Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

人は、自分に与えてくれた人に与えたいと思う生き物だと思う

昨日の朝、Instagramである韓国人からメッセージをいただいた。

その韓国人は、僕が20歳のころ、米国に留学していたときに特に仲が良かった人の一人で、なんと今弾丸で京都に来ていると言う。

残念ながら、今回の度では東京に来ることは無いらしく、数年ぶりの再開、というわけにはいかなかった。だが僕らは少し長い時間メッセージをし、ここ数年の自分たちの人生を共有し合った。


彼は、いいやつだ


なんというか、「いいやつ」意外で形容ができない、本当にいいやつだ。正直、すごく僕は彼のことを人間として尊敬している。

僕は米国で、彼と一緒に過ごすことは大好きだった。バークレー内の全く同じプログラムでの留学だったし、プログラムが同じだと、受けている授業も被ったりする。

彼は頭が良かったので、よく勉強も教えてもらったし、バスケという共通の趣味も持っていた。当時国際政治について学んでいたのでが、その中で出てきた用語を拝借して「Asian Hegemony(アジアの覇権)」というバカみたいな名前のバスケットボールチームを作って。

よくサンフランシスコのサイクリングに一緒に言っては、彼が年が1つ上だったのもあってか、色々と案内とか、エスコートをしてくれた。

ピアノも弾けるやつだったので、一緒に寮の音楽室で演奏したし、寮のうまくもまずくもない料理を一緒に良く食べた。

こう書くと、結構僕も青春してたな。と思う。

そんな彼と今回会えないのは本当に残念だし、今度もし彼が東京に来たら、色々案内したり、色々してやりたいと心からそう思う。

ブログによく書くのだけど、僕自身の思考ってけっこう唯我独尊色が強くて、そこが良くも悪くも機能するのだけど、今回、僕が心から「あいつのために色々してあげたい」と感じたのは、僕自身にとっては驚きでもあり新鮮だった。

なんでか今となってはわからないが、学生時代は留学や外国人との共同プロジェクト等、国際色の強いことを多くしていたので、正直外国人の友達は少なくはない。

その中から何人も、「今度東京に来るんだけど」というメッセージをよくもらうし、実際に会ったり案内したりもするのだけど。

正直心から楽しめたことってあまりない。特に、女性だとなおさらだ。案内する場所を考えるのも大変なのに、異性だと色々と気を遣うポイントが増えてしまう。

留学から帰ってきてしばらくは、このような交流活動も頑張って続けていたけど、しばらくしたら面倒くさくなって、一切辞めてしまった。

正直、色々仲良くしていた人からのメッセージをもらっても返さなくなった。本当に最低だと思う。

「僕はそういう人間なんだな」と半ばあきらめていた矢先、彼からのメッセージをもらって、どう思ったかはすでに書いた通りだ。

 

・・・

 

人によって、「この人のためにしてあげたい」という気持ちにばらつきがあるのは、まぁ当たり前なんだけど、何でだろう。と考えてみた。僕が思うのは、以下の2つがポイントだということだ

  • 返報性
  • 自分自身へのメリット

 

 返報性については、心理学の名著『影響力の武器』で嫌となるほど説明さているけど、要は、人間は誰かに借りのある状態に対して心地悪く感じて、本能的に借りに対しては返そうということである。Takeした相手には自然とGiveしたくなるというものだ。

僕は彼から色々良くしてもらったから、返報性が働いているのは確実だと思う。ただ、実は僕は、色々良くしていただいている人全員に対し、Give backしているとは思わない。人によっては借りを返さないまま疎遠になってしまった人もいる...

なので、返報性だけだとこの僕の感情をうまく説明できないのだ。

ここで出てくるのが、人間にとって最高にありがたい「自分へのメリット」という概念が出てくる。

メリットというと、経済的観点の損得みたいな感じで言葉の印象が良くないが、要は自分にとってどれだけ彼の存在がありがたいのか、ということである。

考えてみると、僕は彼と会うことで、「おもしろい」とか、「安心してリラックスできる」、「共感できる」、等という、人間が生きる上でこれまた重要な感性享受できていて、良い意味でお互い気を遣うことがあまりない。僕は、彼と話すことで前向きに生きる感情をもらうというメリットを感じているのだ。

だからこそ僕も彼に会いたいと思うし、彼のために色々してあげたいと思うのだと思う。

・・・


いちいち誰と会う、誰と話すときに、返報性やメリット等は考えては無いと思うのが、心が咄嗟に判断してしまうのだと思う。

僕が自分がしたかったことを蔑ろにしてまで「会いたい!!!」と思う人は正直そこまで多くないのだけど、少なくとも少しは存在する。きっとそういう人は僕の生活の中では大切な存在なのだと思う。

 

逆に人に好かれるためには、Giveを自分からして、相手にメリットを与えると良いのだろうか。「人に好かれたい」と思う時点で、好かれることは無いとは思うのだが。