Kazunoriの思考と日記

28歳男・IT企業事業企画/推進・一児のパパ・タイ人の妻・埼玉在住の人がまじで徒然なるままに書いているブログ

ほとんどの人間はあなたのことは興味ない

「周りの人は僕のことなんて興味ないんだろうなぁ。」

いつの日か、こう思うようになっていた。

つい最近のことかもしれないし、大学の後半のときだったかもしれない。あまりよく覚えていない。

寂しく聴こえるだろうか? いや、僕はこう思うことは、自分の精神衛生上とても良いことだと思っている。

逆に、「周りの人間は自分に興味があるんだろう」という前提に立った場合を考えてみたい。その時の自分から相手へのコミュニケーションの仕方はどうなるだろうか。

相手が、自分を受け入れてくれることを前提としたコミュニケーションは、特に相手にとって苦痛になるものである。相手の感情をあまり考えず、自分が伝えたいこと、すごいと思ってほしいことをつい言ってしまうからである。相手が、その話題について興味が全くないときでも、だ。

マズローという、アメリカの偉大な心理学者は、人間の欲求を5つの段階に分けた。

jibun-compass.com


その5つの段階がどのようになっているかは、↑の記事を御覧いただきたいのだが、その4段階目に「承認欲求」というものがある。

この「承認欲求」は大変やっかいなものだ。生理的欲求も、安全欲求も、社会的欲求も特に難なく満たされている現代人が、今一番満たしたいものはこの承認欲求なのではないかと思う。

「人から認められたい」「人から大切に思ってもらいたい」「「人に尊敬されたい」

こういった考えは、誰にでも隣り合わせたものだろう。
そして、「周りの人間は自分に興味があるんだろう」という前提の思考は、この承認欲求の最たる副産物であり、これは、自分だけでなく相手の神経まですり減らしてしまう大変やっかいなものだと考えている。

「周りの人が自分に興味ある」という前提のもと、「これってすごいでしょ?! 僕ってすごいでしょ?! どう思う!?」と聞いても、興味がある人ならまだしも、そうでない人は回答に困る。そして、一番つらいのは、その相手の「すごいね!!」を心待ちにしている自分自身である。

僕は、一時期そのような自分自身の承認欲求の持つどす黒い力により、僕自身の身をすり減らしてしまうような感覚を幾度となく覚えた。そして、いっそ、周りの興味の対象から自分自身を外すことにした。

そんな大層なことを言っても、未だに自分の承認欲求が無くなったとは決して思わない。こうしてブログでこんなことを書いているのも、その現れかもしれない。が、この25年の短い人生で一つ学んだことは、自身の承認欲求を飼いならすことができないと、人は幸せになれないということだ。

自分の人生が良いか悪いか、自分がすごいかクソかを決めるのは、周りではなくて僕たち自分自身だ。周りに自分の「すごさ」を評価してもらうのは、本質的ではなく、まったくもって意味がないことだと考えている。

でも、確かに自分一人の評価のみだと、この世知辛い世の中を生き抜くのにはけっこう気力がいる。そりゃ、自分以外の承認が欲しいのは当たり前だ。人間そんなに強くない。

でも僕は知っている。たとえ世界のほとんどの人が僕のことを承認してくれなかったとしても、僕の両親と、僕の恋人は、無償の愛でありのままの僕を必ず承認してくれることを。

その3つの強大な承認と、僕が僕自身に抱く承認があれば、僕は正直スーパーハッピーにずっと楽しく生きていける。そう本気で考えているのだ。そういう、本当に自分自身にとって大切な承認さえあれば、きっとなんでもうまくいくだと思う

やりたいことをやるのためには、会社を辞めないといけないのか?

お疲れ様です。八幡です。

今日は前置きとかは無しにして、表題の件について、考えてみたいと思います。

皆様、やりたいこと、ありますか?

僕はですねぇ、読書とデート以外はありません!!!
って言ってしまうと話が終わってしまうので、もう少し考えてみましょう。

先程の質問は、年次が低い人ほど、多くの答えが返ってくるのではないでしょうか。
特に私の会社は、「テレワークで日本を変える」というスローガンで、遠隔の映像・音声技術を使って提案しているので、遠隔教育だったり、遠隔医療であったり、けっこうビジョンドリブンな若者に響いたりします。

そして、ビジョンドリブンな人は、「会社で~ということをしたい」とか、「世の中に~というインパクトを与えたい」というようなことを、まっすぐと語ってくれます。

僕もまだ25才、若者の部類だと思うのでわかるのですが、最近、会社に属さなくても属していたとしても、「お金」というものの相対的価値が少なくなったような雰囲気が若者の間にはあって、「お金を稼ぐ」というよりも、「社会のためになる」ということに重き置いている人も多いような気がします。

まぁ、経済はなかなか上向かない「失った」20年(僕はひふみ投信の藤野さんが好きなので、あえて「失われた」でなく、「失った」と言いました)の中で、少子高齢化や、膨らむ社会保障費と国の財源の問題等、課題先進国に君臨する日本にいたら、なんとかく経済ドリブンより社会問題ドリブンになってしまうのはわかる気がします。

そして、会社で日々追われる業務と、自分自身が人のため、社会のために行いたいことが一致せず、そのギャップに悩まされる人もきっと多いのかなぁって思ったりします。
僕自身はあまり「世の中にこういうインパクトを与えたい」という欲がないのですが、2年前は新人だったので、先も見えず目の前にただ積み重なっていくタスクをこなす辛さはわかるので、共感できなくもないです。

「やりたいことをやるために、会社を辞めないといけないかぁ」
と思っている人も、中にはいるのかもしれません。

でも本当に、やりたいことをやるためには、会社を辞めないといけないのでしょうか?
というか、本当にお金の価値は下がっているのでしょうか?

僕は実は全くそう思わないのです。

確かに最近、「信用経済」という言葉がもてはやされて、いわゆるインフルエンサーがブログを書いたり、Voicyでラジオチャンネル作ったり、YouTubeやったりで、広告枠を貸すことでお金を稼いでいる個人はいっぱいおります。その人はまさに、「好きなことで食っている」人でしょう。

あなたが、上記のような人であれば、今から僕が言うことは正しくありません。これ以上は読む必要がありません。

ただ、僕たちのほとんどはインフルエンサーではないと思います。では、僕たちはインフルエンサーにはなれないのでしょうか。いや、なれます。ではどのようにして?

会社という大きな信用力に乗っかることで可能だと考えます。

さきほどのインフルエンサーは、個人にも関わらず、会社一つに拮抗できるほどの信用、もしくは人気や興味を得られている人であって、本質的なお金の稼ぎかたの根本は、資本主義だろうが信用経済、またの名を価値主義だろうが変わらないはずです。

結局、信用があるからこそお金をいただけるという社会構造は変わらないのです。今になって信用経済がもてはやされてるのは、個人が信用を集めやすいような、VALUやTimebank、その他クラウドファンディングのプラットフォームができたからだと思います。

僕たちのほとんどは、個人だと正直、影響力も資本力もなさすぎて、何もできません。しかし会社には、たくさんの「てこ」があります。「お金」はもちろん、僕たちが働くのを助けてくれる周りの「人」だってそうだし、会社から支給される「モノ」だってそう。会社で働く中で得る「情報」や「人脈」だってそう。あとは、東証一部上場企業という「看板」なんて最たるものです。

会社の存在のおかげで、僕ら一人ひとりはちっぽけな存在が、「信用」を得られ、会社の中で売上をたて、それはすなわち人の役にたつことができるわけです。だったら、その会社の中で、自分がやりたいことをやる方が、近道なような気がしませんか?

ただ、会社の中ですぐ自分がやりたいことをやれるかと言ったら、それは確かに難しいとは思います。会社はあくまで資本を提供してくれる株主のために、利益の最大化を目的とするし、私たちは、会社がそのために経費を払いながら雇う労働力でもあるからです。それは、この世の中が資本主義である以上、仕方ないことかと。

でも、きっとその会社の中でも、小さなことを積み重ねて、信用を得れば得るほど、会社の資本を借りながら、レバレッジを利かせ、自分のやりたいことを最大化できるようになるのではないでしょうか。きっと、今会社の中でやりたいことをやっているように見える人も、葉を食いしばりながら会社で信用貯金を貯めてった時期があるのではないのでしょうか。

おわり。

メンタリストDaiGoから学ぶ、「忙しい」の正体

お疲れ様です。今日は、二本立てで行きます。

この週末は、久しぶりに自己啓発チックな本を読みました。
最近は、ファイナンス系の実務書ばっか読んでいたのですが、たまには息抜きしようかなぁと、以下の二冊を購入し、読みました。

www.kadokawa.co.jp

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特に期待したのは、下の時間術の本。

やりたいことが一杯あるのに、なかなか思うように全部進められない歯がゆい思いをずっとしているので、魔法のような時間管理術はないものかと、藁をも掴む気持ちで、Amazonでポチリました。そして、土曜日の朝に、メンタリストDaiGoのニコニコで教わった速読法で、DaiGo本を2冊読むことになりました。DaiGoの本何冊目だろ。。。

結論、上記2冊はほとんど同じような内容が書いてありました。8割は内容が被っていたのです。時間術の本なのに、内容をよく読むと、ほとんどがストレスに対応する方法だったのです。

「時間術の本なのになんでストレス管理なんだ!!!」

皆様そう思うでしょう。僕も全く同じことを思いました。しかし、ここに「忙しさ」の本質に関するヒントが隠れております。

「忙しい」とはどういうことか

まず前提として、メンタリストDaiGoは「現代人は忙しくない」と「忙しい」が口癖の僕らをぶった切っております。どういうことかと言うと、OECDが発表した「労働時間の推移」に関するデータを見ると、日本人は1970年代は、年に平均2200時間ほど働いていたにも関わらず、2016年の時点では、この数字が1713時間まで下がっていて、アメリカやロシア、2012年に経済破綻したギリシャよりも少ない水準とのことです。いまだ月に100時間ほど残業する会社も一部あるとは言え、大きく見れば世間的に言われるほど目立って、現代人の時間がなくなったわけではなさそうとのことです。

面白いことに、現代人の時間の感覚はかなり適当です。アメリカの研究で、多くのアメリカ人が「自分は週に60~64時間は働いている」と思い込んでいるものの、実際に計測された1週間の労働時間は、平均44.2時間だったとのこと。労働時間に関する感覚と実質に20時間もの誤差があったとのことです。なんでそんなにも、私たちは時間の感覚がおかしく、忙しくないのに「忙しい」と感じてしまうのでしょうか。

私たちが「忙しい」と感じるのは、忙しさを感じさせるようなストレスが原因である。
とメンタリストDaiGoはこの本で言っております。

もう少し詳しく見ていきましょう。実は、人間が「忙しい」と感じるか、もしくは「ゆとりをもてている」と感じられるかは、個々が仕事でも個人的でも、タスクに対してどの程度コントロールをできているかによって左右されています。

例えば、僕みたいに、「貯金をしないといけないのはわかっているけど、VRメガネ買っちゃう」とか、「ファイナンスについて一通り勉強した後は、企業法務に関して勉強したいし、その次は、、、」みたな、目標や欲望がぶつかり合っている状態は、まさに「時間不足」の感覚を生み出す原因となります。(DaiGoは、このような状態を「ゴールコンフリクト」と言っております。)「色々とやりたい!」という感情が「焦り」生み出し、時間間隔がおかしくなる要因となるとのことです。

他にも、ある作業をしていたら電話が来たり、上司から仕事を振られ、作業が中断されるということや、マルチタスクをしているときなど、時間が細切れとなってしまい、つねに時間とたくさんのタスクに追われているような状態も、「忙しい」の原因となります。(DaiGoはこのような状態を「時間汚染」と読んでいます)

このような、やるべきことが入り乱れていて、自分のタスクに対しコントロールが利かない、ストレスフルな状態が、「忙しい」の根本的原因なのです。逆に言うと、自分のタスクとストレスをコントロールできてさえいれば、「忙しい」と感じることはなくなるんだとか。

じゃあ、どう自分がタスクと時間に関してコントロールを持てるかと言うと、

  • ある特定のタスクをする時間、時期、頻度を事前に決めておき、決めたルールは必ず守る。タスクが終わらなくても、延長しない
  • タスクが多く、ストレスがかかり、焦っているときは、瞑想などで呼吸を整え、心拍数を下げ、焦りを打ち消す
  • 焦りに関して「いや、自分はワクワクしているだけだ」と声に出し、それを信じることでリフレーミングをする
  • 焦っていたり、不安を感じているときは、その心情を細かく書き出し、客観的に心の動きを捉えるようにする。そうすると、第三者の目で、どういうときに焦って、時間がない感覚に陥るのかを捉えることができる
  • 人に優しくすることで、「自己効力感」を高める
  • スモールゴールを設定し、少しずつ達成していき、それを記録に残すことで、モチベーションを高めていく
  • 自然の中でリラックスする

など、「いや、本当に気分を落ち着かせるだけじゃないか!!」っていうものばかりです。でも実際、自分が仕事をコントロールしているかできていないかは、気分によるものが大きいので、気分をコントロールするだけで余裕が生まれ、時間間隔が正されるんだとか。本当かなぁ。

でもよく考えると、「忙しい」というのは、「心」を「亡くす(なくす)」と書くので、もしかしたら、心情的なものが、忙しさの本質であることは間違いないのかもしれませんね。漢字の成り立ちというのは、おもしろいですね。

ということで、土曜日読んだ2冊は、「どうしたらストレスをマネジメントできるか」という観点でほとんど同じことが書いてあったので、読むとしたらどちらか一つだけでいいと思います。

どちらの本でも特に重要視していたのが
「自分の気持ち、思うことを、鮮明に紙に書き、自分自身を客観的に捉えること」
でした。

私は、提案書作成時や、あるタスクを洗い出すときも、とにかく「テキスト化」を推奨しております。第三者にも見える化することで、ヌケモレがあればアドバイスをいただけるし、最悪僕がいなくても、タスクが見えれば他の人ができるからです。

仕事以外でも、自分自身の「見える化というのも、今後はやってみる価値があるかもなぁと、この2冊を読んでみて思ったことです。

まずは、この日曜日前の憂鬱と、それは何を恐れているからなのかを書いてみようかな。。。

ではまた\(^o^)/

憂鬱でなければ仕事じゃない

お疲れ様です。

日曜日の午後です。社会人の方は、この時間帯から明日から始まる仕事のことを考え始めるのではないでしょうか。

僕ももちろんそうです。正直、仕事のことを全く忘れられる土曜日に比べ、日曜日はちょっと憂鬱...です。

前から、仕事に対して憂鬱な気持ちを抱いていて、「月曜日嫌だな~」なんて思っている社会人は、かっこ悪いと思っておりました。なんか、社会に揉まれているような気がして。働くことに対して受動的な感じがするので。

しかし、社会人になって3年目となりましたが、月曜日が憂鬱なことには変わりありません。そんな自分が嫌で嫌で、日曜日の夜に次の日の仕事のことを心配し、なかなか寝れない自分自身がしょうもなすぎて、どうにかこの状態への処方箋はないかと、Amazonで本をあら捜ししていたところ、見つけたのがこの本でした。

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「憂鬱でなければ、仕事じゃない」

僕は憂鬱にならないように本を探していたのですが、逆説的に憂鬱を肯定する本にめぐり合いました。幻冬舎の見城さんも、サイバーエージェント藤田さんも特に好きな経営者というわけではなかったのですが、これもめぐり合わせかなぁと思いポチッと1円で売り出されている中古本を購入しました。


「憂鬱でなければ、仕事じゃない」

この本で、上記テーマの意味合いは、仕事は憂鬱で、人がやりたがらない嫌なものであればあるほど、それを遂行することで人と差がつくものだと。

憂鬱こそが黄金を生むものであり、苦難と情熱は常にワンセットだと。苦しいからこそ人間は情熱を感じ、それを乗り越えて行けると。だから憂鬱から逃げてはだめだ。と。
そう説明されています。

これを読んで僕は、なんだか安心感を覚えました。「ああ、仕事が憂鬱なのはきっと皆変わらないんだな」と思いました。

逆に考えると、明日からを憂鬱に感じるような仕事をさせていただいているということは、ありがたいことかもしれませんね。

誰がやってもできる、簡単な仕事だったら、特に憂鬱になる必要もないし、ならないでしょう。しっかり集中して取り組まないとできない仕事だからこそ、本気を出さないと失敗してしまうからこそ、憂鬱になるのではないかと。

今、起業家であったり、会社務めする人で活躍している人は、きっとこの憂鬱の壁を乗り越え続け、成長することを止めなかった人でしょうね。僕が感じている憂鬱とはレベルが違うんだろうけど。

そう考えると、明日からもなんだか頑張れそうな気がします。

ちなみに、この本ではそれ以外にもたくさんの金言があったので、いくつか紹介したいと思います。

「小さなことにくよくよしろよ」

どんな些細なことでも、義理人情、恩を忘れてはならない。どんな些細な約束でも、必ず守ることで信頼を築き、将来ビジネス・チャンスになる可能性の芽を摘まないということです。

これは、よく分かります。特に僕の上司が、小さな約束を果たして、人の恩に報いる大切さを背中で教えてくれるような人なので、僕もその大切さを痛感するし、この考えかたができないときは、ビジネスマンを辞めるときだと思っています。

「かけた電話は先に切るな」

前提として、電話は最低不躾な行為であることを忘れてはいけないと見城さんは言っております。相手のタスクを中断させ、時間を横取りするような行為であるので、何も断りもなく、人の家にあがるのと同じくらい自分勝手な行為だと。その行為をしながら、要件が終わり自分から電話を切るなんてもっての他とのことだ。と。僕も、電話をするときは、電話でないといけない理由を明確にしつつ、自分から切ることはしないよう気をつけることにしました。

「スムーズに進んだ仕事は疑え」

先程の憂鬱の話と同じですが、仕事はスムーズにいかないものを頑張るからこそ価値が産まれるもので、努力しなくてもスムーズに進む仕事は、本当に意味がある仕事なのか疑わないといけないというとのことです。たしかに、何も考えないでできる仕事なら、自分がやる必要もないですしね。ロボットでもいいわけですよね。

 

「行く気がないのに、今度、飯でもと誘うな」

これは、誰にでも覚えがあると思いますが、会話の締めで言うような上記セリフは、本当に行く気がないのであれば、決して言ってはならないということです。相手が本気にしたら、誘われないときに傷つくし、信頼もなくしてしまうからです。もし言ったのならば、それを本気で実行しないといけません。僕も、けっこう上記のようなセリフをホイホイ言ってしまうので、これを読んでかなり反省しました。


今日はこれくらいにしますが、上記以外にも、元気づけられる、考えさせられる金言がいっぱい出てきました。

憂鬱な月曜日から逃げず、逆にそれを乗り越えていき、一歩一歩ステップアップしていきたいと、心より思います。というより、そうできる自分でいます。

明日からも頑張りましょう\(^o^)/

自分自身への信頼により足をすくわれることもあるという話

お疲れ様です。

今週も終わりました。今週はなんだかあっという間に過ぎていったような。。

私、今日の仕事終わりに、ある見積をあるお客様に送りました。
すでに内示をいただいている案件なので、要はその見積内容がそのまま売上になるものです。

開発に関する案件なので、開発さんから試算内容をいただき、それをお客様用に書き写すだけだったのですが、なんと私その書き写しを間違えてしまい。

ダブルチェックを怠っていたので、本来の数字から数万異なっているものをなんとそのまま送ってしまいました。

・・・

 

はー

最近、見積や申込書でミスることもなくなり、ほとんどノーマークでもその辺の事務作業をこなせるようになっていた矢先、、

新卒の人がやってしまうようなことを三年目の僕がやってしまいました。

はー

自分を信頼するのは大切なのですが、信頼しすぎるとこういう風に足をすくわれることを、身にしみて感じました。

皆様、最近以前よりうまくできるようになったことはありますか?
2~3ヶ月前に比べてできるようになったことはありますか??

おそらく、それに関しては、まだ注意をはっている段階なので、大丈夫かと思うのですが、半年前~1年前とくらべてできるようになったこと、上達してからだいぶ時間がたったことに関して、自分を信頼しない方がいいかもです。

自分を信頼しなければ、仕組み化によりミスを減らそうとする努力をするモチベーションが上がりますから。

とにかく、私はまだ今しばらくは、数字やお客様に渡す書面などに関して、自分自身を信頼はできません。いえ、信頼すべきでないことがわかりました!

ダブルチェックを怠らない、とくに部門を越えて作成する見積や書面は、自身のマネージャーだけでなく、関わる部門の方にもダブルチェックをしてもらうことで、同じミスをしないような仕組みを作れるかと思います。

このミスを忘れず、まだこんなミスしているんだ。。。と思われないように、日々精進したいと思います。

今週も皆様お疲れ様でした。

八幡@明日からもまた頑張ろう

この世に「大人」なんていないのでは?という話

「君は大人だね~。」

という言葉で使われる「大人」はどういう意味だろうか。
どんなシーンで言われるか、自分の経験や周り行動を照らし合わせて考えてみた。

  • 感情が高ぶったときにも、冷静を保っていたとき
  • 飲み会で、ある人についての文句や悪口をが求められている場面で、それを言わなかったとき
  • 何かしら謙虚な言動をしたとき

とかである。そもそもあまり「大人」だなんて言われないので、あまり思いつかない。

ただ、上の例には、規則性があるような気がする。自分の感情に何かしらフィルターをかけているということだ。

良くよく考えてみると、逆に「君はまだ子供だねぇ」と言われるときは、感情をあらわにしているときが多い気がする。感情のまま空気を読まずキレたり、とにかく「オレが!オレはね~」とオレガー発言をしたり。

ということは、「大人」になることは簡単だ。自分の感情を隠していればいいのである。

しかし、本当の意味での大人だなんて、存在するのだろうか。

皆、マズローの欲求5段階説で言うと、4段目で留まっている人がほとんどのような気がする。「自己承認欲求」に溺れているのである。かくいう僕ももちろんそうである。しかし、その「自己承認欲求」を隠すのが上手な人がいる。そういう人は「大人」と言われる。しかし、ふとしたときに、自己承認欲求がこぼれ出ることがある。人間は、自分隠しを徹するのは難しい。

ただ、自分を隠して良いことって、あるっちゃあるがないっちゃないような気がする。確かにこの社会のなかでは、「大人」な人のほうが評価されるし、人からも好かれるような気がする。しかし、それでその人が幸せか不幸かはまた別の話だ。

「オレガー、オレガー」という人で、確かにやかましいと感じる人もいれば、そこが愛らしいと感じる人もいる。その二人を同じように「子供」と片付けられるだろうか。

自分をうまく隠して「大人」となっている人は、その化けの皮を剥がしたら「子供」だろうか?

「大人」や「子供」という言葉で片付けられないにしても、みな、本質的には自分のことが好きだと思う。その「自己愛」の周りからの捉えられ方により、得する人もいれば損する人がいるというのはおかしな話だ。

「みんな自分が一番大切で褒められたい」

この考え方を頭に入れておくだけで、この社会の摂理はすべて解き明かされるような気がする。

そんなこと考えた木曜日であった。

明日は今週最終日\(^o^)/




『決算を読む習慣』から学ぶ、分析のイロハ

今日はこの本を引用し、記事を書かせていただきます。

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MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣』 シバタナオキ著http://amzn.asia/dqILfy2


この本は、死ぬほどおすすめです。めちゃくちゃ面白いです。
上の画像でラベルのコメント書いている人は、うちに出資してくれているファンドのファンドマネージャーですぞ! 藤野さんが書く本も激しくおすすめなのだけど、それはまた別の機会に...笑

こちらがどんな本かと簡単に説明しますと、いろんな会社の決算を通して、その会社が競合に比べてどんな状態なのかを読み取るための簡単な方法論と、その会社が、業界内で今後どういう戦略を取ると良さそうなのかの仮説構築の例を挙げてくれています。

この本は、死ぬほどわかりやすいです。なぜそんなわかりやすいかと言うと、その業界を読み解くための簡単な方程式に沿って、各会社の決算を読み取っていくからです。

業界を読み解くための簡単な方程式は、例えば以下のようなものです。

広告ビジネスで押させておきたい方程式

売上=ユーザー数×ユーザーあたりの売上

てな感じです。死ぬほど当たり前ですよね?

各会社の決算からわかる数字を、このような業界の方程式に当てはめていき、同じ業界の競合と比較して、問いを設定していきます。

例えば、上記の広告の例で言うと、インターネット広告で莫大な利益を上げているFacebook社なんかと、同じく広告収入がメインの収益元の一つであるLine社を、それぞれ上記の方程式にあてはめて比較していきます。

「Lineのユーザーあたりの売上はFacebookよりもだいぶ低い。これは裏を返すと、今後Facebookと同じ水準に上がったとしたら、Lineの今後の広告収入は~だけ伸びるのでは」というような問いを設定し、さまざまな変数(例えば利用者が多く分布する国等です)を考慮した上で、比較・検証していくのです。

これは、業界に関する重要な方程式と、その方程式の要素となる数値(KPI)が頭の中に入ってくるだけでなく、分析の手法を学ぶという観点で勉強になります!

いくつか、この本を読んで、分析手法という観点で勉強になったことをあげていきます。

1.「分析する」ということはすなわち、
  「比較」をし、相違点の理由を考えていくことである

これは当たり前っちゃ当たり前かもしれないですが、改めて身にしみることです。
一社の数字だけ見ていても全く意味はなくて、その数値を他社の数字と比較をするからこそ違いを見つけることができ、その違いの背景を考えることで、会社の状況と数字の因果関係がわかってくるのです。分析は、まず比較することから始まります。


2.「比較」をするときは、時間の軸と業界の軸で行う

これも、至極当たり前のことではあるのですが、比較する際は、会社内での同じ数字の対前年比(YoY)をチェックすることと、競合の同じ数字をチェックすることが重要です。前者は、その会社自体がどう遷移していっているかがわかりますし、後者は、その会社が競合と比べどのような強み/弱みがあるのか、市場における立ち位置などがわかります。

3.比較しずらい数字でも、ユニットエコノミクス(=一人あたりの平均の経済性)を
  計算することで比較可能となる。

これは、例で示すのが一番早いです。
例えば、

  • 日本のGDPは世界3位である
  • 中国のGDPが日本のそれを抜いた

みたいな話って、分析という観点だとほとんど意味がないと思うんです。だって、それぞれの国で人口が異なるんですから。人口が増えれば増えるほど、需要供給の総量は増えるのは当たり前で、GDPの総量(SUM)で比較しても、そこから得られる情報ってあまりないですよね。

ただこれを、一人あたりのGDPに直したらどうでしょうか??人口の差によるバラツキが均されて、比較できる形となります。そこで、わかることが色々出てくるわけです。

余談ではありますが、一人あたりの名目GDPだと、日本は中国よりは上ですが、残業を悪ととらえ、日中から酒を飲みまくっているイタリアと殆ど変わりません。日本は残業時間が長いのに、、、働き方改革を真剣に考える必要があります。。。

てな感じです。繰り返しになりますが、

①分析とは、比較をすることで得られる情報をもとに実施するものであり、②比較の軸は時間軸や、業界という縦軸がある。また、③比較ができない数字に関しては、ユニットエコノミクスを計算することで、比較できるようになる

ということが、この本で、分析手法において改めて学ばされる点となります。

分析うんぬんかんぬんより、何より内容が素晴らしいので、是非皆様読んでみてください!!!

今週もあと2日がんばりましょー^^