この世に「大人」なんていないのでは?という話
「君は大人だね~。」
という言葉で使われる「大人」はどういう意味だろうか。
どんなシーンで言われるか、自分の経験や周り行動を照らし合わせて考えてみた。
- 感情が高ぶったときにも、冷静を保っていたとき
- 飲み会で、ある人についての文句や悪口をが求められている場面で、それを言わなかったとき
- 何かしら謙虚な言動をしたとき
とかである。そもそもあまり「大人」だなんて言われないので、あまり思いつかない。
ただ、上の例には、規則性があるような気がする。自分の感情に何かしらフィルターをかけているということだ。
良くよく考えてみると、逆に「君はまだ子供だねぇ」と言われるときは、感情をあらわにしているときが多い気がする。感情のまま空気を読まずキレたり、とにかく「オレが!オレはね~」とオレガー発言をしたり。
ということは、「大人」になることは簡単だ。自分の感情を隠していればいいのである。
しかし、本当の意味での大人だなんて、存在するのだろうか。
皆、マズローの欲求5段階説で言うと、4段目で留まっている人がほとんどのような気がする。「自己承認欲求」に溺れているのである。かくいう僕ももちろんそうである。しかし、その「自己承認欲求」を隠すのが上手な人がいる。そういう人は「大人」と言われる。しかし、ふとしたときに、自己承認欲求がこぼれ出ることがある。人間は、自分隠しを徹するのは難しい。
ただ、自分を隠して良いことって、あるっちゃあるがないっちゃないような気がする。確かにこの社会のなかでは、「大人」な人のほうが評価されるし、人からも好かれるような気がする。しかし、それでその人が幸せか不幸かはまた別の話だ。
「オレガー、オレガー」という人で、確かにやかましいと感じる人もいれば、そこが愛らしいと感じる人もいる。その二人を同じように「子供」と片付けられるだろうか。
自分をうまく隠して「大人」となっている人は、その化けの皮を剥がしたら「子供」だろうか?
「大人」や「子供」という言葉で片付けられないにしても、みな、本質的には自分のことが好きだと思う。その「自己愛」の周りからの捉えられ方により、得する人もいれば損する人がいるというのはおかしな話だ。
「みんな自分が一番大切で褒められたい」
この考え方を頭に入れておくだけで、この社会の摂理はすべて解き明かされるような気がする。
そんなこと考えた木曜日であった。
明日は今週最終日\(^o^)/