コミュニケーションの中で「相手を立てる」ことの意味合い
今僕は勤めている会社にて、営業現場第一線から一歩退いた場所にて仕事をしている。
広く一般的な言葉を使うと「営業企画」という立ち位置だ。営業が営業するものを「建て付ける」ことが主な業務内容となる。
この「建て付け」という言葉が、2年目くらいまでは全く理解できなかった。正直言って、少し抽象度の高い言葉だ。
「建て付ける」ことを簡単に説明すると、「仕組みを作ること」である。
「こんな価値を世の中に広めたい」という、事業の0→1が出来た段階で、建て付け(仕組みづくり)が始まる。じゃあその事業の付加価値を、営業現場で売れるようにするためには、どうすれば良いのか、という問いのもとに業務がスタートする。
具体的には、対外的にはマーケティングの4Pを決めたり、社内的にはバリューチェーンを通した業務のフローを整理して、その仕組みを整えたり、、である。
このような、社内外的な仕組みづくりは、企画グループだけではできない。上記に4Pという言葉が出てきているが、それはつまるところ、マーケティングだ。マーケティング部門はもちろん、実際の営業現場での声を聞かないと、お客様に訴求できる事業が作りようがない。付加価値の品質のコントロール、保証のための技術部門との連携も不可欠だ。
そして対外的には、バリューチェーンを通した業務フローを整えるために、購買や最終的なお金の計上・請求を司る経理等、コミュニケーションをしないといけない関係者は多岐にわたる。
このような、様々な部門との連携が必要な業務を進める中で、生命線となるのはいわゆる「コミュニケーション力」である。
コミュニケーション力は、僕はこのブログでも再三に渡り「相手の考えていることや要望を理解し、適切な対応をしていくための想像力」と定義している。
相手の考えることを理解するためには、相手の人間性だけでなく、部署や部署内での立ち位置、その部署がどういう方針を打ち立てていて、それに対して当人はどのようなスタンスか。その人はどのような専門性をもち、どんな視座にてコメントをする人なのか、等それなりに考えないといけないことが多い。これだけでぶっちゃけ超大変だ。
しかし最近、コミュニケーションについて、重要な別の要素も存在することに気がついた。
それは、「相手を立てる」ことだ。
相手を立てるとは、僕なりの理解を言うと、その相手の重要性や価値を伝えてあげること、感じていただけるようにすることかな、と思う。
この、「相手を立てることは円滑なコミュニケーションに不可欠」説は、ある前提に立っての見解だ。それは、「人間はやはり自分が一番かわいい生き物」ということ。
僕ももちろんそうだ。褒められると嬉しいし、自分が組織の中で重要なんだな、と感じられるときはこの上なく幸福感がある。この自己肯定感により幸福を感じることは、人間として本来備わっている性質なんだと思う。
なので、相手を立てること、すなわち相手が自分自身の重要性を感じられるようにすることというのは、ただ連携して業務をするだけでなく、相手がその連携についてポジティブに感じてもらうのに必要不可欠なのだ。そしてそのポジティブな感情が、仕事の成果を上向かせることは言うまでも無い。
では、どうしたら相手を立てるコミュニケーションができるのだろうか。それがやはり難しいし、僕も全然自分自身で出来ているとは思わない。
なぜ難しいか。それは、心の底から相手を思い遣る必要があるからだ。
「あなたには僕ができないこんなことができて、それが心の底からありがたいと思っています。」というのを、嘘偽り無く自分が100%本気で感じていないといけない。本気でない言葉は、相手に嘘だと気づかれてしまう。
相手の価値を100%偽りなく感じることは、正直そう簡単ではない。これも「人間は自分がいちばんかわいい説」の前提に立つと、どうしても「自分のほうが優秀」と思いたくなると思うのだ。自分が一番優秀だと思っていると、相手の価値を100%信じることはそう簡単ではない。
だから、この相手を立てるということは、「自分自身だけだと至らないことだらけだ」という、人間の通常の感情からは超越した、高次元でのメタ認知が必要になるのだ。
このメタ認知をされている人は、やはりコミュニケーションが上手だ。相手に嫌な顔ひとつされず、業務の連携ができ、プロジェクトを前に進めてしまう。
ブログを書いてていあらためて思ったのだが、コミュニケーションというのは、ただ話上手ということではない。
相手を思い遣ること、そしてれをするために、自分自身を理解し、自分の至らなさ、弱さを噛みしめることが先立つのだ。
コミュニケーションとは、そのような自己と相手の認識が織りなす、人間一人ひとりがにより構築される「アート」なのではないか。そう思うのだ。