Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

「バランス」と「ポジション」

ご無沙汰しております。

八幡です。

本当に本当にブログをなかなか書かなくてごめんなさい。
決して忙しいだとか、そんな暇なかったという訳ではありません。
ただサボってました。。。

継続は力なりと言いますが、継続できないのがなかなか辛いところです。ヘタレ、、、m(_ _)m

GWは、遠出などはせず、ひたすらに飲んだり、本を読んでいました。

飲んだのは、普段会えないような人。例えば、僕が中学生のときお世話になった塾の先生や、留学先で出会った日本人の友達とかと飲んでいました。

塾の先生は、僕が13歳のときに出会ったので、もう12年間も仲良くさせていただいております。高校受験的にも僕の恩師、また僕の人生の節々でかなり影響を与えていただいた人です。

その人は、僕が世界的にもかなり有名な大学への留学が決まり、かなり有頂天かつ傲慢になっていた僕に「お前の人生になんて興味ない。お前が頭良かったとしても、人間としては全く魅力がない」と言い放った人です。

「わざわざ先生がいる関西まで会いにいったのになんでそんな辛辣なこと言われないといけないの!!!?」ってすごく傷つき、帰りの青春18きっぷを使った京都→東京での電車では、ひたすらワンピースを読んで感傷に浸ってました。

 

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今考えると、あれは僕が今の僕になるのに必要な試練でした。

後にも先にも、あそこまで傷ついた経験は無いですが、あれ以来僕は少なくとも、勉強することが良いことというわけでもないし、まぁ自分の意見・主張と周りとのバランスをとらないとなぁと学んだわけです。

その周りとの「バランス」について学んだ後は、人間関係でもめることもそんなにないし、なんなら少しモテるようにもなった気がします。

その「バランス感覚」は、若造が「大人」になるのに必要なものなんだとなんとなく思います。

ただ、、、なんというか。バランスを取ればそれでいいという訳ではないと思うんです。

バランス感覚って、要は自分と相手の間、自分の主張と相手の意見の間をとっていくための嗅覚とかだと思うんですが、バランスのみになってしまうと、結局生まれるのって「超平均的」な人間だと思うんですよね。

人間として、「人に好かれるためこと」を命題とするのであれば、超平均的人間が正解だと思います。

しかし、人間として「人の役に立つこと」を命題とするのであれば、超平均的人間が正解であるかは懐疑的です。なぜならば、世の中の役に立つこと=万人受けするものとは限らないからです。例えば、UberAirBnBのようなサービスは画期的でかなり便利(僕もタイとかで使いました)ですが、それは既存のタクシーやホテル業者からすると、自分を排斥し得るうざい存在でしかないからです。

人間は「大人」になることにより、相手・社会に受け入れられるような気がします。言わばそれは第一歩。

その先、「人の役に立つ」ためには、あるところで「ポジションを取る」ことが必要となってくるんだと思います。

そのポジションは、ある人にとってはかなり嫌な立ち位置でもあると思います。

ただそのポジションがないと、ただ人から受け入れられるだけの人となってしまい、自分が世の中にどういうスタンスでアプローチしていくのか、どう社会と関わっていくのかは見えてこないと思います。

僕は恩師の働きかけにより、人から受け入れられる人間になりました。

その後、自分のポジション取りは、僕次第です。僕が決めていかないといけません。

そのためには、、、、まぁどうするか、、、というのはまだ見えません。

ただ思うのは、May、Can、Shouldではなく、DoかDon't! 以上!!
ということです。

まぁ、とりあえずやろうと思ったことは即実践していこう。できないことの言い訳は決してしないでいこうということです。

それで自分と、もしかしたら周りの人が傷つくのは、まぁ仕方ないのではないかと。

 

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そんなことを考えた、25男のある土曜日の朝でした。

また頑張って更新します!!!

 

八幡