Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

「報連相」の手引き

僕は月に一回書道のお稽古に通っております。
7歳から通っている地元の書道教室で、間何年も空いていた期間があるのですが、最近また通いはじめ。

私が書いているのは、みなさんがイメージするだろう書道と少し異なり、小筆を駆使し、平安時代の偉大な書家が遺した仮名で書かれた和歌を書き写すのですが、これがまたすっごくおもしろいんです。こんな感じです。

f:id:yahaha911:20180531230312j:plain

これは、藤原定信という書家の書の写しになります。

古い日本人の感性には、感動します。
ただの文字なのですけど、空間の中を文字で埋めるために、配置を考えたり、文字の形を変えていたり、仮名遣いを考えたり(昔のひらがなは同じ音に対して数多の種類がありました)、とにかく空間の中に黒い線を埋めていく中で、日本人の曲線的で柔らかな美しさ、感性を感じます。

その感性に触れることこそが、僕が書道を続けている理由であり、書道をしているときの感動にも繋がっております。

さて、前置きはこれくらいにして、今回は以下について書きたいと思います。

f:id:yahaha911:20180531225908j:plain

 

そうです。報連相です。

日曜日に書道教室に行くと、一緒に字を書いているほとんどの子たちが小学生だったりします。面白いことに、その書道を習っている小学生の中にも、報連相が上手い人と下手な人がいることがわかったのです。

上手い子とはどういう子かと言うと、自分の作品に納得していないときでも、どんどん先生に見せます。見せて、より上手に書くにはどうすればいいかのアドバイスをどんどん貰い、自身の作品に活かしていきます。

下手な子とはどういう子かと言うと、自分が納得するまで先生に作品を見せません。
「もっと上手く書けるはずだから...」と、先生が「別にいいのよ。見せてほしいな」
と言ってきても、頑なになかなかアドバイスをもらいに行けない子です。

これは、社会人にも通じます。というか、僕とかまさに1年前まで下手な部類に入ってたと思います。

あるときなんか、提案書一つ作ってから上長に見せて
「なんだこれ全然違うじゃん...」と全部作り直しになったことさえあります。

僕の「自分は能力が高く、もっとできるはずなんだ」という無駄なプライドにより、報連相がなかなかできなかったわけですね。

もちろん、ある程度中堅どころになると、なんでもかんでも報連相だと、
「もう少し頭使え」となってしまうのですが(今日の僕です。笑)、若手は、少し多すぎるくらいの報連相をする方が、しないよりはよっぽど良いのではないかと。

だって、若手は蓄積もないし、意思決定するための判断軸も分からないし、正直一人で仕事回すの効率悪いと思いますし、アウトプットが上長が想定していたものからブレることも多いと思いますから。

報連相も方法論は色々あって、また別の機会にでも書こうかなと思うのですが、とにかく若手に関して言うと、

ちょっと多すぎると思うくらいの報連相

を意識するのもいいのかもしれませんね。ちなみに、どんどん先生にアドバイアスを求めていた、高レベルプロフェッショナル報連サーである、書道教室のYちゃん(小4)は、同じ年代の他の子と比べ、ダントツに上手でしたよ。

てな感じで、今日はお休みなさい。