Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

読書記『「仕事ができる」とはどういうことか?』を読んだ

タイトルがいかにも、、、という感じで申し訳ないのですが、、、

私が、著書から絶大な影響を受けている山口周さんの新著が出たとのことで、読んでみました。

books.rakuten.co.jp

 

著書は読んだことないが、以前NewsPicksに結構ハマっていたときに、やたらと発言力があった楠木健さんとの対談形式で、「仕事ができること」とはどういうことかを話しているのですが、、、

正直この本からの気づきはそこまで多くはなかったのですけど、僕なりに感じたことを書きます。

まず前提として、この二人は


仕事ができる人=センスがある人

 

と言っていて、仕事ができる人=スキルがある人ではない、って言っているんですよね。

じゃあセンスって何なの?という問いが生まれてくるのですが、それに対したはっきりとした答えは無いんです。。笑

はっきりとした答えは無いんですが、なんとなく仕事ができるな、この人はすごいことするな、この人じゃないとダメだな、っと思わせる人こそがセンスがある人であると。

なんじゃそりゃ、という感じで読み進めてたわけなのですが、僕なりに理解したのは、スキルがある人と、センスがある人の違いについては、その人が「全体最適」を考えるか、「部分最適」を考えるかどちらか、というのが生命線になるということです。

スキルというのは、ある部分に特化して最適化することです。例えば、簿記2級を取ったとして、仕訳がめちゃできるようになったとします。商業における仕訳は、企業における経理機構にとってめちゃ大事であることで変わりは無いですが、その仕訳を「仕訳」として最適化すると、そこはスキルがあるで終わってしまうのです。

そうではなく、仕訳を「経理の一つの機能として、もっと言えば企業経営の一つの側面として」全体を見ながら最適化すると、それはセンスがある、ということになるそうです。

ミクロな視点だけでなく、マクロな視点を持てると、自分の業務や周りの業務に関する関連性が、時間軸と共に見えてくるようになります。それを時間的「シークエンス」とこの本では言われているのですが、自分のタスク・ToDoを実施する時間軸だけで考えるだけでなく、それを実施すると次にどうなって、その後はどうすると良くて、という長い時間軸でロジックと想像力を使いながら物事を俯瞰的に見ていけるか、もセンスにとって重要だと。

まぁ、僕も書いていて、すごく掴みどころのない話だなって思うのですが、要は「物事の本質とは何か」を考えながら行動するのと同じだと思うんでよね。タスク自体を目的にするのでなく、そのタスクをした上でその後どうなるのか、の「SoWhat」を考えながら仕事をできるか。ということではないかと。

SoWhatを考えることは、物事の具体と抽象を言ったり来たりすること。仕事上で起こった事象について、その表面だけなぞるのでなく、構造的な起因を理解して、その構造を変えることによって問題解決を図る。ちょっと前のブログにも書いたことのですが、結局この辺の思考と行動の試行錯誤が自分のセンスを磨くことになるのかな、と。

良くも悪くもセンスは後天的に得られるものらしいので、この辺の思考は大切にしながら生きていきたいなとは思ったのですが、やっぱり後味スッキリしない本でしたね。そもそも、答えを本に見つけようとすることこそ、短絡的な正解主義・スキル主義の人がやることで、後味スッキリしないこの本自体それに対するアンチテーゼという見方もできるのですが。。。