Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

ミスチルにとっての小林武史から考えるプロデューサーの役割

みなさんは、小林武史という音楽家を知っているでしょうか。

質問を変えてみましょう。

みなさんは、Mr.Childrenというバンドを知っているでしょうか。

前者の質問はNoの人でも、ほとんどが後者はYesかと思います。ミスチルってすごい有名ですものね。

ただですね。ミスチルの結構なファン(私もその一人)の人にとっては、小林武史さん抜きにはミスチルは語れません。

ミスチルは、『Everything』というミニアルバムで1992年(僕の生まれた年!)でデビューし、一番最近、2015年に出た『REFLECTION』というアルバムはなんと18作目のアルバムです。

そして、小林武史さんは、記念すべき1stアルバムから、17thアルバムまで、ミスチルのプロデューサーを務めた人です。一番最近のアルバムから、ミスチルと小林氏は袂を分かち、ミスチル自身のセルフ・プロデュースとなりました。

音楽における「プロデューサー業務」とは、私もしっかり語れるほど詳しくないですが、役割としては、ミュージシャンを売れるような形にしていくことに他なりません。

その「売れる形にする」というのは、

  1. ミュージシャンが作った曲が大衆受けするような形になるよう、作詞作曲を微調整しつつ、編曲(オーケストレーション:各楽器の構成とメロディを考えること)
  2. 売れるような形にするために、アルバムのコンセプトや曲順、ジャケットまで考える
  3. アルバムが出た後に、大衆にアルバムを手にとってもらえるよう流通戦略を考える

といったところが挙げられます。本当はもっと一杯ありそうですが。

そうなんです。音楽といっても、あくまでそれはお金を生み出すための「ビジネス」であって、あくまでビジネスサイドがわからないとプロデューサーと呼べないんです。

ただ、場合によっては、上記の音楽的な観点のプロデュース、売り方的なプロデュースを別の人々が担当したりします。例えば椎名林檎さんとかは、デビュー当時から東芝EMIでCDを出してますが、売り方的なプロデューシングと、音楽的なプロデューシング(この場合で言うとアレンジですね)が別れていて、音楽的なところを、椎名さんから「師匠」と呼ばれる、亀田誠治さんとかがやっているわけです。

ミスチルにとっての小林氏、椎名林檎さんにとっての亀田氏のように、ミュージシャンとプロデューサーは常に表裏一体です。

私は、小林武史さんがプロデュースする音楽が大好きです。
ビジネスサイドはもちろんしっかり考えているのでしょうが、音楽サイドも小林氏のプロデュースする曲はすばらしい。。

正直、僕はミスチルよりも小林氏のファンで会ったのだと思います。最近の小林氏がいないミスチルはめっきり聴けなくなってしまい。。

小林武史さんが音楽的に素晴らしいところ(と八幡が感じるところ)は

  • まず、超頭に残りやすいイントロからスタートし、イントロが曲全体をディレクションしている
  • 比較的音数も手数も少ない編曲ながらも、聴き応えが有り、ボリューム感を感じる(簡単に言うと、シンプルなのに迫力がある)
  • 音一つひとつが輝いている(人間が聴いていて「心地よい」と感じる楽器の音作りと編曲をしている)

とかが挙げられるかなぁと。

たまにYouTubeでも、有名な曲のデモテープ(ミュージシャン自身が作った曲)とかアップロードされているのですが、そのデモ状態と、実際にCDとして出回るプロデューサーがかんだ曲は、全くの別ものです。シンプルにプロデューサーの凄みが理解できるのではと。

小林氏が抜けた後のミスチルが、かつてのミスチルと全く違うバンドに聴こえることを考えても、小林氏のプロデューサーとしての手腕とミスチルへの影響力は大きかったはず。それは、やはり音楽に関する知識、編曲に関する知識、各楽器そのものやその奏法に関する理解、音楽が人の感性に与える影響・・・など、音楽そのものはもちろんのこと、きっと人間(もしくは消費者)への理解も長けていたに違いないのではと考えてます。

また、「どうしたらいろんな人に聴いてもらえるか」という顧客目線を徹底し、思考と試行を繰り返していたのではないかなぁと。(すごい想像が膨らむw)

・・・

私はITの営業です。
通常のクラウドの営業であれば、まぁ商品説明して終わり・・・ってこともなくはないですが、カスタマイズやIaaSへの構築が必要となる規模のでかい案件だと、まさにこのプロデューシング業務というものをしないといけません。

まず、徹底的に儲かるのか、売れるのか、それはなんでかを顧客目線で考える。そしてその最終的なアウトプットから逆算して、全体をディレクションしていく。技術的なところでSEさんに何か頼むにしても、ITの知識を持ち、本質を外しておらず、周りが動きやすいようなボールの渡し方をする等、音楽の知識を駆使しながら、ビジネスサイドと音楽サイドをたてつけて行くのと同じよう、僕らもITの知識を駆使し、売れる形にできるようアウトプットを作っていかないといけません。

なので「プロデューサー」と名のつく方は、音楽だろうとITだろうとあんまり役割は変わらないのかもなぁっと思います。

じゃあ自分はITでプロデューサーできているのかと言ったら全くできていなくて。
IT知識はもちろんのこと、ボールの渡し方や、理想的なアウトプットへの導き方など、できていないことが多いです。

そこで色々な人から勉強させていただこう...! って思い、何となく昔のミスチルを聴きながら書いた記事でした。後で読み返したら支離滅裂かもです!

最後に、私がミスチルで特に好きな曲をあげます。あまり有名でないので、ほとんどの人は聴いたことがないかもですが、小林さんの魅力が一杯つまった曲になっています。


www.youtube.com

企業の行動はまずPL、次にBS、最後にCSからとらえていく

お疲れ様です。

いやー、月曜日は毎週疲れますね! 今週のスタート、皆様いかがだったでしょうか。

今日は台風の影響もあり嵐のようでしたが、明日はどうやら晴れて暑くなるようですね。

花粉止んだと思ったら今度は雨に悩まされ、雨がやんだら今度は猛暑って、日本の気候ってよく考えると激しいですよね。もうちょいお手柔らかにしてほしい。。

今日は、昨日の記事の続編となります。

kazunori88ta.hatenablog.com
続編ですが、表題を変えてみました。この表題が、企業のやりとりをどう捉えていくかの流れに他なりません。具体的には、昨日も紹介した、以下のルールに則って読み取っていきます。


===

ルール1.
PLの「当期純利益」が、BSの「純資産の部」の「利益剰余金」と繋がっている

ルール2.
BSの借方(左側)=貸方(右側)

ルール3.
直接法CSの「現金及び現金同等物の期末残高」=BSの「現金及び預金」

ルール4.
間接法CSは、PLの「税引前当期純利益」から、実際には現金の動きがないものに関して逆算していく

ルール5.
ルール4.で計算した間接法CSの営業CFと直接法CSの営業CFとは一致する

===


詳しくは、本を読んでほしいのですが、この記事では、以下の3つの企業の行動について、ルールに則りながら見ていきます。


ケース1.企業内で使う事務用品を50万円(キャッシュ)で購入した場合

  1. この場合、PLで言うと販管費になるので、当期純利益に-50万円が加算されます。PLの純利益に加算された-50万円は、そのままBSの繰越利益剰余金に-50万円加算されます。
  2. 現金を使ったので、BSの左側の現金預金もー50万円となります。そしてそれは、すでに繰越利益剰余金の科目で-50万円となった右側とバランスします。
  3. 直接法CSでは、この度は営業活動における現金支出なので、営業活動CFに-50万円が加えられます。
  4. 間接法CSは、計算のスタートは税引前当期純利益からです。そしてその純利益は、今回の購入によりもとの状態からー50万円となります。
  5. 直接法CSにおける営業CFの-50万円分と、間接法CSにおける営業CFの-50万円は一致します。

手な感じの流れで見ていきます。ポイントはPL→BS→CSの順です。
次はこんなケースを見ていきましょう。


ケース2.商品が現金100万で売れる

この場合は、さっきの真逆のことが以下のように起こります。

  1. 売上に+50万円が追加されるので、当期純利益も+100万円となります。その分BS右側の繰越利益剰余金も+50万円となります。
  2. 現金で100万円売り上げたので、BSの左側、現金預金も+100万円となり、1.ですでに+100万円となっていたBSの右側とバランスします。
  3. 直接法CSでは、この度は営業活動における現金収入なので、営業活動CFに+100万円が加えられます。
  4. 間接法CSは、計算のスタートは税引前当期純利益からです。そしてその純利益は、今回の販売にによりもとの状態から+100万円となります。
  5. 直接法CSにおける営業CFの+100万円分と、間接法CSにおける営業CFの+100万円分は一致します。

次は、こんなケースを見ていきましょう。


ケース3.70万円の機材を買掛金で仕入れる

今回は、買掛金が扱われるので、こんな感じになります。

  • 今回は仕入となるので、PLで言うと粗利益が-70万円となります。その分当期純利益も-70万円となり、その分BS右側の繰越利益剰余金も-70万円となります。
  • 買掛金は負債科目なので、BSの右側の「買掛金」項目に+70万円が加算されます。BSの右側は、繰越利益剰余金の項目ですでに-70が加算されていたので、今回の買掛金+70で相殺され、結局BSの右側の総計は変わりません。よってBSの左右はバランスを維持します。
  • 直接法CSでは、この度は現金の動きはなにので、何も記述せずです。
  • 間接法CSは、計算のスタートは税引前当期純利益からです。そしてその純利益は、今回の仕入によりもとの状態から+70となります。しかし本来、今回の取引において現金は動いておりません。そこで、間接法CSにおける営業活動CFに-70を加算させないといけません。
  • 直接法CSにおける営業CFのと、間接法CSにおける営業CFは、「数値が動かない」という観点で一致しました。

今回のポイントは、現金が動いてない取引であるということです。現金が動いてない分、税引前当期純利益から計算をスタートする間接法CSは、加算もしくは減算により整合性をとらせないといけません。

・・・

てな感じでPL→BS→CSと三表を関連付けながら見ていくのが財務三表一体理解法となります。これは慣れないと難しい。。。

私の活力の関係で、取引の例が3つしか出せず、この記事を読まれた方は「八幡何いってんだ...?」って感じだと思うのですが、ここで言いたいのは、まぁ財務諸表三表間で関連づけて読んでいくと、きっと会社経営の「これまでから現状にかけて」が明らかになっていくのでは?ということです。

例えば、昨日も言いましたが、利益剰余金の額を見れば、その企業のいままでの利益がわかってきますし、利益が出ているのに営業活動CFがマイナスだと、売れているけどお金入ってくるまで時間がかかるな、その分運転資金が必要だなとか、が自ずと見えてくるのでは、と。

私もちょっと本を読んだだけなのでまだまだではありますが、このようなPL→BS→CSでの関連性を頭にいれつつ、もっともっと沢山の企業の財務諸表を読んで、ビジネスについて学んでいきたいなぁと思いましたです。ちゃんちゃん。

 

 

財務3表一体理解法

こんにちは。

今日は雨ですね~。梅雨ですね~。

昨日は睡眠の質が最悪で、日中もぼーっとしてしまいますね。せっかくの休みなのにもったいな~

昨晩なんでこんなに良く寝れなかったんだろう?って考えてみたのですけど。

身体が暑かったから。

に他ならないかと思います。入眠のときって、体温下がるみたいなんですよね。逆に体温が下がる状態じゃないと入眠できない。

じゃあ、なんで身体が暑かったかと言うと

  • 夜の時間帯に激しい筋トレをして、体温が下がりきらなかった
  • エアコンの設定温度が高めだった

って感じですね。。なので、夜の時間帯の運動は、終了したあともずっと熱を放出し続けるような無酸素運動は向きませんね。。。またお金の節約のためにエアコンの設定温度が高かったとしても、日中の生産性に影響を与えると本末転倒なので、エアコンはしっかり目に設定したほうが良いかも。。ちなみに、睡眠に適した温度は確か16℃~20℃くらいだったなぁ。この時期だとエアコンフル稼働じゃないと難しいっすね。。

さて、今日は久々の会計ネタです。以下の本を読んだので(3回目)、テキストで要点をまとめておこうかなと思った次第です。

『決算書がスラスラわかる  財務3表一体理解法』国貞克則
http://amzn.asia/eIM7A3Z

この本はですね~、めっちゃおすすめです。

会計系初学者の方も理解できて、かつ財務会計の本質的な部分(まぁ、僕も財務会計を語れるほど詳しくはないのですが、、)を学べる本です。

財務会計の本質的な部分を学べると言いましたが、これは何を言いたいのかと言うと、ある企業の行動(例えば仕入でもいいですし、給料を払う、お金を借り入れる、商品・サービスが売れる等なんでもいいです)に対し、PL、BS、CSがどのように関連づいて動いていくのかが理解できます。財務3表がどのように関連づくのかがわかると、ある企業行動が、財務諸表のどこにどのように現れるかがわかります。逆に言うと、財務諸表を見ただけで、過去経年の企業の主要な動きや戦略がわかるように理解できるようなるのです。

そんな簡単な話ではないですが、この本を読んで、財務諸表からその企業のことについて丸裸にできるのなら、読まない手はありません! 簿記よりはるかに簡単です!!

本の内容をすべてメモすることはできないのですが、重要なポイントだけいくつか書いていきたいと思います。今回は、BS、PL、CSそれぞれの説明や、各勘定科目の説明等は省きますね。


ルール1.
PLの「当期純利益」が、BSの「純資産の部」の「利益剰余金」と繋がっている

これは、知っている人からすると当たり前っちゃ当たり前なのですが、重要なポイントです。今期PLの「当期純利益」が、来期のBSの「利益剰余金」に加算されます。

BSの「利益剰余金」は、簡単に言うと、企業が営業活動により積み重ねてきた利益の蓄積を表しております。なので、利益剰余金の金額が凄まじかったら、「この企業は着実に毎年利益を出している」とうことがわかるし、逆にマイナスであれば、「この企業は営業活動により利益を出しておらず、借入や株式から資金を調達しないと、資金が底を尽きる」ということが理解できます。


ルール2.
BSの借方(左側)=貸方(右側)

これも、当たり前っちゃ当たり前なのですが、本質がわかりにくいんですよね。。

私、一応大学は商学部でして、その授業の中で簿記2級~1級くらいで出てくる取引は一通り勉強したのですが、正直BSの借方と貸方の概念をわかりやすく教えてくれる教授はいなかった。。皆取引を借方貸方で2つに分けて、それぞれ勘定科目と数字を記述していくだけ、、、みたいな。。

BS(バランスシート:日本語だと貸借対照表)がバランスシートと言うのは、BSの左右がバランスする(数値が必ず同じになる)からです。では、なぜバランスするのでしょうか?

それは、BSの貸方(右)が、その企業における「お金の集め方」を表し、借方(左)が、「集めたお金の使い方」を表すからです。

企業って、まずお金を借入や株式を売るこの等によりまずお金を集めて、そのお金を設備やソフトウェア作成、仕入等に使い、結局そのお金を使ったものを売ったり、することで売上をあげて企業活動をするわけなのですが、その集めたお金の額と、使った(もしくは使いきれず残っている)お金の額って最終的に同じにならないとおかしいですよね? 誰かが横取りしない限り。なので、BSはバランスします。

これを、「BSは左側は資産で右側は負債。右側の純資産は資産-負債」とかって覚え方をすると、ちょっとややこしくなります。こう覚えると、「純資産がたくさんあるってことは、うちの会社お金いっぱいあるんだね!」というあるある勘違いが生まれやすいです。あくまで右側はお金の集め方を書いているに過ぎないので、純資産や資本金の金額と、会社内のお金の有る無しは正直あまり関係がないのです。


ルール3.
直接法CSの「現金及び現金同等物の期末残高」=BSの「現金及び預金」

キャッシュフロー計算書は、その名の通りキャッシュ(現金)のフロー(流れ)を計算するためのものです。なぜPLやBSの他にわざわざ現金を計算する必要があるかというと、利益が出ている=現金がある とは限らなくて、企業を評価するときに、「利益が出ているか」よりも「投資政策やペイアウト政策等に自由に使える現金がどれくらいあるか」の方が、企業の価値に大きな影響をもたらすからです。

例えば
「3億売り上げました!!! お金もらえるの3年後ですけど、、、」

とかっていうのは、正直企業にとっては何もありがたくないわけです。なぜなら、手元の現金が今増えるわけじゃないから。

なぜ3年後よりも、「今」手元の現金が有る方がいいかと言うと、詳しいことは省きますが、将来の3億円よりも、現在の3億円の方が、ファイナンスで言うと価値が高いのと、何事も企業が活動するには、お金が常に今必要になってくるからです。「3年後に3億円もらえるから、我が社の支払いも3年後でいいですか?」が通用するならまだいいですけど、お給料とか常に現金で支払われるじゃないですか。単純に現金が今ないと会社回んないですよね。

ちょっと話がそれましたが、CSは「今あるお金はどれくらいなのか」を判断するものなので、BSにおける「現金及び預金」と同額になるのは、なんとなく腑に落ちますよね!


ルール4.
間接法CSは、PLの「税引前当期純利益」から、実際には現金の動きがないものに関して逆算していく

先程のCSは「直接法」のCSについて言っておりました。CSには「間接法」もあります。

直接法は、その言葉の通り、現金の動きがある取引をその度に直接記録していくことで、今あるキャッシュの額を計算していきます。間接法は、PLの「税引前当期純利益」から、キャッシュの動きがない取引や手続きを逆算してキャッシュの額を計算する方法です。

例えば、「減価償却」や「減損損失」などがそうです。

こちらは、詳しいことはググってほしいのですが、簡単に言うと企業の「費用」になるものです。しかし、費用となると言っても、当期における現金の流出は起きないために、その分CSでキャッシュの動きがない分を逆算しないといけません。

そういう逆算により作っていくCSが間接法です。

他にも間接法CSに関係がある取引、科目を言うと、「売掛金/買掛金」、「~引当金」、「のれん償却」等かなぁと。全部、会計上は計算しないといけないものの、キャッシュ自体には変化が起きない経済活動のことですね。


ルール5.
ルール4.で計算した間接法CSの営業CFと直接法CSのの営業CFとは一致する

CSは間接法・直接法という作り方の違いはあるにせよ、結局は企業の現金の流れを計算するものなので、数値は一致するということです。


さて、この本では、上記のルールを前提にしつつ企業活動を見ていくと、お金の流れが手に取るようにわかると言っております。

例えば、、、

と、例示もここで説明しようかと思ったのですが、ちょっと長くなってきたので、例は明日の記事でご紹介しましょうかね。

みなさま週末はいかがでしたか??

明日からの一週間も頑張りましょうね\(^o^)/

本読むだけじゃ何も始まらないけど、本読むことで始めやすくなるという話

またの読書ネタで失礼します。

今日は胸筋鍛えすぎて胸と腕が全然動かない、、、まぁ、胸とかそもそもあんま動かさないけど。

皆様、どのような土曜日を過ごされたでしょうか。私は、いつもどおり土曜日朝に美味しいコーヒーを飲もうと思い、近所のブルーボトルコーヒーに言ったら、なんと同じ会社の先輩にばったり会いまして。

奥様と、なんと生後6ヶ月の女の子にまで会えたのです。かわいかった~♥♡
純真無垢な目でまっすぐと見られ、笑い返したら不安げな反応をされてしまいました。。。

まぁ、そんなこんなで良い土曜日の朝を迎え、今日は横浜中華街にはじめて行き、中華を食べてきました。暑かった。

さて、表題の件なのですが、何回かブログで、「読書も勉強も出口戦略が必要」的なことを言ってました。まぁ端的に言うと、アウトプットありきの読書や勉強をしないと意味がないと言うことですね。

それは、僕が、誰よりも僕自身に一番言いたいことで、気をつけていることです。読書して満足するなと。読書はアウトプットに活かしてこそ意味があるんだぞと。(ここでは小説等の読書は除きます)

本読むだけじゃ何も始まらないのです。

ただですね。今まで僕が言っていたことと矛盾するかもしれないのですけど、何も必ずアウトプットを意識するときだけ、読書に意味があるとは思いません。

どういうことかというと、感覚値として、アウトプット意識せずとも、読書をすることによって、自然にアウトプットを意識するようになるという、まぁ鶏が先か卵が先か理論が言えると思うんです。

読書、この場合で言うと、何かをできるようになるためのインプットの時間ですが、それはすなわち、頭の中に新たなフレーム(考えかたや知識、ロジック等の枠組みのこと)植え付ける作業のことだと考えてます。

その作業は、何回も繰り返すように、出口戦略(=アウトプット)前提で行うと、効率が良いのは確かです。本を読んだ後に何か行動することによって意味があるということですね。

ただ、別に前から行動することを決めてなくても、そのフレームを身に着ければ、フレームを使った行動をしやすくなると思うんですよね。フレームを身につけることにより、予測可能性が高まり、それはすなわち恐怖や、分からないという不安を取り除き、結果として行動をしやすくなるのではないかと。

例えば、ナンパをするとしましょう。ベストなナンパ術向上の手段は、

  1. まずとりまナンパしてみる
  2. 失敗ケースを沢山つくる
  3. 失敗する構造的理由・原因を把握し、対応策を抽象化する(そしてその抽象化にカリスマナンパ師が書いたナンパ本が役に立つ)
  4. 出口戦略(=ナンパスキル向上し結果を出す)を実現する

だと思います。ただ、こういう人ってほとんどいないと思ってます。まず行動しちゃう勇気を持つ人ってなかなかいないですよね。このブログで僕が言いたいことは、こんな感じです

  1. まずカリスマナンパ師が書いたナンパ本を読む
  2. ナンパにおけるよくある失敗と対応策について知識を身につける
  3. 知識の向上によりナンパの恐怖や不安が減少する
  4. ナンパ実践
  5. 重なる失敗→構造的理由・原因を把握→対応策の抽象化→ナンパスキル向上

というふうに、出口が先立たなかったとしても、本を読むことで行動をしやすくなるのかなぁということです。そして一回行動したら、もともと読書により身につけていた知識のおかげで、問題構造の見える化と問題解決のための抽象化は、だいぶしやすくなっているのではと思うんですよね。

ちょっと例えが良くなかったかな。。

とにかく、本を読むだけで何も始まらないのは確かですが、読むことで行動に移しやすくなるとは確かかと。ただ、やはり本読んで何も行動しないのは厳禁です!^^;

なんか、僕自身が読書に費やす時間が多いので、必然的に読書に関する記事が増えてしまいますね。。。

「オレ、一年に50冊は本読むんだけど~」

とかって読書自慢する人いるんですけど、そんな人には

「その50冊のうち、どれくらいが今のあなたの行動と思考に役に立っていますか?」

と意地悪に聞いてみましょう。僕には決っっっっして聞かないでください!!!!!

皆様良い日曜日を\(^o^)/

人が生きることにおいて明確な「正しさ」も「間違い」もないのではという話

もう4年も前の話である。

僕はカリフォルニアのサンフランシスコからほど近い大学に留学をしていた。

留学をしたかった理由は特にない。ただ、なんとなくしたいと思ったし、高校生の時観ていた『ハイスクールミュージカル』の主人公のトロイが、「僕はUCバークレーに行く」って言ってて、なんとくどんな大学なのかと調べていたら、とってもきれいなキャンパスだし、なんと僕の祖父が尊敬している孫正義がいた大学ではないか!! これは、しめしめ、うまくすべりこんだら、留学させてもらえるかもぞ、、、って感じで、本当に大した理由もなく留学先を選んだ。

そんな超適当な理由で選んだ留学先であったが、その学校に集まる学生、特に現地生でなく、海外から選抜されて集まった学生は超優秀であった。

「超優秀」というのは、ただの誇張表現でなくて、本当に「超」優秀なのである。
超優秀な人っていうのは、なんとなく公立の小中学校で頭が良いって言われて、なんとなく都内、県内で有数の進学校に行って、大学は有名私立、、、って感じのいわゆる「優秀」な人とは正直レベルが違っていて、なんだろう。。。宇宙のダークマターの存在ついてロジカルに証明する人もいれば、留学中にプログラミングをはじめて、そのまま米国のGoogleに入ってしまう人もいれば、ボスキャリで投資銀行の内定をもらって、数ヶ月後にはインターンですでに独立行政法人の金回りのアドバイザーしているというような、本当に狂気じみた天才が多かった。

僕は、単純にそんなやつらを「すげー」って思っていたし、そんなすごい奴らの中で一緒に勉強できたり(全然しなかったけどw)、寝泊まりを同じ寮でできるなんて素晴らしい経験だと思った。

僕も、そんな天才になりたかったし、なろうとして努力もしたし、なったフリもしてた。でも、なんか違うと思った。

上記のような超優秀な人は、確かに超優秀なのだが、それだけ人と異なっているということだ。この世界では、特に日本においては、「異なった人」への風当たりは強いものだし、自分自身が優秀すぎると、一周回って何も人生がおもしろくなく、本気で自殺したくなるというやつも、本当に馬鹿らしく聞こえるのだけど、いるのだと知った。

留学先で特に仲の良かったある日本人の友達は、8歳のとき、あるとき不意に、人がみな死から逃れないであろう運命を悟り、その後数ヶ月ろくに睡眠も取れず、ずーーーっと死のことについて考え、夜な夜な涙をしていたんだそう。8歳のとき、僕なんか鼻水たらして、泣きべそかいて「まま~!!!!!(T_T) りょうた君にわかくさ公園でいじめられた~(T_T)(T_T)。だから怒ってきて!!!」みたいな超アホなことばかり母に頼んでたのに。

僕たちから見ると、頭がよくて優秀で、その分お金持ちだったり、みなからチヤホヤされている人に限って、僕らが想像できないような人間の暗い部分持っていたり、本気で死ぬ気で悩んでいたりする。

頭が良い=正しいとか、勉強ができない=「間違い」みたいな短絡的な判断や解釈なんて本当に意味がないし、人生は偏差値では測れないんだと感じた。人はその人たらしめることを理由に褒められもすれば蔑まれる。それは、「良く」見える人、「悪く」見える人関係なく誰にでも言える。

優秀であることを理由に褒められもすれば、優秀であることを理由にいじめられたりもする。前も話した話だが、何事も良い悪いの両面があって、一概になんでも「良い」と片付けられないのが、僕たち人間の複雑さである。

祖父と両親に留学させてもらったのに、正直勉強はあまりせず、サンフランシスコでサイクリングばっかりしていたのだが、このようなことを体感できたのは、何事にも変えられぬ経験だったかと思う。

しいて僕が思う人間としての「正しさ」は、ある自分の性質により、うまくいかないこと、人から蔑まれることから逃げず、自分という刀身を磨き続けることなのかなぁって思う。

皆様、今週もお疲れ様です。\(^o^)/




人は明確な「やること」が見えないとなかなか仕事が手に付かないことに気がついた

お疲れ様です。八幡です。

経沢香保子さんの以下の本を読み、毎日ブログを書くようになって約一週間。。
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経沢さんは、その本では毎日15分くらいでブログを一気に書くっておっしゃっておりましたが、まぁ15分というのはとても短い時間で、僕はどうしても30分はかかってしまいますね。。。

ただ、「毎日ブログを書こう!」と思うと、家に帰った後のだらける時間の代わりにブログを書くようになったので、時間の使い方は前より良くなったのかなぁと思います。

また経沢さんもその本で言っているのですが、日々の生活から、ブログのネタどんなのがいいかなぁって探すようになりますね。確かに人生における観察眼が高まる気がする。。。

みなさま、ブログ作ったら教えてくださいね。読みます!!

さて、表題の件です。

今日はですね、めずらしく朝の仕事時間でだらけてしまい。。

私、毎朝7時~7時半くらいには出社して、朝は主にアウトプットの時間にしているのですが、今日はどうしても手につかなかったんですよね。

「仕事が手に付かないのは集中力がなかったからだ」

って言ったらそこまでなのですが、問題解決は、人間のやる気や集中力、根性と言ったもので考えることを止めてはいけません。人間はもともとやる気のない生き物なので、そのことを前提に対策を立てていかなければなりません。

今日のタスクシートを見ていて

  • WBS作る
  • 提案ストーリーライン考え

というような、割と抽象的であいまいなタスクが書かれていると思いました。

WBSを作るのだって、たとえば項目を考えるのか、項目は考えたので、スケジュールの妥当性を考えるのか、決まっていない項目を見える化して、アドバイスをもとめるとか、、もう少しブレークダウンできますよね。

ストーリーライン作成にしたって、例えばワードの形で書くのか、はたまたエクセルの形でマトリクスを作るのか、パワーポイントで一枚ペラの絵を書くのかにより、全然意味合いも、それにより実施する作業も変わってくるわけです。

僕がなかなか仕事に手につかなかったのは、そのタスクから、ぶっちゃけどんな行動に移ればいいのかが判断しにくかったからではないかと思います。裏を返せば、誰が読んでも、いつ何をやるか明確にわかるタスクを記述すれば、人はそれを見て行動することができると思うのです。

僕は最近、タスクはマインドマップ式に書いておりますが、情報の粒度に気をつけて書いていかないとなぁと思いました。

皆様も、それぞれタスクをメモし、管理する手段をお持ちかと思うのですが、タスク内容は具体的であればあるほど良いことはおそらく普遍な事実なのかと考えております!

行動に移すまで、余計な頭使わないで済みますから。

さて、今週もあと1日ですね。
僕たちは、この「あぁ、一週間もあと1日だ」というささやかな悦びをあと何週繰り返していくのでしょうね。笑 

あと1日頑張りましょー!!!!!!!

僕がNarutoという漫画を好きな理由

皆様 お疲れ様です。八幡です。

週の中頃ですが、皆様、大丈夫でしょうか。
僕は、今週はけっこうしんどくて、割と音を上げそうでした。きびちぃ。。

まぁ、しんどい瞬間って、やっぱりしんどいんですけど、後になってみると「あんときは楽しかったな」って思えたりしますよね。

同じ瞬間を「辛い」と感じるときもあれば、「良かったな」と感じるのって、よくよく考えると不思議ですよね。人生の2面性ですね。。。


・・・


この2面性はですね。僕が表題のNarutoという漫画から感じるテーマかつ、とっても私がこの漫画を魅力的に思う理由なのです。

みなさま、Narutoって漫画読んだことありますか?

めっちゃおもろいんだってばよ。ちなみに主人公がじゃんけんするとこんな感じになります。

 

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Narutoをなぜ好きかというと。これ以上になく人間の2面性というのを洗いざらいにしているところです。

その二面性とは、人間の光(ライトサイド)と闇(ダークサイド)です。そしてそれら2つは紙一重で、いつ交わり合ってもおかしくないし、いつ光が闇になってもおかしくないことがNarutoでは表現されています。スターウォーズのアナキンとちょっと近いかもなぁ。

Narutoの世界では、主人公のナルトはかなり人間としては珍しいです。とにかくめちゃめちゃ強いんですよ。意思が。しかも、「仲間が自分を助けてくれるから、オレも助けたいんだってばよ」みたいなすごいことを平気で言うんですよ。すごくないですか!?僕だったら「助けてくれてありがとうございます!!!大変うれしく存じます!!!」で終わるところを。。。

ナルトは、おそらく1万人に1人レベルの強い人間です。彼はこの物語では「光」です。僕はそんなナルトに憧れを持っております。

そんな「光」であるナルトと対をなすのがサスケです。ちなみにサスケがじゃんけんするとこんな感じです。

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パーなのかグーでいきたいのかかよくわかりません。

サスケはですねぇ。ナルトに比べたらめちゃめちゃ一般的な人間らしいです。僕らの社会人もどこにでもいる人間です。

9歳か10歳かそこらで両親や親戚を実の兄貴に皆殺しにされるって意味では大変希少なのですが、自分の境遇を誰よりも憐れみ、その負の感情を押し殺さず力を求め、力で相手をひれ伏させるサスケは、私たちの社会にも、どこかで見る姿かもしれません。彼は、愛情でなく、力でしか人との交わりを持てない人間です。(まぁ、ナルトとの交わりで、サスケも愛情を知るんですけどね)

そんなライトサイドのナルトとダークサイドのサスケ。この構造は、ナルトとともに忍者(忍び耐えるもの)として戦う仲間を含めたライトサイド軍団(スターウォーズで言うとジェダイですね)と、憎しみといった負の感情のまま強い力を持つダークサイド軍団(スターウォーズで言うとシスですね)という二項対立間での血みどろの戦争という形で昇華します。

普通の道徳感を持つならば、ナルトは正義だし、サスケは悪なんですよ。みんな「ナルト頑張れー!!!」ってなるんですよ。

そうなればいいのに、僕らはうちはサスケやうちはマダラの境遇に涙を流し、彼らの人生に一種のやるせなさを感じ、なんともいたたまれない気持ちになるのはなんでなんでしょう。。。

 


それはまさに僕ら自身が光と闇の二面性を持っているからだと思うんですよ。僕らが思う以上に、光と闇って並立しているし、僕らはそれを行ったり来たりしているのだと思います。

また、光は光の正義があり、闇は闇の正義があり、その構造は、キリスト教が「神」と呼ぶものを、ムスリムは「アッラー」と呼ぶ構造と近いんですよ。光も闇も同じ人間に属するし、それを別の解釈をしていて、それぞれの解釈を正義だと思いこんでいるだけなんですよ。

主に光の人は光であるべく環境で生まれ育ち、主に闇の人は闇であるべく環境で生まれ育ち、やはりその人が「光」を人生の解釈とするか、「闇」を人生の解釈にするかは、その人の生まれ育った境遇が作用するかと思います。生まれ育った環境が最悪なサスケのその粗暴ぶりに、ぼくらは同情しますし、「ま、仕方ないよね」ってなります。

でもですね、本当に珍しいのですけど、Narutoの世界だけでなく、僕たちが生きる世界にも、自分の境遇を理由にせず、人の裏切りや罵倒にも屈せず、自ら「光でありたい」っという感情を決して捨てず、ナルトのように凄まじくまばゆい光を放つ人間っているんですよねー。

なので、ナルトは決して夢物語の創作でなく、私たちにとってはある意味リアルな存在なのかも。リアルな存在だからこそ、その存在に憧れを抱くんでしょうね。。

そんな光への憧れと、闇への共感を存分に引き出してくれるNarutoという漫画が僕は大好きなんです。

Narutoを読んだことない人はちんぷんかんぷんかと思うのですが、ぜひとも読んでみたらいかがでしょうか??

また明日もお仕事頑張りましょー!!!