教室に行くまで何もしないなんて、僕らしくない!
仕事でもそうだが、まずはゴールから考え、そこから最適な行動に移す移すのが僕だ。まずは、JAZZギターのゴールから知らないといけない!そこから今できることを考えるのだぁぁっぁぁ!
と言って以下の本をとりあえず教則本を、全部読んでみた
全然わからない。。。
確かに、今ギターを弾いていないにしても、何回か読めばわかるはずだ!!
いつも本を読むときは、まずはざっと通読、その後精読でしっかり理解しているじゃないか!!!
・・・・本当に理解できない。
特に、モードスケールのところで死んだ。
ここまで本を読み始めて3時間が経っていた。
僕は思った。
この3時間というサンクコストを回収する(サンクコストは本質的には回収できないものだけど。回収できないからsunk(埋没))ために、本を読み続けるか。あきらめて、理解しないながらも明後日からのギターの練習に移るかだ。
本当は、前者が良い。
仕事でも、いつもゴールから考えろって身体に深く染み付くくらい言われているわけで、もはやこのゴールから考える思考と行動は、僕自身そのものだ。ゴールがわからないまま、いまいち意味が通らないまま何かをするなんて、苦痛意外の何ものでもない。
とりあえずシャワーを浴びた
そこで、一つの問いが浮かんだ。
いつもゴールから考えることが必ず正解なのか?
例えば、人生のゴールは何か。死ぬことか?もしくは、稲盛和夫が言うように、自分の魂を生を受けたときより少しでも良くすることか
次の問い
そもそも、ゴールを理解したとしても、そのゴールに一直線に向かうことは常に良いことなのか??
例えば、僕がJAZZギターの結論を理解したとして、そこに一直線に向かったら、仕事ができなくなる。仕事ができなくなるまで言わなくても、おそらくJAZZに夢中になり、一番身近にいる嫁とのコミュニケーションが疎かになり、お互い不幸に鳴ってしまう可能性もある。僕が本気で一つのことに向かいだしたらやりかねない。
そんなことふと考えたとき、これ以上JAZZギターの結論について考えるのは止めようと思った。そして、毎日限られた時間だけコツコツJAZZギターに向かい、残りのリソースは仕事や、一番大事な嫁のためにとっておこう、と思って気が楽になった。
性格上、つねにゴールや意味合いを考え、そこから自分を苦しることも多々あるが、、、
人生と同じように、音楽やJAZZも奥が深いし、そう簡単にその本質も結論も見えてこないだろうし。。
もし見えたとしても、見えることについてはそれはそれで必ず良いか?っつったらわからないから、まぁ今回は考えることを少しストップして、まずは明後日からの1つ1つの練習に真正面から取り組むことにした。足元からコツコツやっていけば、きっと見えてくるものもあるだろう。
さて、さっさと仕事の準備を済ませて、嫁と一緒に新しいスピーカーでワインを飲みながら音楽でも聞くとするか。
ちなみに、Tom Misch聴いてみてください。