営業こそが全てである
めちゃ駄文です。
営業現場をサポートする立場になってしばらくたつ。
特に一番メインに担当していたお客様を、今年の1月でほとんど引き継ぎを完了してから、いわゆる営業として受注したり、お客様とコミュニケーションをとったり、ということが無くなった。
いつのまにか、営業としての目線から離れた場所でものを見るようになったかもしれない。営業現場からの終わりなき問い合わせや理不尽な要求に苛立ちすら感じるようになったここ数ヶ月。
しかし昨日、やはり「すべては営業である」、と痛感した出来事があった。
僕がメインで持っているプロジェクト(サービス)について、ある営業が大受注をしたのだ。4月に始まったサービスだったが、開始依頼ずば抜けての大受注である。
本案件のために、僕はベンダーと交渉し、仕入れ金額を安くできないかと交渉したり、色々と会社の営業ともコミュニケーションを取っていた。その結果勝ち取った受注については、僕が自分が営業しているのと同じくらいの嬉しさがあった。自分が営業をしているときの感情の起伏を思い返すきっかけとなった。
僕は営業時代、自身が担当している案件で、大きく2つのコンペで受注した。
その2つのコンペは、どれも6~7社内での競争で、RFPが出る前のお客様とのコミュニケーションから、実際にRFPが出た後の提案ストーリーを練り、スライドを作成し提案するまですべてが大変だったが、受注したときの嬉しさといったら、言わずもがなである。受験勉強して第一志望に合格したときとも似ていたかな。。。
自分の努力が報われた感覚。そしてお金を払ってくれるお客様から信用を勝ち得た感覚、すべてが自分の自己肯定感を満たす要素となった。
営業現場にいると、小さな受注から大きな受注まで、日々何かしらの「信用(=お金)のやり取り」が行われ、失注であれば自信を無くすし、逆に受注となれば自信になるし、やはり直接的な市場からのフィードバックにより自身の感情に大きな影響を受けるのだと思う。
僕自身は、正直「ビジネス上に意義がある」とか、「世の中のためになっている」とかではなくて、人間として単純に「認められたい」という感情によるものなのだと思っている。少なくとも、僕の中の世界では、それが全てだ。
そして「営業」という仕事は、その「認められたい」という感情を直接的に満たす要因となっていたのは事実だ。
おそらく世の中には、僕なんかよりももっと高尚な理念を持って仕事をしている人はいると思う。自分よりも世の中で役に立つこと、価値になること、を考えて仕事をしている人は多いはずだ。
しかしながら、僕にとってのスタートは、「自分が認められること」なのかもしれない。自分が認められたいから、いかに相手に役に立つか、相手の立場になって考えぬけるかが重要だ。
僕にとっての起点は「自分のため」ではあるが、その手段のために「相手の立場になって考える」という構造で、ビジネス上やはり後者の「相手の立場になってものを考える」ということができないと、話にならないと思う。
うまく表現できないのだが、最終的なゴールは「自分のため」という人もいれば「世の中のため、相手のため」という人もいれば、人それぞれなのだが、結局そのために必要なのは「相手の立場でものを考えらえる想像力」なのだ。
そして、営業という仕事は、相手のために提案して、そのフィードバックが自分のためになるという、僕にとっては最高の生きがいとなる仕事だったんだなと痛感するのだ。
個人としての「最終的に自分のために、相手の立場になって提案する」ということが積み重なれば、「会社のステークホルダーのために、世の中の立場になって価値を生み出す」という、会社としての理想的な姿になるのではないか。
そしてその理想的な姿に向けては、市場と密接に向き合っている営業こそがすべての起点なのだと思う。
僕は正直、営業第一線ではないのだが、自分次第で営業マインドを持ち、営業ならざる営業として働くことはできると思う。ぜひともこの「受注」の感覚は忘れずに働き続けていきたい。
そんなことを考えた。