Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

海外に来ると良いこと

ハニムンでトルコであーる

 

今到着3日目の朝早くだが、本当に到着してからの2日は大変だった。

 

まずは、成田からモスクワを経てトルコに到着するまでに利用してたエアロフロートだが、しっかりロストバゲージをしてくれやがった><

 

ちなみに、荷物は今朝受け取った。

 

僕はまだ良いけど、嫁は大変だ。

やれ化粧道具やら、下着やら、服やら、全くないので買い揃えないといけない。

 

海外旅行保険が効くからお金の問題は無いものの、本当は観光に充てるべきだった時間も必要、周辺の服や生活用具品を販売している店の情報も必要(そしてそれがまた得づらいのだ)何よりそれに付き合う僕の根気がいる。

 

なるべく怒らないようにするけど、色々な状況が重なりやっぱり怒りそうになる。そして、それを嫁が感じ取り嫁も怒る。

 

夫婦水入らずの初めての旅行のはずが、夫婦の初めての試練となる。

 

このような、トラブル時にこそ、お互いの価値観がわかるタイミングなので、適当に対応せずに、お互いの考えや価値観について、傾聴と対話の姿勢が必要だ。

 

恐らく、子供ができたり家を買ったり、そのような夫婦人生の一大事においては、必ずお互いの価値観のぶつかり合いが発生する。

 

そのぶつかり合いを、ぶつかり合いとして処理するか、それを価値観のすり合わせの場にするかで、その先の夫婦関係は変わってくるのだろう。また、自分自身の変容の絶好の機会だ。

 

人間は恐らく、どんな人でも自分が一番かわいいものだ。自分のことをイケていると思いたいし、自分の考えはある程度正しくて、自分の行動を、ある程度の考えを基に行ったrationalなものと感じるだろう。

 

ただ、周りから見ると、本当に自分自身が正しいか、というのは微妙な所であって、正義や価値観の種類は人間の数だけあるものだ。その中で、自分自身を絶対的に正しいものとするか、周りを受け入れるか、で人間の器の大きさも変わってくるのだろう。

 

そんな偉そうなこと言う僕は、自分が大好きだし、自分自身の考えも行動もすべて称賛したいし、本当に大好きで仕方がない。

 

しかし、その自己愛を夫婦感に持ってくると単純にこじれる、ということを痛感した。

 

イチローみたいに自分を貫き通すことは美しいし、周りとの差別化を生むものだが、人間関係の中でそれをするとやっぱりこじれるなぁと思う。

 

ある人間関係を持つことを望むなら、それはすなわちその人との関係性を保つため、ある程度の自己犠牲もいとわないという覚悟が必要なのだ。

 

だから、自己愛により生きていきたい人は、人間関係そのものを無くしたほうが合理的だ。僕はどっちかと言うと、そういう生き方をしたいタイプだ。

 

ただ、僕は結婚という、ある人と人生を分かち合うための選択をしたので、分かち合いの精神は持たないといけない。持たないなら、「なんで結婚したの?」となるからだ。

 

そのような、自己愛と夫婦愛の間で揺れている26歳の男です。よろしくお願いいたします。

 

本当は、イスタンブールの街を歩いててい感じた芸術と宗教の関係だったり、人種が入り乱れている街のなかで、日本人としてどのようにあるべきか?という一種のナショナリズムについてだったり、もっと書きたいことがあるが、一旦ここまでにしとこう。

 

をかず