凡人が学ぶのにはやっぱり読書が一番だねという話
「学ぶ」とはどういうことか。
そもそも、「学ぶ」理由は何なのか。
ちょっと抽象度が高い問いだが、僕なりの答えがあって、
僕が学ぶのは、少しでも昨日よりも良い自分になるため。そして「学ぶ」の僕にとっての定義は、「昨日まで知らなかった、あらゆる分野での法則を知り、日々の生活に活かす」ことである。
本稿のテーマは読書だが、読書自体は学ぶことではない。資格試験の勉強をするのも、資格を取得することも学ぶことそのものではない。「学び」は、自分の生活や生き方に活かすことを前提に情報をインプットすることである。
そして、この学び方のHOWは、人によって異なるものだ。
読書や教科書によって学ぶ人もいれば、経験によって学ぶ人もいる。
「学ぶ」ことをゴールにしたHOWの優越の判断は難しいが、仮に「学ぶ」ことのゴールを、上記みたいに日々の生活の中で、自分をよりアップデートしていくことと定義す場合は、誤解を恐れずに言うと、「頭の良さ」によりベストな学びのHOWが異なってくると考える。
端的に言うと、頭の良い人は読書をするまでもなく、経験の中で勝手に自分頭の中で法則性を導き出せるので、あまり読書はする必要がない。
一方、そこまで頭の良く無い凡人は、経験から自分の頭で法則を抽象化できる度合いが、かなり低く、法則がまとめてある本や教科書を読む方が効率的である。
頭の良し悪しにより、法則性を導き出すのに必要な経験の量が異なるのだ。本当に頭の良い人は、1回の経験で、もしくは経験をしないまでも、その突出した思考力により世の中の法則を理解してしまうのだ。
経験せずとも法則を導き出せる程頭が良い人なんて存在するの?と思われるだろうが。。
残念ながらいるのだ。たぶん、5万人に1人くらいの確率で。僕は、今までの27年間の人生で、2人くらい、そういう人と会った。
だが、ここまでで分かる通り、ほとんどの人は凡人である。もちろん僕も凡人だ。そして、そのような凡人には、経験で学ぶには人の一生は短かすぎる。僕らが学ぶには、やはり別の天才か努力家の人が見つけ出した法則性をまとめた本を読んで自分のものにしてしまうのが一番だ。
なぜ僕がそんな話をしているかというと、最近、読んでしまったのだ。ここ1年の中で「最良(自分の人生に一番活かせる)」な本を。
これだ!!!
妻のトリセツ!!!?????
ところで、20代くらいの人であれば、「トリセツ」というと以下の歌を思い浮かべるかもしれない。
こちらも、ある意味「女心」について、男性諸君が理解すべき事柄をまとめた指南と言える。
ちなみに、この歌が出たとき、僕はまだ大学生だった。この女心の化身とも言えるだろうKana Nishinoが「手紙が一番うれしいものよ~♪」とか言っているものだから、当時付き合っている女性に手紙を書いたら、「なにそれ、Lineでいいよ笑」って言われて、僕はそれ以降Kana Nishinoの言うことを鵜呑みしなくなった。
震えるのは会いたいときではない。Tinderで知り合いの女性が出てきたときだけだ。
まぁ冗談はさておき、今回読んだ『妻のトリセツ』は、正直、目からウロコと言うには足りず、目から鯛一匹がまるごと出てきたと言っても過言ではない。
断言しよう。「嫁が理不尽」と思う旦那は、絶対この本を読むべきだ。
この時点で、僕が嫁に対して理不尽という感情を抱いていたことがバレてしまったが、まぁそれは認めよう。というか、結婚した男性で嫁を理不尽と思わない人いるの?むしろ。
この本の面白いところは、著者が女性なのだが、その人自身が「女性はめちゃ理不尽」と認めているところである。
ただ、その理不尽さが悪いとかそういうことでなくて、単に女性本来の性質、脳の構造由来のことである、「仕方がない」と受け入れるしか無いということを言っている。
例えば、まぁ夫婦のあるあるだが、「脱いだものはそのままにしないでよ!!」とか、「お皿洗ったら、ちゃんと石鹸で洗ってよ!!」とか、男性からすると「別に良いじゃん!」って思う女性の考えにもちゃんと生物学的理由、背景があるのだ。
女性がめっちゃ細かいことに気がついて、それに気が付かない男性を批判するのにもちゃんと理由があるし、逆にそれは妻が旦那に期待しているからこそ出る不満なのだ。
まぁ、詳しく書くとまた文字数が増えてしまうので、詳しくは本書に譲るが、まぁとにかく僕がこれを読んで改めて知ったのが「妻は別に悪気があって、理不尽にしているわけではない」ということだ。
逆にこれが知れないと「WHY!!!???」とか、「SO WHAAAAT!!!?」と不満に思う嫁の行動が多かった。WHY?SO WHAT?と言わせるのは会社でだけにしてくれ。
あ、普段の嫁の行動は、そういうものなんだな。と思えると、なんだかすごく可愛く思えてくる。期待しているからこそ不満を漏らすと知ると、「ありがとう」っと素直に思えてくる。
また、本書で言われていて、なんとなく感覚で納得したのが、「女性が口うるさく、男性が理解できない細かなところに気がつくのは、家族を守るためのセーフティネット」という記述である。脱いだものを床に置かないでと言うのは、その服に足をつっかえて転ぶことに対する予防線だし、皿洗いの後に手を洗って!!!というのは、洗い物に付着した菌を万が一口に入れないかという優しさなのだ。
僕はまだ子供がいないが、八幡家の平和を守っているのは、まさに嫁。嫁の理不尽さは、その平和にとって必要なもの。
そう思えたのだ。
それで冒頭の、凡人は本を読んで学ぶべき、と言ったのは、上記の事柄は、僕自身が経験から学ぶのは無理だっただろうな、と痛感したからだ。
以前に何回か、偉そうに嫁との関係に関する気付きついて述べたが、そんなのは取るに足らない。僕が自分の経験から気づくよりも、何十年も早く嫁について気づかせてくれたのは、この本なのだ。
僕は頭が良くない凡人だから、おとなしく頭が良い人が書いた本を読んでおこう。そう思えたすばらしい日曜日だった。
最後となるが、断言しよう。
あの、甘酸っぱい女心を最大限体現したKana Nishinoも、ある男性の嫁になった瞬間こう歌い出すはずだ。
会いたくて震える。旦那をここまでに無神経でアホにしたこの世界の創始者に会いたくて震える、と。
でも、それで良いのだ。
僕はこういうときは、敢えてこう歌いだす。
これからもずっとよろしくね。こんな(ずさんで無神経な)私だけど、笑って(といいながら、君が怒るのはわかってるよ)許してね。(まぁ、許されないのはわかってるけど)と。
をかず